なんとなくサンネット日記

2013年1月26日

求めるとき、そこに自由が実現する

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 11:49 AM

毎朝ご苦労さまです

歴史上、さまざまな解放の思想が存在しました。典型的には革命論ですが、最近の極端な市場主義なども含まれます。それらはしばしば現状に対する激烈な批判をもっていました。現状では私たちの自由がこんなにも奪われ、束縛されている。だから今の秩序を壊すべきだという主張として出されました…

 

…問題は秩序を壊して解放された結果、本当の意味での自由が実現するかどうかということです。現実には、単なる無秩序が出現したり、逆に抑圧体制が生まれてしまったりします。

 

 …ですから、私たちがこれから抵抗の自由を行使するにあたっては、もう少し周到な準備が必要だと思っています。自由と権力とを対立させてとらえるのではなく、自由を実現するための権力、自由を支える政治といったものについても考える必要があります。それは、革命思想のように華やかなものとはならず、おそらくもっと地味なものでしょうし、一つの論理によってきれいに貫かれたものではなくて、いつくかの対立するものを妥協させ、不器用につなぎ合わせたものとなるでしょう。

 

 もう一つ、さらに突き詰めて考えていくと…もしも本当に自由な状態が実現してしまえば、そこでは抵抗の必要はなくなるわけです…究極の自由な状態…(を)想定してしまうと、実は自由の大切なところが見失われてしまうのではないか。

 

 自由とは、完全な意味では実現できるものではない。そのことを、まずは認めたほうがいいと思います。かといって、完全に実現できないのなら、自由には意味がないのかというと、そうではありません。自由を求めることにうちにこそ、自由の重要な本質がある。自由を求め続けるからこそ、政治が必要になります。そして、政治が存在している限りで、自由は実現しているのです。自由の必要性を否定したときに、政治もまたなくなる。そういうものではないかと考えています。(『政治的思考』、岩波新書、2013年、P123-125)

 

これは法政大学の政治学者、杉田敦氏の自由についての議論の一部です。杉田さんの主張は、一貫していて、政治的な課題について、自分の外側にあるように考え、語ってしまうと、政治の、もっと広くいえば人間の営みの本質から目をそらすことになる、というものです。

自由も、権力も、どんな政治的な課題も、私たちはその問題だらけのなかで暮しているし、私たち自身がその問題を支えもしている。そういう、人間に対するあたたかみある見方が必要でしょう。このような見方に立ちながら、切実に自由を求めるのです。つまり、

身近な人と語り合う。もっとより良い地域を築こうとする。家族との関係をより良いものにしようとする。いまいるその場で、その場をよりよく変えたいと願う。愛情をもって…。

このとき、リアルな「自由」が立ち上がってくる…その人の人生をよりよく彩る知らせをともないながら。

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post.

Sorry, the comment form is closed at this time.

Powered by WordPress