なんとなくサンネット日記

2020年3月16日

津久井やまゆり園事件の判決を前に

Filed under: 未分類 — 投稿者 @ 12:36 PM

■事件の本質はどこに

今日、津久井やまゆり園事件の横浜地裁の判決が言い渡される。もう事件から3年半が過ぎた。しかし未曾有のこの事件の本質がよくわからないまま、風化がすすんでいる。

あるくお坊さん


多数の犠牲者を出したかつての事件と比べて、犯人である植松被告の人間性がうまく伝えられていない。勇気をもって発言している被害者家族もいるが、多くの被害者は匿名のままである。職場の同僚だった人々の思いや現状もよくわからない。

植松被告は控訴しないと明言しており、このまま収束しそうである。





「今回の裁判、障害者の問題を真剣に考えてきた人ほど、本質的なことは何一つ明らかになっていない、責任能力があるか否かだけを論じた空疎な裁判だった、という批判的意見が多い。障害者への差別の問題も、障害者施設や支援のあり方も、法廷では確かにきちんとした形で俎上にも載らなかった。 こんなことで相模原事件を終わらせてしまってよいのだろうか、という思いは強い…(おそらく死刑判決となるが)死刑確定し、接見禁止もついてしまうと、事件解明には大きな限界が出てくることは明らかだろう」

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200303-00165868/

月刊『創』編集長・篠田博之氏の記事である。氏は別のところでこうも述べる。

「相模原事件はいまだにわからないことがたくさんある。この事件に社会がどう向き合い、対策を講じるのか。それがなされないまま風化だけが加速していくのではいけないと思う」(『創』.2020年4月号.P51)。

植松「被告」が「死刑囚」になったとき、津久井やまゆり園事件の本質的問題は深い闇に消えていく。社会の闇の部分に植松が吸い込まれたとき、彼と向き合うのは、執行の役目も負う刑務官である。もし私がその刑務官の立場だったら、と考えることがある。「いまだにわからない」植松という人物像とどう向き合うのだろうと。伝えられる接見や公判の彼のようすから想像すれば、拘置所で彼はていねいで、問題少なく(自殺企図以外)過ごすかもしれない。しかし「わからない」まま、ある時、「私」は執行に従事する可能性がある。こういったことに精神的に耐えられるだろうか、と思う。

■人との関係を分ける「壁」は

社会心理学者の小坂井敏晶は、ホローコストとは、そこにかかわる人間たちの人間的感情、殺人への嫌悪や動揺が起きないように仕組みをつくることによって実現する、といった文脈で次のように述べている。


心理負担だけからいえば、原爆で何十万もの人々を殺す方が、人間一人を包丁やバットで殺傷するより容易だ。多くの人命を奪った行為を後悔するかもしれない。しかし行為の瞬間においては、泣き叫び哀願する老婆や子供の命を血まみれになって奪う状況に比べて、レーダーや計器の数値を見ながら爆弾投下のボタンを押すだけの方がはるかに楽だ…犠牲者との心理的距離が保たれ、具体的な人間性に触れないと、殺傷に対する強い抵抗が起こらない。だが、殺す相手が自分と同じ人間だと認識するやいなや、殺人の意味が変容する。(『増補 責任という虚構』2020年.ちくま学芸文庫.P87)

人は人を殺すときに、相手方を同じ人間だと思わないように、犠牲者との心理的距離が保たれる機械的・制度的・思想的・心理的仕組みを講じると述べているのだ。死刑執行をする刑務官の場合、国家の総力を挙げてつくられた心理的「壁」の真っただ中にいる。
多くの責任者の決済と業務命令によって連結された死刑制度は、法制度の安定という美名のもとで、個々人の裁量はないかのように進行する。執行日当日の役割も細かく分担され、絞首台の床を跳ね下すボタンも複数あり、複数の刑務官が同時に押すことで誰のボタンが作動したかわからないようにカモフラージュされる。あらゆる「壁」がつくられている。

たった一人で多数の人を殺した、あるいは殺そうと傷つけた植松は、人を殺すための「壁」を自前で作ったのだろう。真夜中の施設に侵入して寝ている障害者を一人一人確認しては、ナイフでその胸を刺す。そのためには、何らかの心理的な壁が必要だ。そうでなければ、声をかけ、相手の目を見て、行為を連続することなどできるものではない。「壁」の表れの一つが「心失者」という彼の造語だろう。「人間ではない」とする考えが「壁」であった。

植松は重度障害者は人間でないと考えたから殺人を犯したのではなく、殺人を犯すために「人間ではない」という考えをつくった可能性もある。殺人を実行したいという考えが、「心失者」という考えの前にあったかもしれない。

人は苦しいとき、悩んでいるとき多かれ少なかれ「壁」をつくる。あるいは普段から深刻な「壁」をつくる人もいる。殺人という極端な場合であれば、もっと複雑で強固な「壁」を意図的につくるのだろう。

どのような「壁」であっても、他者がそれなりに理解できればそれなりの関係は作れるものだが、植松被告の場合どのような「壁」で、それがどのように生まれてきたものか分からない。これだけの人たちが、これだけの時間をかけても分からない。おそらく彼は「壁」の向こう側にいるのだ。

死刑執行に携わる刑務官は、愚かな事件を犯した加害者やたぐいまれな粗野な人物と向き合うだろうが、事件や加害者のそれなりの物語(≒「壁」の由来)を刑務官がつくることによって拘置所の日常を乗り切っていく。執行には「壁」が必要だが、そこに至る長い日常においては、「壁」をつくらざるを得なかったという死刑囚への人間理解がなければ日常を乗り切れるものではない。

植松死刑囚と向き合う刑務官は、やまゆり園事件を遂行させた彼の「壁」を理解することはできない。「壁」を越えた人情味あるふれあいなど生まれるべくもない。しかしある日、刑務官に業務命令が下りれば、国家的「壁」のもとで執行しなければならない。そのような日が来ることをいつも感じながら、拘置所の日常が存在する。執行の可能性を意識し続け、自分と相手の両方の「壁」に目をつぶり続け、同時に人間としての自分を確保する。それは困難なことだと思う。

■死刑制度

植松が死刑確定囚となって東京拘置所に移送され、そこで向き合う刑務官は、奇妙なことに、「壁」という軸の鏡対称のなかで彼と関係することになる。刑務官は死刑囚にそれなりの物語をもつ。育ちに問題があった人間だとか、誤った思想にもとづいた事件だったとか、精神構造が崩れていたからだとか。しかし植松にはそれがない。彼の「壁」はまだしっかりと存在している。

植松は過去の殺人において手作りの「壁」を心の中につくった。刑務官は未来のいつか、死刑執行を行うとき、国家的な「壁」に身をゆだねる。植松と刑務官は、「壁」を内在させつつ、日常を共有する。食べて、寝て、身の回りのもろもろのことが同じように続く。

死刑執行の時、刑務官の「壁」は、植松死刑囚に見わたせないほど大きな存在となって彼の前に現れる。刑務官は植松死刑囚の心の「壁」が理解できないまま執行に入る。互いに非人間的な構えをかかえたまま執行が終わる。

殺す側の刑務官は相手を理解する物語をもてないまま殺し、殺される側の植松も相手の人間的な意図が見えない。それでは津久井やまゆり園で植松によってなされた殺人と同様の、焼き直しのような殺人(死刑)ではないか。執行が、事件とすっかり裏表の関係となって表れる。

死刑制度と植松の起こした事件が従妹どうしのようであるかのように似てくるなら、結果論ではあるが、死刑制度のある日本社会だからこそ、植松が大量殺人を思い至ったのではないかと思えてくる。実は植松は初めから死刑を覚悟して、架空の物語を描いてきたのではないかとさえ思う。われわれは彼の架空の物語に付き合わされているという可能性はないのだろうか。百歩譲ったとしても、死刑制度がこのような犯罪の抑止にならないのは確かである。

■雨宮処凛の感想

事件をめぐってのいろいろな人の発言の中で、私にとって興味深かったものの一つに、雨宮処凛の記事がある。今年の1月30日、彼女が初めて植松被告と接見したときの感想である。

だけどそれは、法廷では自分を正当化する発言ばかり繰り返していて、面会では事件以外の話題にも触れるからだろう。話していると、狂気と普通さが順繰りに現れた。あまりにも、ナチュラルに。そのたびに、ひたすら混乱した。

同時に、「あなたは間違っている」などと言われると、植松被告がスッと感情に蓋をするのがわかった。先回りして、批判されそうな発言をする際に前もってやっているとわかる時もあった。

姿勢を正し、妙に丁寧な物言いになるとき、「あ、今、心を完全に閉ざしてるな」とわかるのだ。そんな時、目の前にいる植松被告がサーッと遠ざかるような、半透明のカーテンが下りるような感覚になった。

それほどわかりやすく心を閉ざす人を、私は初めて見た。そしてそれは何か、年季の入ったやり方にも見えた。もしかしたら、事件後とかじゃなくて、子どもの頃から植松被告は何かあるとこんなふうにスッと感情に蓋をしていたのではないか。わからないけど、ふと思った。

https://www.buzzfeed.com/jp/karinamamiya/amamiya-vs-uematsu

雨宮が感じたように、植松は厚いガラス窓の内側にそっと心を潜ませていて、その内側からガラス越しに現実感の乏しくなった世界を眺めていたのかもしれない。他人はガラスの表面を彼自身と思いこみ、ガラスにむかって反応する。植松にとっては、ガラスの内側と表面の落差がミラーガラスのように働き、他人を眺める感覚が生まれて面白かったかもしれない。他人が本物の自分でない表面に対してどのように反応するか、いつも気にしていたことだろう。

障害者は彼のようなガラスの蓋などもたないが、そういう障害者が植松は憎かった。あるいは、むしろうらやましかったのかもしれない。意思疎通ができなかったのは、真の意味では彼の方だったかもしれないからだ。

彼は、たびたび障害者の親は疲れ切った顔をしているという。そそくさと施設を帰ろうとする親たちのことにふれる。不思議な表現だ。彼が言いたいのは障害者か、家族か。そこが判然としない。私は、疲れ切った顔を向けられている側(この場合障害者)のことを言っているのではないかと思う。

植松被告の親が彼と別居したころから、彼は親から疲れた顔で見られる空々しい関係にあったかもしれない(?)と思う。別居は彼がやまゆり園に就職する時期と重なる。自分の状況を施設の状況と重ねるようになったのではないか。ほとほと疲れ切り、交際を避けるようなしぐさとは「親」への反発なのだが、即座に否定し、お荷物の障害者というような方向に90度転換させた。

障害者の彼らは、不満であれば直接行動化する。その彼らを支援するのが「私=植松」の仕事だが、植松は彼らほど行動で表現できない。この仕事と自分の状況全体との関係を、彼はうまくつかむことができなかったのではないか。

ことの出発は、植松被告の感情に蓋をするという「くせ」にあったのかもしれない。その「くせ」に覆いかぶさってきたのが、職員と利用者は契約関係と制度が求める関係だった。彼のものの見方はゆっくり破綻し、おかしな方向への構築に拍車がかかった。そんなふうに思う…。

どのような判決が下されようと、それに植松被告がどのような対応をしようとも、私たちは事件を風化させてはならない。なんとしてでも、私たちの身の回りに、再びこのような事件がおきないように営みを積み重ねていかねばならない。殺され、殺されそうになった犠牲者、その家族、殺人現場で傷つけられた職員、現場に駆けつけて動揺した救急隊員、助けようとした医療従事者、植松と暮らした地域の人々、亡くなった人を知っている知人、友人たち…それらの人たちとの見えない糸を紡いでいかねばならない。そのように思う。


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