なんとなくサンネット日記

2019年7月25日

タナハシ・コーツの語りを聞いて

Filed under: つぶやき — toshio @ 1:45 AM

 

スカイツリーが無かった頃

『ニューヨーク公共図書館』はフレデリック・ワイズマン監督のドキュメント映画。2015年の秋、12週間の撮影の後、2017年に公開された作品である。ようやく当地でも上映されることになったので、いそいそと映画館に足を運んだ。

ニューヨーク公共図書館は、本館・分館92ヵ所の大きな施設で、役割と機能はたいへん広い。映画を見て知ったのだが、日本でいえば、大規模な公立図書館に、コミュニティセンターや教育センターや児童センターの地域文化施設、それからいくつかの文化研究センターを足したようなものだ。職員数は3000名というから、それなりの大きさの自治体なみの規模ということになる。

映画は、ナレーションのない、ニューヨーク公共図書館の日々の一コマ一コマが映し出さていく。荘厳な本館。閲覧室。会議風景。いろいろなイベントの様子。ニューヨークの街角…3時間半の上映時間。途中に休憩があるのだが、「えっ、もう半分も見たの!」という気分だった。見終わって、考えてみれば、図書館にかかわるいろいろな人たちの語りが醸し出す魅力が、飽きさせなかったと思う。見ている最中は、何が面白いのか自分でもわからないけど、そのなかに引き込まれていた。

 

スピーチイベントの風景もあった。「利己的な遺伝子」で有名なイギリスの生物学者リチャード・ドーキンス。「パンクの女王」と称されるアメリカのシンガーパティ・スミス。ピューリツアー賞を受けたアメリカの詩人ユーセフ・コマンヤーカなど、著名な人びとが顔を出す。
いずれも短いシーンだが、みな印象的な語り口だ。

私にとっては、そのなかでも、アメリカの作家タナハシ・コーツという人がひときわ魅力的だった。アフリカン・アメリカンの彼が、米国で黒人として生きるとはどういうことかを息子に語りかけている著作、『世界とぼくの間』について語る。40代くらいの、エネルギッシュで真面目そうな人である。

黒人コミュニティーでの暴力事件の多さから、危険な黒人というイメージでみられるが、社会全体の黒人への差別、抑圧が反映したものが暴力であるというのが彼の主張らしい。暴力は必ず身近なところであらわになる。だから黒人コミュニティーなかで暴力が多いということをもって、黒人だけの問題にすることはできない。問題にすべきなのは、薬物と銃に溢れて、一瞬にして奈落に落ちるアメリカ社会の容赦ない現実を、力強く生き抜いているということだ。

 

…大丈夫だとお前に言ってやらなかったのは、大丈夫だなんぞと本心から思ったことが一度もなかったからだよ。お前に伝えたのは、お前のおじいちゃん、おばあちゃんが僕に伝えようとしたことだった。これがお前の国なんだよ。これがお前の世界なんだよ。これがお前の肉体なんだよ。だからお前は、その状況のなかで生きていく方法を見つけなければならない、ってね…

 

白人のようになるという「ドリーム」、安全な郊外に住むという「アメリカン・ドリーム」、黒人が平和に暮らせる未来社会を描く「ドリーム」。そのいずれのドリームも夢見ず、目の前の現実を生き抜く道を見つめるタナハシ・コーツ。

タナハシ・コーツの話を聞いた私の頭は、私がかかわっている精神障害の問題へとワープした。
事件報道でいえば、凶悪事件と精神障害をむすびつけられることが多かった。そういう偏見は根強くある。家庭内暴力、自死といったできごとだってある。
アメリカの黒人と暴力。日本の精神障害者と暴力。まったく異なる文脈だが、「ドリーム」に逃げ込まず、現実を生きるという道を考えなければならないというのは同じではないだろうか、というインスピレーションが私のなかにわいてきた。

 

『ニューヨーク公共図書館』のフレデリック・ワイズマン監督はこんなことを言っている。

 

アメリカ合衆国が非常にダーウィン的(弱肉強食的)政府を選んだこの時代に、(図書館ライフで)他人を助けるために情熱を注ぐ(あらゆる人種、民族、社会階級に属する)人たちの姿を見せることが、役立つんじゃないかとぼくは感じたんだ。

 

昨日はSさんの命日だった。11年が過ぎた。

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