なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2010年6月27日

〈私〉の時代 №2

Filed under: つぶやき — toshio @ 3:05 PM
初夏の新町通り

初夏の新町通り

 今朝、東奥日報を見ていたら東京で読まれている本の第2位が、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』でした。(2009年.訳者鬼沢忍.邦訳2010年.早川書房)

 NHK教育の日曜日夕方放映されている『ハーバード白熱教室』の政治哲学者マイケル・サンデルの著書。しかも、第2位とは…驚きでした。

 「正義の話」が多くの人の注目を集めているということですね。その一方で、私たちの周りで「正義」についての話などありません。「正義」はわかりにくく、語りにくくなっている、その一方で知りたい、語りたいという両面があるということでしょう。

 かつて、正義などの本質的な価値は、大きな声で語られていました。神や仏、人間中心主義、社会主義、市場原理主義、自己選択、共同体。それぞれの価値と立場から、望ましい未来と社会が語られ、人間のあるべき姿が議論され、衝突し、模索されていました。正義を支える役者(思想や価値)は、わたしたちの社会という舞台に現れて、去っていきます。そして、まるで、祭りのあとのもの悲しい時を迎えたかのように、この20年ほど正義は語られなくなりました。

 孤立している〈私〉たちは、どのような「正義」の支え手を見つめているのでしょうか。あるいは誰もいない舞台をながめているのでしょうか。〈どこかのあいつら〉の不正義さをあげつらねることで、〈私〉たちの「正義」は証明されるとでも思っているのでしょうか?正義について語るための材料は失われ、私たちは手元ぶさたのまま、ぶらついています。

 本の帯には社会学者・宮台真司氏の言葉が印刷されていました。

 「1人殺すか5人殺すかを選ぶしかない状況に置かれた際、1人殺すのを選ぶことを正当化する立場が功利主義だ。これで話が済めば万事合理性(計算可能性)のうちにあると見える。

 ところがどっこい、多くの人はそんな選択は許されないと現に感じる。なぜか。人が社会に埋め込まれた存在だからだ――サンデルの論理である。」

 興味深いです。画面のなかのものを画面の外側から選択するように、この選択はできないというのですね。なぜなら、選択されるものと選択するものが同じ社会のなかの同じ部分どうしだから…。なるほど…その同じレベルから、正義を語る視点を生み出すのです。どうなりますか、刺激的です。

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