なんとなくサンネット日記

2011年3月31日

物語の解体――ウィキリークス

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 8:14 PM
ベンチが現れた

野球場の近く

福島第1原発とウィキリークス

最近、テレビやラジオのニュースのトップは福島第1原発のことです。

日本の原発にまつわる、あるニュースが、地震が起きて1週間もしない時期、中国・イギリスの新聞経由で、日本に伝わりました。情報元はウェブサイトです。

――国際原子力機関(IAEA)当局者は、2008年12月に行われた主要国(G8)の原子力保障会議で、日本に巨大地震が起こった場合、日本の原発は持ちこたえられないだろうと警告していた――という記事でした。

内部告発サイト「ウィキリークス」が3月15日に公表したものです。地震からわずか4日後です。福島第1原発事故が海外に報道され、その直後、ウィキリークスはもっている大量の機密文書のなかから検索し、タイムリーに公表したのでしょう。

さらにウィキリークスが別の時期に公表した資料にはこのようなものもあります。

2009年12月、ウィーンの米国大使館がワシントンに送った公電は、国際原子力機関(IAEA:本部はウィーン)事務次長の谷口富裕氏は「日本の安全対策に対決するという点において、非力なマネージャーだった」と述べました。ウィーンの米国大使は、彼の管理能力に疑問をもっていたのです。

おそらく、今後、ウィキリークスの資料(多くはアメリカの公電文書)は使いこなされ、それによって日本の原子力政策の基本を問う声が大きくなるのは避けられないでしょう。

情報暴動としてのウィキリークス

いまは大震災、原発事故、目前の危機や困窮に必死で取り組んでいるですが、この惨事を越え、やがて新たな歩みを始めるとき、いかなる想像力や知恵が必要になるのでしょう。それが、いま求められていることだと思うのです。今と未来をつなぐ糸、それは人の生きる意味を求める営みなのかもしれません。

ウィキリークスがもたらす情報は、再建の時期、世論に影響を与え、新たな視点の構築に大きな役割をなたすでしょう。しかし、ウィキリークスを越えるものがなければ、新しい社会という枠ができても、魂の入らない空っぽな社会になるのでは…、そういう危惧が私にあります。

昨年、ウィキリークスは大量のアメリカの機密文書(公電文書など)を公開しました。公開された情報のなかに、チュニジアのベンアリ政権の腐敗ぶりを伝えるものもあったのです。それがジャスミン革命に大きな影響を与えました。

ウィキリークスの創始者「ジュリアン・アサンジ」は一躍、時の人になりました。ジュリアン・アサンジ、彼は1971年生まれのオーストラリア人で、元天才ハッカー、セキュリティ・プログラマー、サイバー政治活動家です。

作家吉岡忍の『ウィキリークス アサンジの戦争』(ガーディアン特命取材チーム、デヴィッド・リー&ルーク・ハーディング、2011年、訳者月沢李歌子・島田楓子、講談社)の書評に、興味深く、微妙な表現がありました。

――何より私が重要と思うのは、権力と情報の関係である。しばしば権力は物語から生まれる、と言われる。…その舞台裏が欲望と嫉妬、野心と陰謀と醜聞にまみれているのをウィキリークスは明かす。情報が国家という物語を解体する光景を、いま私たちは見ているのかもしれない。――(東奥日報2011.3.27)

権力の解体の光景の後には、その根っこにあるより普遍的な物語が解体されていく光景が続くのかもしれません。あるいは同時かもしれません…。彼の表現にはある戸惑いが含まれているようです。新たな社会をつくろうという時、権力を、物語を、解体する力だけでは、十分ではありません。それとはまったく別の力が必要になるはずです。私にはそう思えるのです。

ハッカー文化

ウィキリークスが獲得した機密文書は、当時22歳のブラッドリー・マニング陸軍上等兵が提供しました。マニングにとって一種避難所であったPC。一台のPCがアメリカという巨大国家の深部に静かに入り込み、史上最大のデータ窃盗を行ったのです。

データはマニングからアサンジに渡ると、資料価値のあまりの重大さに、アサンジは多国籍の既存メディアと協力しつつ公表することを決めたのです。アメリカの法的・直接的な反撃を恐れたからです。

そして、最初にアサンジとイギリスの新聞「ガーディアン」とが作戦会議をしました。新聞記者は編集の必要性を主張しました。アサンジはすべての資料を編集せず、できる限りそのまま同時に公開することを望み、両者は長い討論を重ねました。

――多くの記録には情報提供者の名前や米軍に協力する人物の情報が書かれていた。内紛状態にある現在のアフガンの政局下では、これらの人々に危険が及ぶ可能性がある…身元が判明したとたん、殺されるかもしれない(だから編集が必要なのだが)…肝心のジュリアンは気にもとめていないようだった。…彼の返事には耳を疑ったよ。「だって、情報屋なんだよ。殺されたとしても、いずれそうなるとわかっていたはずさ。当然のことじゃないか」…その瞬間テーブルは静まり返った――(『ウィキリークス アサンジの戦争』p148)

「アサンジはアナーキストの国家軽視と、スターリン主義者の非情さを持っている」とドイツ人記者は書いています。(『全貌ウィキリークス』、マルセル・ローゼンバッハ&ホルガー・シュタルク、2011年、訳者赤坂桃子・猪股和夫・福原美穂子、早川書房、p127)

アサンジの「非情さ」は、彼個人の資質にだけ由来しているのでなく、背景には、情報は自由であるべき、できるだけ生のまま公表されるべきというハッカー文化があります。サイバースペース独特の倫理観、逆転しているかに見える情報と個人の関係、そういったものがあるのです。

1980年代末から1990年代に生まれたサイバースペース。そこに参入した人々は、かつての新大陸にやってきた侵略者や開拓者のようでした。アサンジはその第1世代。しかし、熱意があるけど無法で野蛮な開拓時代は、終了したほうがいいでしょう。

災害を受けた土地と傷ついた人々が回復する。優しい価値が次々と生まれるサイバースペースに創りなおされる。この両方の営みが、同時に求められている…そんな気がしてならないのです。

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