えっ!それで、どうしようって聞かれても…む、む、む、む。どうしようか。
困ったなあ。こんなとき、気のきく人ならどう答えるんだろう。「そうだね、悩んじゃうよね」って相づちをうつんだろうか。
それとも、「時間をかけて決めたらいいよ」と、どうでもいいことを話すのだろうか。
どうしたらいいか、ぼくにはわからないなあ。わからないから、関係がないいこと話そうかな。
…実は、このあいだ、若い友だちから、ある会の趣意書が送られてきてくれたんだ。
それは、生きづらさに困っている若者に手をかそうと、熟年世代に呼びかけた文書なんだけど、それがすてきだったんだ。ちょっと読んでもいいかい。こんなことが書いてあるよ。
若ものが、見栄や虚勢を張って、意気がり強がり知ったかぶりをして認められようとする必要のないこと――ありのままの自分を自然に正直に安心して、生きていけばいい、生きていけることを――示すことのできる、時間と知恵と気持ちのある、人生熟練世代の方々の参加協力を強く願う。(ルイ・アラゴン「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」)
ここではいろんなことを言っているよ。見栄や虚勢を張って生きる生き方と、ありのままの自分として生きていくことには違いがあるということでしょ。
そして、その違いを「示せる」には「知恵」が必要だし、人生に熟練した人でも「時間」が必要なんだということ、だね。
さらに、生き方にアプローチしようとしたら、「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」ということが分かるセンスが必要…ということなんだろうな。すごい言葉だと思わない? ね!
こんなことを語る熟練世代と格闘している若い人から教えてもらったんだ。語りながら、老いも若きもいっしょになって、若者を支える場を作ろうとしているんだよ。いいね。
選ぶのではなくて、つくっていこうと苦労すること。これだよ!
うん? 「だから何?」って言うの…む、む、む。う~ん…。
……
まあ、お茶でも飲もうか。