なんとなくサンネット日記

2009年12月9日

引き下げデモクラシー

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 2:14 PM
柳も師走

柳も師走

 「1990年代の初め頃から、長らく日本人の生活を支えてきた官僚主導体制の機能不全が露わになった」。宮本太郎の『生活保障』(岩波新書.2009年)の出だしだ。90年代初め、バブルとその破綻の時期…たしかにおかしな時代だった。

 ある深夜、横浜スタジアムの近くでタクシーに乗ると、おきつる会館近くのタクシー会社だった。ぼくが帰宅する方向と同じ。車内で運転手と会話が始まった。というか、ドライバーが調子高く勝手に話した。そのうち、ドライバーの彼が、えらく高価な酒を関内の高級店に入れているという話をする。「え!あの地域の社員が、どこかの高級店?」とぼくは胸の中で驚く。下町も山手もなく、高級公務員もタクシードライバーもなく、みながどこかさみしく浮かれていた時代だった。

 また、ある朝、ビル街に延々と続く行列が現れた。ぼくは何ごとが起きたのだろうと思ったのだが、それは宅建試験の受験者だった。「えっ!タッケン?なにそれ?」。ぼくの意識はそんなものだったが、これも同じ頃のことだと思う。

 そのバブルが破綻した。92年頃から野宿者が増加した。上流で大雨があり、川がぐんぐん水かさを増すように、ホームレスは増え続けた。年配者だけでなく若手が増えていく。アルコールなどの問題をかかえた日雇い労働者だけではなくなった。この前までパチンコ店で住み込んでいた夫婦、かなり専門のとび職人、まじめそうな建築片付け仕事をする若者、ネクタイをしている人…。昨年の派遣切りのような風景がその頃から始まった。

 日本の金融会社は破綻し、不良債権に悩まされた。不動産に投資していた都市銀行の行員が自己破産した。そしてリストラ…。
宮本氏のいう官僚主導体制とは、業界・官僚・政治の「鉄の三角形」を官が束ねるという体制のことである。その三角形が、社会・経済をコントロールできなくなっていたのだ…。

 宮本氏は続けて次のようにいう。
 「2000年代に入ると第二の局面が本格化する。官僚支配を一掃し社会に活力をもたらすことを謳って、構造改革路線がおしすすめられるようになったのである。人々は、いったんは「自民党をぶっこわす」という改革イニシアチブに期待した。だが、すでに痛んでいた制度をさらに解体しただけで、それに代わる仕組みを何一つつくらなかった。その結果、貧困と格差が至るところで広がり、人々の生活不安はいっそう強まった」。
この25年間、自殺者数は、意外なことにバブルが破綻した91年、92年がもっとも少ない。1998年から、突然8千人以上も増加し、年間3万人以上の自殺者数となった。今年も3万人越えそうで、そうなると連続12年。ぼくたち日本に住む者は、数多くの自殺者を生み出す不機嫌な時代を共有してきた。

 氏の着眼点は次の点にある。
 ――1990年代からの一連の変化によって、日本社会の生活を守る仕組みが壊れた。日本型雇用システムの上に、社会保障が成り立っていたのに、その雇用システムが大きくゆらぎ、壊滅した。だから、いま求められているのは、雇用システムと社会保障システムを連動し、新しい社会の仕組みを構想することである――。だから、社会保障ではなく、「生活保障」という概念を提示しているのであった。

 著書にはいろいろ興味深い論点があったが、ぼくの関心をひきつけた、一つの挿話が220頁にある。
 2008年のOECDの世界価値観調査で、「貧困がなぜ生じるか」という質問に各国の人はどのように答えたかという話があった。アメリカやオーストリアのアングロサクソン系は「個人の怠惰」にあると答える人が多く、ヨーロッパは「社会の不公正」が多いという。
 日本はどうなのかというと、アングロサクソンともヨーロッパとも韓国とも異なって、「社会の不公正」を上げる割合が最も少ないことだ。そして「わからない」が比較的多く、アングロサクソン系についで「怠惰」が多い。この調査における日本社会の世論の方向軸は見出しにくい。宮本氏はこの結果について次のように指摘する。
 ――人々は途方にくれていると言ってよいであろう。原因が定かでない不安が広がると、「公務員の既得権」「特権的正規社員」「怠惰な福祉受給者」等々、諸悪の根源となるスケープゴート(いけにえ)をたてる言説がはびこり、人々の間の亀裂が深まる…そして「引き下げデモクラシー」が横行する――。

 引き下げデモクラシーとは、現実をしっかり検証するという態度ではなく、やみくもに特権や保護を叩き、これを引き下げることで政治的支持を広げようとする言説であるという(同書28頁)。

 もともとは丸山真男の言葉だそうだが、なるほどそうだろうと思う。まっとうな論拠をもっているかのように見せかけつつ、一方的な論旨で、強引な攻撃をしかけては、いけにえ作りをする言動。そのようなものはよくあるが、社会をつくりあげる創造力にはなっていない。多くの人の知恵と力でつくりあげた価値を、自分勝手に使い込んで、全体を引き下げているのだ。辛口批判のようなポーズをとりながら、実は自己の権益に執着する…。この20年、日本社会にはびこったのは、不安と、それに乗じて広がった構想力を欠いた引き下げデモクラシーだ…。おそらく、引き下げデモクラシーと格差社会は同じ根をもっているはず。

 もうすぐ2010年代が始まる。後世、この10年代が、引き下げデモクラシーの終焉だったといわれたいとつくづく思う。

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