なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2013年10月3日

自己否定するシステム――マネー資本主義

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:21 PM

 

ここにも創発性が

『里山資本主義――日本経済は「安心の原理」で動く』(藻谷浩介、NHK広島取材班、2013、角川oneテーマ21)は、地域活動をしている人におすすめです。新しいビジネスモデルを求めている人にも、です。http://www.kadokawa.co.jp/sp/201307-04/(ウェッブ角川)

本の表紙には、里山資本主義とは、「かつて人間が手に入れてきた休眠資源を再利用することで、経済再生、コミュニティー復活をはたす現象」とあります。

木屑発電、高層建築の素材になる集成材などについての実践報告は「目からウロコ」です。岡山の真庭市、広島の庄原市、山口の周防大島さらにオーストリア…。

里山資本主義の対極にあるのが、マネー資本主義。これもNHKの造語ですが、全世界を席巻している現代の金融システムのことです。

日本総合研究所の研究員である藻谷浩介氏は、マネー資本主義について、テンポよく批判します。里山資本主義のことについてもふれたいのですが、今回は、マネーの方についてちょっとふれます。

(マネー資本主義は)お金さえあれば何でも買える社会、自然だとか人間関係だとかの金銭換算できないものはとりあえず無視していても大丈夫、という社会をつくりあげ(た)。ところが繁栄すればするほど、「食料も資源も自給できない国の繁栄など、しょせん砂上の楼閣ではないか」という不安が、心の中に密かに湧き出す。…全体の繁栄が難しいということになると、誰かを叩いて切り捨てるという発想が出て来やすい。官僚がけしからん、大企業がけしからん、マスコミがけしからん…と切り捨てる側の気分で叩いてきたが、そのうちに、「自分こそが、そのけしからん奴らから巧妙に、切り捨てられる側なのではないか」と疑心暗鬼になる人が増えてきた。…さらにはその不満を共有しないように見える(うまい汁を吸っているのではないかと思われる)一部の日本人に対する不信、日本を叩くことで自国の繁栄を図っているのかもしれない(!‽)周辺国に対する不信となって、蓄積され始めた。

…いよいよ今度は日本全体が、切り捨てられる側になってきたのではないかと不安に思う層が増え、不安・不満・不信を共有することで成り立つ疑似共同体を形成し始める。…(疑似共同体から)はじき出されないためには…不安・不満・不信を強調しあうことで自分も仲間だとアピールするしかない。つまり疑似共同体が、不安・不満・不信を癒す場ではなく、煽りあって高めあう場として機能してしまう。(p252-253)

現代の金融システムの無慈悲さ、問題性を非難する声は大きいのですが、なかなか変わりません。それは、ダムとか空港とかといった公共物のように、私たちの生活から独立した、目に見えるものではないからです。マネー資本主義を変えようにも、私たちの暮らしがその中に組み入れられてしまっています。

ここでは、「金/自然・人間からの乖離 ⇒ 不安 ⇒ 他者への攻撃・疑似共同体 ⇒ 煽る場」というふうに、システムが一人ひとりの心のあり方や集団を方向づけることを説得的に展開しています。

では方向づけられた集団はどこにむかうのでしょう。

マネー資本主義に染まった人間共通の病理がある。目先の「景気回復」という旗印の下で、いずれ誰かが払わねばならない国債の残高を延々積み上げてしまうというような、極めて短期的な利害だけで条件反射のように動く社会を、マネー資本主義は作ってしまった。…皆「自分たちの今が何よりも大事」「後のことは後の世代が何とかするので私は知らない」としか言っていない。困ったことにそのような社会では、内心で自分たちの明るい未来を信じなくなる。(p280-281)

人間と人間社会をむしばんでいるマネー資本主義は、この辺から、システム自身をむしばむように見えます。「攻撃を煽り、刹那的な場(社会)⇒ 明るい未来の確信をもてない ⇒ 不安の再生産」とつながり、金が明るい未来を与えるかのように始まったはずのマネー・マジックは一転し、未来を否定するのです。その否定はさらに押し進みます。

少子化というのは結局、日本人と日本企業(特に大都市圏住民と大都市圏の企業)がマネー資本主義の未来に対して抱いている漠然とした不安・不信が表に出てしまったものなのでないか…。未来を信じられないことが原因で子孫を残すこともためらうという、一種の「自傷行為」なのではないかと」(p287-288)

「再生産される不安 ⇒ 自然から乖離する人間、自傷的な人間の再生産」。つまり人間すら否定していくのです。

だから、と本の著者たちは、里山資本主義の実践活動を学び、その暮らしのありようを、一人ひとりが思い描き、それぞれの暮らしの場で大きく舵を切らなければならないと説いています。確かにその通りです。不安の原理ではなく、安心の原理に。

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