なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2010年8月9日

極楽トンボ

Filed under: つぶやき — toshio @ 10:40 AM
人のいない庭

人のいない庭

風子  なぜ、『上から目線』という言葉が嫌いか、わかったわ! 上から目線って言えるということは、その人はもっと上から見ているってことなのよ。 

陽平  うん?

風子  だって、そんな言葉は使わないで、「偉そうに言っている」とか、「評論家的な発言の仕方だ」といえばいいじゃない!なのに、そういう言葉を使うには意味がある。その意味が、私の嫌な理由よ。

 陽平  ああ、確かに「上から目線」という言葉には、それで、話を打ち止めにしてしまう響きがあるね。「偉そう!」と言ったなら、そこから話が始まる。どういうところがそう思う?とか、この言い方はこういうふうにおかしいとか…。

 風子 「目線」という言葉は、演劇や映画などの業界で使われていたの。監督などの第三者が、俳優の演技を練り上げていくときに、外側から投げかけたのよ。「目線を上に向けて」とか「目線を合わせて」とか。だからもともと第三者の言葉なのよ。上からの目線で見られている本人が、上からだと思うわけがないでしょ。おかしいわ。 

陽平  カメラ目線、という言葉がはやりだしたのはいつからだろうね?あれもテレビで使われて、日常用語になっていったと思うけど。

風子  視線とかまなざし。まっすぐに見る、遠くを見やる、見下す、目を落とす…そんな人間関係のひだに触れるような表現を脇に追いやって、言動の中身を明らかにせずに、「上から目線」というレッテルを貼りつけて、「おしまい」みたいな…そんな言葉って、嫌いだな!

陽平  昔の本を読み直していて、ちょうど、面白いところがあったよ。建築家の宮内嘉久が、1972年に横井庄一さんがグァム島から帰国したときに書いている文章なんだ。 

風子  ふうん。 

陽平  戦後28年間、日本兵として生き抜いてきた横井庄一さんは、帰国してマスコミに向かって天皇について語るんだ。そうすると、その言葉を受けとめる私たちは、戦後28年間、この戦争をどう総括し、天皇制についてどうアクションをしてきたのか、ということが、その光景のネガとして浮かび上がったと宮内さんは考えたらしいんだ。 

風子  へえ。

陽平  そうなると、横井さんとの落差を、「文化人」はとらえていないのではないか、という批判になる。横井さんは立派な兵隊だったとか、天皇が彼をむかえるべきだったなどの意見は取るに足りないことになる。そして、最後、当時32歳の篠山紀信にたいして、46歳の彼はこんなふうに言っている。これは「上から目線」を完全に越えていると思うよ。 

 しかし、大方の反応の中でもっともひどい例は、篠山紀信という写真家の発言でした――「パラダイスみたいなグァムでの生活こそ羨ましい」と(毎日新聞1972年1月26日)。ふざけるな、オタンコナス、極楽トンボめ。… (「廃墟から 反建築論」、晶文社。1976年。P156)

 風子  宮内さんの「オタンコナス、極楽トンボ」という罵倒はかわいい暴力という感じ…。でも、「上から目線」という言葉にある暴力性は、それをそれと認めてない二重の暴力性があると感じるのよ…。それには冷たい怖さを感じるわ。

陽平  なるほど、そうだね。そう思うよ…。(終わり)

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