なんとなくサンネット日記

2018年7月24日

2008年という年

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 7:01 PM

 

雨が降る

■19:44のメッセージ

Sさん。あなたが亡くなって、ちょうど10年になります。月日がたったのですね。長いような、短いような時間でした。

半年入院しているあいだ面会できないままでした。亡くなったと、ある日、突然聞いたのですよ。

どのような病状だったのでしょう。何通かあるとされている遺書はいつ書かれたもので、何が書かれているのでしょう。線香すらあげられず、どこの墓地で眠っているのでしょう。私は何も知りません。

あなたとの関係は、あの冬の入院と同時にはさみで切るようにプツリと途絶えてしまいました。だから残された私(たち)が「真実」にむかってたどろうとすると、目の前には霧につつまれて見通せない回廊しかなく、しかもそれはエッシャーの描くだまし絵のように宙ぶらりんなっているのです。

私はいまでも同じ町に住んでいますから、街角や店を通りかると、ふとあなたを思い出します。まぶたに浮かぶあなたは、いつも別れた時と同じ。冬の町を背景に、長めのコートを着ています。

 

先日、ある集いがありました。私は分科会や講演会を担当しました。その一つに、「あれから10年、ぼくらはしぶとく暮らしています」という題をつけました。どこかであなたを意識していたのです。

にぎやかに過ごしたのですが、あなたを知らない参加者がタイトルを言い間違って、「あれから10年、ぼくらはしぶとく生きています」といいました。私は、ドキッとしました。そして「Sさん、あなたは生きてはいないんだよね」と胸の中でつぶやくのです。意識していたはずのあなたとの境を、あらためて思い知らされました。

 

7年ほど前、Sさんが亡くなって3年たったある日、利用者が使う4台のPCの1台にあったあるファイルが気になり、開きました。ネットに関した3つの短いデータを並べたテキストファイルです。作成された日時からすぐにあなたの作成とわかりました。2008年2月7日19:44。そんな時間に入力できるのは、あなたしかいませんでしたから。

3つのうち一つはサンネットに関するデータ。あとの二つは、“某グループ”に関するデータでした。それを眺め、あなたは某グループとサンネットの間に挟まれていたんだなあ、悩んでいたのだろうなとつくづく思ったものです。

 

もし“某グループ”の現状を、あなたがどこかで見ているなら、驚いていることでしょう。

あなたはお母さん大切にしたいと思っていました。それにつながりながら “某グループ”の「お母さん」もだいじにしたいと思っていたでしょう。それは知っています。だから「挟まれた」のですよね。しかし彼らは「親子のつながり」など何も求めていなかったのです。それはいまならわかるでしょう。

だから、あなたは挟まれる必要も、悩む必要もなかった…私はそう思っています。

 

あの出来事、表面的にはセルフヘルプ活動をめぐった出来事。

あれ以来、私は、福祉に関して別の可能性をいつも考えるようになりました。9・11以来、飛んでいる飛行機がビルに突き刺さるのではないかと想像する人が多くなったように、私は福祉に関して、本来の使い方ではない可能性について、考えるようになりました。

例えば、車イスにのった脳性まひ者の医師、熊谷晋一朗氏は、何にも依存しないで生きられるような人間はいないのだから、「多様な依存先を選択できる状態が自立」なのだと言ったりします(「ちくま」2018年8月号pp16)。すると、私は、ひとりで突っ込みを入れるのです。「この場合の『依存』とは、生命や暮らしにとっての必要性ですよね、他者を支配したいといった欲望のことではないよね。『選択』とは、提供者と受益者が相互に理解したり、理解し合えたりする種類の選択だよね」などと訳の分からぬ但し書きみたいなことを、誰かに向かってつぶやきます。

つまり、〈相手が知らないうちにほしい情報を取得し、あるいは相手が誤解するような行動をし、その結果、多様な情報がまとまった段階で、人に知られずある選択をする〉、それは自立ではないよね、と強迫的に念を押したくなるのです。

考える前提が変わりました。あれは、新しい時代の始まりだったのでしょうか? それとも古い時代の終わりの始まりだったのでしょうか? それを考えるとき、あなたの死はどのような意味を持つのでしょうか。それらは宛先不明の問いとして、霧の回廊のなかを漂い続けているのです。

 

■加藤智大(TK)による秋葉原事件

あなたが入院して亡くなるまでのあいだの2008年6月8日、あの秋葉原無差別殺傷事件がおきました。犯人が青森市出身だということで衝撃が走りました。

社会学者の見田宗介は、40年前の1968年の、やはり青森出身であるNN(永山則夫)が起こした全国連続射殺魔事件と比較して、次のように書いています。

 

40年前の事件については、かつてこれを「まなざしの地獄」として詳細に考察したことがある(が…)2008年の事件についてこれとの対比で見るならば、それは「まなざしの不在の地獄」であった。

アキハバラの犯罪の出発点となったのは、犯人TKが仕事に出てみると、自分用のつなぎ(作業服)がなかったことである。TKはいったん自分の部屋に帰って、自分は結局「だれからも必要とされていなかった人間」であると感じる。(「成熟した人間は、必要とされることを必要とする」エリクソン)(『現代社会はどこに向かうのか―高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018、pp.104-105)

 

見田は、アキハバラのTKもリストカッターも、生きる意味を見失った孤独の衝動的噴出とみています。TKが内向して自分に向かったのがリストカッターの少女であり、リストカットが外に向かって爆発したのがTKであると。

その全体を俯瞰するように、現代人はなぜこのように生きる意味を失ってしまったのだろうと、社会や文明のあり方を老社会学者が問いかけました。それがこの本のテーマなのですが、ごく簡単にダイジェストします。

 

——現代文明に直接つながる2500年前から人間は世界のとらえ方を変えた。2500年前、世界規模で生まれた交易、都市、貨幣というシステムは、人びとの生と思考を共同体という閉域から解き放った。しかしそこには「無限性」という真実(畏怖、苦悩、戦慄)の前に人間が立つことになる。この「無限性」に立ち向かうために、人間は「生と思考」を再構築するのだが、〈未来のための現在〉=〈目的のための手段化〉という思考もそのひとつだった。そのような思考方法が人々の心の奥に植え付けられてきた。

その結果、(現在を否定するのだから)人々は生活や社会のために日々苦闘することになるが、その努力が、未来の豊かな生活、満たされた社会となってわれわれの前に現前するにちがいないという“仮説”に希望を託し、仮説の世界を生きることになった。

ところが1970年代からの欧米や日本、1990年代からのより広範な先進国では“仮説”の虚構性があらわになる。環境問題や貨幣システムの限界といったできごとによって、「無限性」のなかから「有限性」が急に立ち上がったからだ。
現在を否定して未来を求めてきたのに、その未来もないのなら、私は世界に独りぼっちで残されるのだ…。実は、生れてきた意味も、生きる意味もなかったのだろう、と――。

 

見田はこんなふうにもいっているのです。

「加速に加速を重ねてきた(人類の歴史という)走行の果てに、突然(豊かな社会の実現という)目的地に到達して(仮説を失い)急停車する高速バスの乗客のように、現代人は宙を舞う。」(『現代社会はどこに向かうのか』pp.111)

TKも宙を舞ったひとりかもしれません。

中島岳志著『秋葉原事件―加藤智弘の軌跡』(2011、朝日新聞出版)という本があります。表紙は当時TKが派遣労働者として暮らしていた静岡県裾野市の風景写真。国道246号線をトラックや乗用車が走っていて、その向うに工場が見えます。TKは、事件の前年の秋から、トヨタ自動車の関連会社、関東自動車工業で働いていました。

本の帯には、「なぜ友達がいるのに、孤独だったのか?」と書かれています。「加速に加速を重ねてきた」近代の象徴のような工場、自動車専用道路、疾走する車両が映った表紙。表紙から離れた「宙を舞う」帯には「孤独」が書かれるのです。実に象徴的ではありませんか!

 

TKが働いていた関東自動車工業(現トヨタ東日本自動車)は、2020年12月末までに裾野市の工場の閉鎖を決定したと、先日報道されていました。彼が「必要とされていない」と感じたロッカーのある工場全体が、必要とされなくなったのです。自動車産業は全車電気自動車時代に向かって再編合理化を疾走しています。それは投資と消費の再開拓ですが、工場労働者や家族・下請け孫請け・派遣アルバイトは、時代の流れに必死でしがみつかねばなりません。ところが「疾走する流れ」にとってはしがみつかれる必要などなかったりするのです。

 

■2008.9.15リーマンショック

2007年アメリカの住宅価格は下落。サブプライム・ローンが不良債権化し始めました。日本にも影響は押し寄せ、雇い止めが表面化しました。雇用状況が悪化していたことがTKを心理的に追い詰めたのかと問う者もいたのですが、それは関係ないとTKはいいました。しかし、さらに事件後3ヵ月の9月15日、リーマンショックが世界的規模の金融危機を引き起こすと、日本の派遣労働者も絶望的な状況に直面することになりました。

リーマンショックをただの金融危機ではなく、そこに人間が生み出した「無限性」の破綻を読み取ろうとする見田は、「無限性」の由来から語り始めます。

 

球はふしぎな幾何学である。無限であり、有限である。球面はどこまでいっても際限はないが、それでもひとつの「閉域」である。
グローバル・システムとは球のシステムということである。どこまで行っても障壁はないが、それでもひとつの閉域である。これもまた比喩でなく現実の論理である。21世紀の今現実に起きていることの構造である。グローバル・システムとは、無限を追及することをとおして立証してしまった有限性である。それが最終的であるのは、共同体にも国家にも域外があるが、地球に域外はないからである。
2008年「GM危機」は、直接にはサブプライム・ローン問題に端を発したグローバル・システムの崩壊の一環として現実化した。サブプライム・ローン問題とはアメリカの都市の貧しい地域の住宅価格が上昇し続けるはずであるということ、地域の貧しい人びとがその住宅担保ローンの元利を支払い続けることができるはずであるということ、この仮定(とそれから発展した虚構のシステムが…)一挙に崩壊したものである。(『現代社会はどこに向かうのか』pp.13-14)

 

経済的に困窮している貧困層に貸し付けた(非人間的とも思える)サブプライム・ローンに数学・工学的処理をほどこし、分割化・細分化をへて、ローリスク・ハイリターンであるかのように再パッケージしては、商品化されていました。

ここに見られる、金融化、グローバル化、数学化による「無限性」は、平らな「無限性」ではありません。奈落に落ちていくような、あるいは恒星の光が届かない宇宙のはてに永遠に浮かんだままの、そういった種類の「無限性」です。

2500年にわたって広がり、成長してきた「無限性」の破綻が始まる。そして、人間的な「有限性」が大きな歴史物語として立ち現れるのではないか、見田はこのように予感するのです。

 

■ゲーテッド・コミュニティ

今年、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを、是枝裕和監督の『万引き家族』が受賞して話題になりました。昨年、同賞を受賞したのは『ザ・スクエア 思いやりの聖域』という映画でした。(リューベン・オストルンド監督、スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク合作、2017年)。

ザ・スクエアが面白かった”という知人の声に誘われて、映画を見ました。するとここにも2008年が顔を出しています。『ザ・スクエア』のパンフレットにまだ40代の若い監督の次のようなメッセージが載っていました。

 

2008年、スウェーデンにはじめてのゲーテッド・コミュニティがオープンしました。門がついていて、認定を受けたオーナーのみがアクセスを許されるその居住区は、特権階級の人々がどのように自分たちを周囲から隔離するかの極端な例となりました。これは、政府債務増加と社会的利益の減少、ここ30年での貧富の格差拡大と共に、ヨーロッパ社会がますます個人主義になっていることの象徴でもあります。…一体、これが私たちの望む社会の発展なのでしょうか?(リューベン・オストルンド 2017年5月)

 

ゲーテッド・コミュニティとは、門と塀で囲われた地域に住むことで、外部者の流入を制限し、防犯性を高めようとする建築物です。スウェーデンにはじめて建てられたのが2008年なのですね。貨幣システムが伸びきった最先端であらわれたのです。

監督は、「格差、隔離、特権階級」がはっきり見えた2008年を意識しつつ、それを越境するものとして『ザ・スクエア』を撮りました。映画は、移民問題やSNS、格差社会の問題をかかえたスウェーデン社会を背景に、現代美術館のキュレータである主人公が、些細なことから窮地に陥り、不恰好でこっけいな行動を起こしながら、しだいに人間的決断をせまられる姿を描きます。

 

…(自らの主義にもとづいて行動しようとして、躊躇せざるをえない場面に遭遇することがあります。理想と現実の矛盾に直面するのです)本作で、我々は人間の弱さに直面します。正しいことをしようとするときに最も大変なことは、共通の価値観に同意することではなく、実際にそれに従って行動することです…     ( 同 )

 

いろいろな意味が読み取れる映画ですが、私には「関係性がもつ多様性」とでも表現したくなるものが感じられました。「多様性の関係」ではなく、関係性そのものに豊かな世界――論理を超えるもの、非条理の出来事、異質の文化――があって、その多様な世界を不恰好に生き抜くことが、ゲーテッド・コミュニティを超えること、そんなメッセージを読み取ったのです。それは見田の主張とどこか重なるのではないだろうかとも感じています。それはまた別の話ですが…。

 

2008年に思いを馳せてみましたが、さて、Sさん。

私は思うのです。あなたは、2008年2月7日19:44ファイルを記入して、そのあとどのような思いでドアを閉めたのでしょうか。事務所の電気を消し、エレベーターで下り、家路につくときどのような気分だったのでしょうか。

あなたはそのとき病気だったと思います。でも、闇に光るディスプレイに彼らの二つのデータを見ていたあなたは、表面上のデータと病気の症状を超えて、何かを知ろうとしていました。するとデータの奥底から何かが現れたはずです。人間の欲望の深淵をのぞきこむと、谷底から吹き上げるなまあたたかいものにつつまれます。切り立った崖に立って谷底をのぞくと、足の先から引き込まれていくような錯覚に陥るものです。同じような感覚があなたを襲ったのではないですか。

 

…文明的孤独をリストカッターとTKが体現しているとしても、その人々の群れをターゲットにしてしまう人間がいないと言い切れるだろうか。絶望的な孤独に近づき、そこを住処にするもう一つの「サブプライムローン」がないと断言できるだろうか。秘密の手法を門塀でしっかり閉ざし、内側に暴力と憎悪を収めこむ建造物をつくり続ける。それは現代版のバベルの塔ではないか…

 

その時、あなたが見たものは理想と現実の矛盾や躊躇ではなく、あなたの価値観や信頼感、心のよりどころ、深いところの記憶と感情を射抜き、破壊してしまうようなディスプレイからの逆照射だったのではないですか。

2008年。もし、近代の終わりが始まった年だとしたら、彼らの欲望の深淵はその近代の最果てかもしれません。それもふくめて終わりの始まりだったかも知れませんが、2008年、それはまだ不透明でした。

 

あなたが終了させた生は、人間性と関係性にねざした新しい世界の始まりの始まりだった。そう思いたい私がいます。終わりの始まりは生き残り、始まりの始まりが命を絶つ。ポロリとこぼれるような矛盾。

2008年がどのような年だったのか。それはこれからもっと明かになっていくでしょう。その一方、あなたの生と死は歴史の堆積のなかに静かに埋もれるのです。風にそよぐレースのカーテンように、人びとの歴史という風があなたをなぜては過ぎ去ります。何千万回、何億兆回と繰り返しては過ぎていきます。元々が何だったのか、生れていたか死んでいるのか、それすら忘れてしまうかもしれませんね。でも、それはそれでいいのではないかと思います。

私のなかでは、Sさん、あなたはずっとあなたのままです。

だからまたいつか会いましょう。会ってくださいね。

 

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