なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2010年6月11日

風と夏

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:13 PM
カッコーが聞こえる畑

カッコーが聞こえる畑

 『ぼんやりの時間』(辰濃和男. 岩波新書.2010年.P80-81)にこんな話がありました。 

 臨済宗の禅師・山田無文(1900-1988)は若い頃、結核にかかりました。ある先生のところに入門し、修行を続けている時でしたが、医者からは「もう治療の方法がない」と見放されるほどでした。

 無文は故郷(愛知)に帰り、寝て暮らす日々が続きました。近所の人は家の前を避けるように走って通りぬけます。体重は37キロにまで落ち、世間から見捨てられ、もう死ぬしかないという気持ちになってきました。

 その日、さわやかな初夏の日でした。久しぶりで縁側まで這っていくと、庭の片隅に南天の花が咲いていました。すずしい風が吹き、南天の葉が揺れます。こんな気持ちのよい風に吹かれるのは何ヵ月ぶりだろうと、ふと思いました。

 …風とはなんだったかなあ、空気が動いて風になるんだったな。そうだ、空気というものがあったんだ。生まれてから二十過ぎまで、病気で寝こんでいるいまも、空気があるから生きつづけることができたんだ。それほど空気のお世話になりながら、そのことに気づくことがなかったんだ。

 大きな力が、一秒も一分も自分から離れず、じぶんを育ててくれてきたのです。「治れ治れ、生きろ、生きろ」と励ましてくれている、と無文は思ったのでした。

 「ああ、ひとりじゃなかった。孤独じゃない。大いなるものが片ときも離れず、わたくしを守り育ててくれている」。このときの心を詠んだ歌がこれです。

  大いなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさにしる 

 …なるほどなあ、確かに風はいろいろなかたちで私たちを守ってくれているけど、そのことに気づかないで過ごしているなあと私は反省的に読みます。そして、風についての私の思い出をふりかえります。夏休み、色紙を水に溶かして遊んだ木陰を吹く風…。台風が近づいて休校になり、雨はまだ降らず、雲はちぎれるように流れ、風の強まる帰り道…。友だちとカヤのなかではしゃいで、おしゃべりして、ふうと吹いてきた風…。

 風、そのものの思い出が少ないことに気づきます。しかも小学校以降の思い出になると、視覚の思い出がまさってしまい、風は定かな思い出にはなっていません。

 きっといつの時期からか、私は、風を、そして大いなるものを、忘れながら、生きてきたのかもしれません。

 いまは初夏の気もちよい季節。せめて今晩くらいは、風を、感じましょう。

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