加藤智大(31歳)、秋葉原無差別殺傷事件の被告である彼は、今年の1月、事件について、3冊目の本を出版しました。
『東拘永夜抄』(批評社、2014年)。事件のことは気になっているのですが、つい先日、本屋の棚で見つけるまで、3冊目を出版したことは知りませんでした。題名の「東拘」とは、東京拘置所のことです。
秋葉原事件は2008年6月におきました。そして、2011年3月、東京地裁で死刑判決を受けます。2012年9月、高裁が控訴棄却。現在、最高裁に上告中。未決囚として東京拘置所に収監されています。
彼は、消灯後の眠りにつく2,3時間を、布団のなかで、事件について思い返して過ごしていると述べています。本書の題名は、このような独房暮らしのことです。
事件について、このブログでも2012年1月と2013年5月にふれました。昨年の記事ではこのように書きました。
――自分の内側を知られまいと、一生懸命(本当の)「自分」を閉ざすために本を書いたのかもしれない…彼を虐待してきた母親のコピーとなることで、母を守ろうとしているように思えるので、「自分」が表出するのはそう簡単ではないと思う――と。
マスコミ報道によって秋葉原事件は多くの人が知ることになりましたが、彼の動機は理解しがたいままになっています。「ネット上で問題(=掲示板の荒らし)があったとして、なぜ無関係な人々を無差別に殺傷しなければならないのか」。おとなしそうな、どこにもいそうな青年がなぜこのような事件を起こしたのだろうという疑問、絶望に近い嘆きは、これからも残されたままでしょう。
加藤被告は、検察が犯罪の動機をつくりあげていると主張しています。しかし、事件当時の自分の気持ちの動きを、世間の人にわかってもらうことも難しいと思っています。そのなかで、なんとか「説明責任」をはたしたいと3冊の本を書いているのです。が、本でも、彼の気持ちは十分伝ったわけではないと思います。
加藤被告が「本当の自分」を閉ざしてきたこと、それが事件に由来しているのではないかと私は考えています。3冊目の本を読み終えたいまも、そうです。
「なぜ」事件を起こしたのかは、彼自身、説明困難なようです。起訴前の精神鑑定のため警視庁の留置場で過ごした時期、そのことで悩んだと述べています。
月に数回の精神科医との面接のためにただ留置されていると、全くやることがありません。鑑定留置は3ヵ月でしたが…じっとしているしかないのです。…当然、事件について考えるしかありません…動機や経緯は掲示板での成りすましとのトラブルに対して攻撃を返したのだと大体わかったけれども、しかし、普通の人はそのような一線を超えた「しつけ」は自重するのであり、それを
(ふつうはやらない)
(なんでやったのか)
と、この二つの間をひたすら行ったり来たりするばかりでした。心が溶けていきます。出口は見えません。出口がある気もしません。(『東拘永夜抄』P163-164。以下引用は同書)
■「しつけ」
彼は独特の言葉使いをします。そのなかでも引用文にも出てきた「しつけ」はキーワードです。
実母によって行われた理不尽な「しつけ」に似たことをさす、いわゆる「仕返し」「攻撃」ですが、「しつけ」する側に無限の正当性があるというのがポイントです。
彼が行った重大な行為(無差別殺人)を、「しつけ」という大人―幼児関係の言葉で表現してしまうのですから、彼を理解するには、当然、母親との関係が視野に入らなければならないということです。
事件を起こした彼は、自分には無限の正当性がある、しかし「普通はやらないことをなぜやったのか」という問いに答えられない。それが重要な悩みです。 “自分のなかの正当性”と“死傷事件”との断絶。自分の正当性が世の中には受け入れられないものだということはわかる。しかし自分のなかに実在している「正当性」を否定することもできない…。
この出口のない問いに、直接、向き合うことから離れ、“どうしたら事件に至らないですんだのか”という「予防」について述べたのが、前2冊でした。
今回はやや方向を変えて、 “ともかくこうであった”という「物語」(P3)にしたそうです。「自分史、もしくは回想」とも言っています。心の奥から出てくる言葉の激しさはありません。たんたんとした語り口調で事件そのものと逮捕後のことを中心に物語り、そして、最後は同じ問題にもどります。
事件の真相…一言でいえば、私は、成りすましらを「しつけ」するために、秋葉原の通行人が死傷したという事実を凶器として利用したのです(P178)――と。
彼にはどうしてもこの論理が超えることができません。方向を変え、考えを重ね、言葉を尽くしても、戻るところは同じところ。読者の多くは、ここの一点が了解できないから彼の本を読むのですが、やはり出発点に戻ります。1㎝も前に進んでいないように見えます。
彼は血を吐くように心の内面を紡ぐことができず、心の外側にある “ともかくこうであった”という「心の事実」をていねいに並べようとした、それがこの本であるようです。
■「しつけ」するための「凶器」
彼の奥底はわからなくとも、彼の考え方を理解するヒントが、この本のなかに散見されます。それをいくつか取り上げることにします。
先の引用の“事件の真相…”の結論にある「しつけ」と「凶器」のセット表現は、別の箇所にも出てきます。二箇所を結びつけると“真相”の扉を開ける“鍵”がやや見えてきます。
事件の前年、加藤被告の両親は離婚しました。2007年5月。具体的な理由はわかりませんが、両親にイザコザガ始まり、彼は母にせかされるように実家から出てアパートを借ります。母は、居残った父をこのようになじったそうです。
「あんたがぐずぐずしているからトモヒロが出ていった」と説明したようです。つまり、母親は、父親を攻撃するための凶器として私を利用したのです…(私は母を)「しつけ」をする気すら起きません。私には最初から親などいないのです。そう思って生きることにしました。(P29)
彼は、自分が母の道具(父を攻撃する凶器)にされたと思いました。
「しつけ」する人には絶対的な正当性があるから、「しつけ」できる。「しつけ」される側は、その絶対的な人に従い、あるいは攻撃されなければならない。攻撃する道具は、「しつけ」を徹底させるために「凶器」でなければならず、それは「人、命」であってもよい。このような“世界観”が下敷きになっているようです。
人が道具におきかわる体験、それは現実ではなく、彼の理解にすぎないかもしれませんが、きちんと事件の素材になったということです。事件の前年には被害者として、そして事件では加害者として人を「凶器」にしたということになります。
被害と加害の二重性は「しつけ」のなかにひそんでいたのかもしれません。彼は母に「しつけ」され、「凶器」という道具にされたのですが、成長する過程で「する」側にもなりました。
彼は中学生の時、交際していた女の子に「しつけ」をしたと述べています。それは彼女の「浮気」が原因だったそうです。
私のいう「浮気」とは、私以外の人、物に意識を向けることです。それに対して私は、彼女の顔をわし掴みにすることで「しつけ」をしました。その時の彼女の怯えた目が忘れられません。そして、そんな自分が怖いのです。これは、私が唯一、自分の過去に縛られている件です。誰にも言えなかった本当の苦悩でした。(P30)
■人間関係を切り捨てる
誰にも言えない本当の苦悩。この頃、加藤は、弟とも不仲になり、母親に手をあげるようになります。家族から自立していく時期、同級生の女性の友達ができました。家族の外に、自分の世界をどのようにつくっていくのかという青年期の始まり。そのときに、彼女の顔をわし掴みにするという「しつけ」をしてしまった。これは不幸なできごとでした。
怯えた彼女の目のなかに彼が見たのは、怯えている幼い頃の自分の姿だったのではないでしょうか。彼はこの時、母の行為の真似をし、同時に自分の姿を見てしまった。
「真実」を見てしまった以上、彼は母のようにもなれず、子どもの自分にも戻れず、世界から切り離れてしまったのかもしれません。切り離れた感覚が彼を縛り続けてきたのかもしれません。
それは「本当の苦悩」であり、誰にも言えないことだったのだろうと私は思うのです(ただ、もし、この苦悩を話すことができたら、事件につながらなかったのではないかと私には思えるのです。人間を道具にしてしまう「しつけ」の世界から脱出できたかもしれないと…)。
彼の苦悩は、厳密には、苦悩を語れない(聞いてくれる人がいない)という苦悩でした。すると、どうせ語れないなら、苦悩などあたかもなかったように心の奥に埋めてしまおう、というふうに進むのが自然です。
彼は事件後の取り調べで、刑事にいろいろなことを聴取されたときのことを述べていますが、まさにそのことです。
取り調べは続きます。
「家はどんな感じだった? 親は? 嫌なことはなかったか?」
嫌だったことなど、いくらでも出てきます。普段は意識しませんが、関連するキーワードを見聞きしたり、似たような状況に置かれたりすると、思い出して、嫌な気分になるのです。しかし、それを人に話すのには抵抗がありました。理由は、よくわかりません。たまにはポロッともらしてしまうことはありましたが、基本的には「守ってきたもの」です…私は過去の嫌なことはその人間関係ごと切り捨ててきました。(P141)
あるできごとをなかったように、「人間関係ごと切り捨て」れば、切り捨てたもうひとつの一端につながっている自分自身も切り捨てることになります。子どもの頃から世界から切り離れた感覚に襲われているのですから、自分を捨てることは、それと連続したことであったかもしれません。切り捨てることによって身軽にもなるという利点もあります。
自分を捨て、人間関係を捨て、記憶を捨て、この世界から切り離れても、なお「守る」ものがありました。このことは重要です。何を守ってきたか、彼は語っていません。
しかし、「守る」ものとは何であったか、彼は語らねばならないでしょう。大きな事件を起こしたのですから。でも、それを語ることはたいへんむずかしい。多くの被害者の生命と釣り合う「守る」ものなどありえないからです。人の命はどのようなものとも替え難いものです。
ですから事件を起こすということは、「守る」ものも失うことを意味していました。無意識的に、彼は「守る」ことの重さから逃れたかったのかもしれません。いちばん初めに切り捨てた人間関係、もっとも古い記憶の「重さ」に関係しているのでしょうが…。
■世界から切り離れる
自分という人間がどのような人間で、自分をどのようにコントロールするべきなのか、自分を理解していなかったことが問題なのです…「ま、いいか」とポジティブで、「とりあえず」と物事を深く考えなかった「無反省人生」(P4)が問題だったともいいます。
彼の言う「ポジティブな無反省人生」は、楽天的な「なるようになる」とは違います。ゲームのリセットと同じく、消去です。嫌なことを忘れるという意味での「ポジティブ」「無反省」です。リセットが常態化されれば、自分の連続性も失われます。
社会との接点をすべて失えば、孤立状態です。それは、死んだも同然です。(P34)
私にとって、社会との接点が失われるのは、それこそ自殺してでも逃れたいと思うほどの苦痛です。(P70)
本のなかには、「社会との接点」という表現がたくさんでてきます。一般的な言葉です。普通は、ある人が社会の「なかで」存在しているけど、そのなかで特に強いつながりの部分を「接点」と比喩的に表現します。ところが、彼の使い方は、図形における接点のような、文字通りの「接点」であることに注意を払う必要があります。
それは、自己が社会から切り離されていることを前提にした「接点」。ゲーム世界が自分の部屋と別であるように、コントローラーとディスプレイが二つの世界の接点であるかのように、彼は社会から切り離れているのです。
あるいは、地上何百キロメートルの上空でひとりただよっている宇宙飛行士のように、地球世界から切り離れた「状況世界」かもしれません。
その飛行士は地上に帰ることはできず、彼をバックアップするロケットも地上の管制基地もありません。宇宙服に身をまとい、わずかばかりの道具といっしょにひたすら漂っています。
目の前に広がる地球は、飛行士も含んだ「われわれの世界」ではなく、飛行士を除いた、そちらにある「あなたがたの世界」のように見えるでしょう。
孤独な宇宙飛行士にとっては、ときおり生まれる地上とのランダムな交信はおおきな楽しみです。それがあるから生きている実感があるというものです。空気や水と同じ、生命の維持にとっての必要物です。生命を維持するため、あるいは自分の必要物を失わせようとする人物を「しつけ」るため、ときとして、一人ぼっちの飛行士は、手持ちの小型ミサイルを地上に向けて発射することだってあるでしょう。
その場合の問題は、地上にいる「われわれ」はそれをとめる手段を何ももっていないということなのです。
(了)
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『週刊現代』(4・28号)は、彼の弟が2月中旬ごろ、関東方面のどこかで自死したと報じました。弟は1月に、同誌に、A4判250枚の手記を送っていたそうです。その手記で、秋葉原の事件で職を失った悲しみについてふれています。
「(事件当日アパートを抜け出したが)職場を失うのがつらかったことを覚えています。あの会社は社会との唯一の接点でした…」
彼もまた「社会との接点」で戦っていたのです。私は無念な思いがします。合掌。