江戸時代に伊藤若冲(じゃくちゅう)というすてきな画家がいたということを、海原猛さんの本を読んで知りました。
絵を見てみると、どこかで見たような気がするなあ、という程度の記憶はありました。
今回、海原さんの話を読んで、なるほどそうだったのかと感心した具合です。つまり、私にはまったく絵の鑑賞眼がないということです。言葉で、これこれだよといわれると、ほほー確かにすごい絵だなあ、なんて思うのですから。
彼はこの本で、「草木国土悉成仏」という日本文化に着目しよう、西洋技術文文明を批判し、越えようと訴えています。
それが、大震災・原発事故後を生きる私たちの努めだろうということです。確かにそうかもしれません。以下は、『人類哲学序説』海原猛、岩波新書、2013年からです。
伊藤若冲は、江戸時代の人です。京都の青物問屋の息子で父が亡くなり、跡を継ぎました。しかし、商売は自分に似合わないと言って弟に跡を継がせて隠居し、自分は絵描きになります。円山応挙と同時代の人間です。…
若冲は、京都・相国寺の大典和尚と大変親しく、その大典和尚のために相国寺に画を寄贈しました。それが「動植綵絵」です。まことに素晴らしい絵です。…いまは宮内庁三の丸尚蔵館所蔵です。
この「動植綵絵」は、相国寺にある「釈迦三尊図」の左右を飾る絵として描かれたものです。釈迦三尊というのは、真中が釈迦如来で、向かって右側が文殊菩薩、左側が普賢菩薩で…す。
その絵の左右を飾るのが「動植綵絵」ですが、これが三〇幅もあります。
それらが…三幅の絵を中央にして左右を飾るものです。三三だから観音菩薩の信仰を表す。観音菩薩というのは三三ものいろいろな姿に変わって人を救う仏です。
そう考えると、「動植綵絵」の動植物はすなわち観音だということになります。それら動植物が仏教の慈悲の心を表して、人を救っている。
つまり、植物も動物も、そのようにして人を救うのだと、そういう思想が若冲にあったと思います。(178‐179)
「池辺群虫図」です。
水の近くに瓢箪があって、その瓢箪をさんざん虫が食い荒らしている絵です。
左では毛虫が這っていますが、すべての瓢箪が食べられているところです。しかも、よく見ると左上の方に蜘蛛の巣が張っています。
そこに蝶が引っかかっている。蝶だけでなく、蜻蛉(トンボ)や蜂なども蜘蛛の巣に引っかかっている。
そしてまた、蛙がいて、蛇がいる。蟻も描かれていますが、その蟻は蚯蚓(ミミズ)をたべている。
…このような食い合い殺し合いの世界を若冲は大変華麗な絵画に仕上げている。
つまり、そういう世界であるにもかかわらず、この世界は素晴らしいのだと、若冲は言おうとしているように思うのです。
(ルイ・アームストロングこの素晴らしき世界」 (“What a Wonderful World”)をほうふつとさせながら、もっとシビアで、かつ小さな虫たちの世界から描く若冲の世界は、“仏教的”なのでしょうね。あるいは“日本的”なのかもしれません?でもよくわかる気がするのです。)