私たちは06年、いっしょに暮らしはじめました。
ワーカーズコレクティブハウス(Workers Collective House)とは「働く仲間・共同体」という意味です。
お金を稼ぐ労働ばかりでなく、仕事はたくさんあります。
ここには「生活と人生をワーク(仕事)するその仲間」という意味をこめました。
「仲間」とは誰もが主人公ということ。
誰もが助け、助けられ、強い者と弱い者は区別されません。
誰もが弱く、そして強いという事実を認め、対等に、苦楽を分かち合う仲間としてありたい。私たちは、そう願いました。
鎧を着て、身構え、敵と闘い続ける生き方をやめたいと思いました。
あきらめて、投げやりに、人を恨む暮らし方を変えたいと望みました。
一人ぼっちでブルブル震え、縮こもる日々から逃れたいと決めました。
私たちは今までとは違う生き方や暮らし方を決心しました。
「ひいらぎ」の約束事。
一人一人は完全に独立した個人です。
誰かを支配したり、されたりするゲームから、私たちは自由になります。
人を軽視し、一人前の人間として扱わない態度を拒否します。
露骨なあるいは微妙な介入と支配を拒みます。
他の人から世話されることを期待しているわけではありません。
自分の生活は自分で責任をもちます。
非難、皮肉、揶揄、意味ありげな言い回し、決めつけ…こういったことから遠く立ち去ることにしました。
自分たちの気持ちを自由に話すことを尊重し、促しあいます。
希望、願い、自分に対する自信、連帯し広がるこころ…を大切にします。
悲しみ、悩み、憤り、悔しさを分かち合います。
たがいの価値観を認めて、その人らしい考え方やスタイルを尊重します。
憎しみ、わだかまり、従属や支配への憧れと恐れ…これらを後ろに置いて、前に歩もうと決めました。
自分の問題や課題を自分だけで解決しません。
それは、仲間との結びつきによって解決するからです。
自分自身の問題を考えます。感じます。体験します。
自分の問題を仲間に話します。仲間の問題も聞き、肌で感じます。
何をするかではなく、どのように分かち合うかのなかにこそ「仲間」の命が宿るのです。
私たちは家族であり、家族でなく、それ以上の「仲間」。
私たちが作り上げていく関係が、やがてはこの世界全体とつながっていることを実感し、かけがえのない世界であることを理解するかもしれません。
「仲間」は、私たちを創り出してくれた世界の一部なのですから。私たちはこのような思いをこめて歩んでいます。
(4年前の6月29日、グループホームをめざしてこのようなメッセージを自分と仲間に伝えました。(案)ということで草案を書いたままです。はじめてみると、思いのようにはうまくいかず、悩みと苦労を重ねました。いまも案のままですが、やはり気持は同じです。)