なんとなくサンネット日記

2019年9月28日

公開交流会という試み

Filed under: お知らせ — toshio @ 10:32 PM

02年セルフヘルプクラブの立ち上げ

■公開交流会に参加します
10月2日東京で行われる「公開交流会(仮)」にサンネットから5人で参加します。何の交流会なのか、どうして公開なのか、意図は何か、そういう説明のない題名の集会です。なぜ題名がないのか。それは、方向性の合意をつくっていく過程にあるからです。

東京の2ヵ所、京都の1ヵ所のグループとサンネット青森の私たちの4つのグループが、顔を合わせ交流する、それを公開する集いです。内容は、それぞれのグループの活動を紹介する、そして相互理解を深めることです。

京都の前進友の会の江端さんは、作業所交流会(仮)という名前をつけて宣伝しています。集会の名前すら、別々なのですから、自由というかマイペースです。江端さんが「作業所」としたのは、内向きになりがちな「交流」を「公開」することで外向きの方向をつくれたら、その外向きの方向を、いろいろな「作業所」、あるいはデイケアなどにいる当事者に届けたいという思いがあるからでしょう。
http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-2019-1002.html

「方向」というのは、4つのグループの歴史や経験に関係しています。患者会というポリシーで活動してきたグループ。当事者のペースを大事にしようとしてきたグループ。いずれも自分たちのスタイルにこだわり地域で活動してきました。

私たち以外の3つのグループは、作業所になる前の活動を含めると30年、40年の歴史を重ねています。全国的な運動に関係していたところもありますし、歴史と経験の厚みは格段に違います。

当事者仲間の協同性をたいせつに、地域の具体的な活動拠点、というところはサンネットと共通しています。当事者が協同できる場を日々運営してきたというのは同じです。

その経験を何とか形にして、外部の人々にむけて発信できないかというのが、公開交流会の目標といっていいと思います。

■サンネットの経験
サンネットは始めた時から、協同の場を作りたいという思いをもっていました。サンネット(SAN Net)のSはspeak outのSです。往々にして、当事者は、どういっていいかわからない、言ってはならないと強いられる場面におかれます。そして話すことに意味を感じなくなります。それではいけない、遠慮なく意見を言える場をつくろう、みんなで発信して地域を変えたいと思い、スピークアウト(=はっきり意見を言う)という言葉を選んだのです。

写真は2002年9月、サンネットのセルフヘルプグループを立ち上げたときのものです。「サンネット開設3周年、感謝の集い&祝セルフヘルプグループ立ち上げ」でした。代表の狭間さんはいささか緊張していました。仲間のグループといっても何をやったらいいだろうか、どうやったらいいのか。金銭管理や事務は? スタッフの立場の私もいっしょにみんなで悩んだ何年かでした。

協同の場づくりは、ある時から、突然、状況が変わり、こんな意見が出るようになりました。

「したいことはあるけど、今は言わない」「みんなと一緒にやらせるのはおかしい」「自分の得意なことをしたい」「話すことを強制されたくない」……。このような「感覚」が力をもつようになりました。

話すことへの抵抗、未熟さ、と思っていたのですが、そうではなく、当人が考えたいろいろな手法を隠すシェルターだったのです。セルフヘルプグループはわずか5年で解散に追い込まれました。母体であるサンネットは組織を維持するために、当事者の役割を限定すらしなければなりませんでした。

手法を隠す手法、そういうことだったと理解するのは、何年もたってからでした。この手法は、通常のビジネス的手法といっていいと思います。

当事者の正直な語りを核に、仲間が協同して自分たちの意見を積み重ねていこうとするなら、ビジネス的手法は排除しなければなりません。生態系や環境を守るため、開発的な事業活動に規制をかけることに似ています。しかしどのような方法、スタイルがいいのでしょう。

この10年余、このことを考え、模索していた気がします。問題に踏み込んでアプローチしようというのが、今回の交流会に参加する私たちの決意です。

■当事者が気持ちよく暮らすために
当事者のよりよい生活が実現するためには、個人の十分な権利行使が第1にあるべきで、仲間とか地域とか協同とかは結果としてあらわれる次元であるととらえる考え方もあります。制度や政治的な課題をとらえるには、この考え方を基にするとスッキリと理屈づけられます。しかし、よき未来、よき人間関係を描こうとすると豊かさに欠けます。

確かめたわけではありませんが、4つのグループの立場はいろいろでも、個人の権利実現を考えの起点・終点に置くのではなく、仲間・グループのありようからいろいろなことを発想してきました。仲間・グループのありようを基礎に社会改革の活動をつくる。グループのありようを守るために戦う。ありようから生まれる文化・関係を大切にする…。このような視点から制度や政治的な課題を描こうとすると、ややこしくなり、歯切れの悪さが目立ちますが、リアルな未来や人間関係を語るには必要なことです。

4つのグループの互いの経験をすり合わせれば、合計100年以上もの「生身の経験」を再経験することになります。当事者が主体となるための血のにじむような模索。毎日の暮らしの中での格闘。支え、話し、闘い、疲れ果て、何度も立ち上がってきた日々。どのような暮し方、生き方であっても、たびたび挫折するにせよ、多くの人は他者を守り愛を与えようとし続けています。だからこそ、ここには、深い、だいじな課題が存在しています。

このような経験をすり合わせるためには、独自の言葉が必要です。それを私たちは獲得しているわけではありませんからどうなるかわかりませんけど、照らし合わせ、交差させることからどんな世界が垣間見られるでしょう。楽しみです。

仲間が協同していくための道標を共同して考える、その始まりになるように願いつつ、私たちは東京に向かいます。

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