なんとなくサンネット日記

2016年7月30日

私が覚えているのは

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 2:39 PM
池のほとりの夏

池のほとりの夏

7月26日、神奈川県の津久井やまゆり園で起きた殺傷事件に衝撃を受ける。

怒りを通りこし、行き場のない悲しみにつつまれる。元職員・植松聖容疑者に関する情報が断片的に伝わるが、やるせなさばかりがつのる。

植松容疑者が語ったという、障害者が「幸せに見えない」から、職員になったが、同じ理屈で殺傷に至ったという言葉。

なぜ他人の幸せや不幸せが「見える」というのか。それは、感じたり、心を寄り添わせたりするものなのに。彼は他人の幸せや思いを感じられる「力」がなかったから、他人の幸せが「見えなかった」。そして自分の幸せも見えなかったのだろうと思う。

この悲しみを越えるにはたくさんの時間がかかる。

障害者も健常者も、老いも若きも、他者を「見よう」とするのではなく「感じる」ことを積み重ねていこう。感じようとする思いが、ブナの森の落葉のように堆積し、水を含み、虫や動物をはぐくむ。ゆっくりと土に帰っていくほどのながい時間が流れていく。そのはてに…。

ずいぶん前に聞いた話を思い出した。

サラ・ファブリの話。ハンガリーからアウシュビッツの強制収容所に移送されたその最初の夜のこと。当時、彼女は14歳。

私は暗闇の中で、他の女の子たちの中にぎゅうぎゅう詰めになってかがみこんだ。一部屋に300人か400人もいて暑くて臭かった。私はもうこれですべては終わりだと思い、必死になって何かにすがりつこうとした。でもだめだった。死にたいとは思わなかったけど、生きていたくなかった。その後も私の人生にはいろいろ悲しいことがいっぱいあったけれど、あの恐ろしい第一夜のような思いはしたことがない。

しばらくして誰かが私に話しかけているのに気づいた。暗闇の中で私の身体にまわした誰かの腕を感じた。誰かが話しかけた。「ここから出たいでしょう。また自由になりたいでしょう。それならしっかりしなくっちゃ!」と。彼女はそれを繰り返し、繰り返し、言い続けた。私が何と言ったか覚えていない。多分、家族のこと、独りぼっちだということだったと思う。なぜなら彼女は「あなたは独りぼっちじゃない。私たちはみんな家族ですもの」と言ったから。

彼女はそういうことを何度も何度も繰り返して言った。何度言ったかわからない。私の覚えているのはただあの暗い夜、あの声、そして私の肩にまわされたあの腕だけだ。

今日にいたっても、私の肩をかかえた腕の感触を思い出すことができる。どんな声だったかは思い出せないけど、耳元に繰り返しささやいてくれた言葉をはっきりと覚えている。

(戦争を生きぬいた女たち 38人の真実の記録 サリー・ハイトン=キューヴァ編著 加藤永都子訳 新宿書房 1989年 P219)

 

仮に、この世の中に2種類の腕があって、一つは少女を暗い部屋に閉じ込める「腕」、もう一つは、絶望に直面した彼女をかかえる「腕」の二つしかないとしたら、ぼくたちは(障害者も健常者も、老いも若きもという意味の「ぼくたち」なのだが)後者の「腕」になろうと日々生きているのではないだろうか。

夢想かもしれないがそのように思いたいのだ。

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