なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2014年5月31日

自分を語らない

Filed under: つぶやき — toshio @ 3:06 PM
今年も咲きました

今年も咲きました

 他人のパソコンを遠隔操作し、インターネット上で無差別殺人などの犯罪を予告したとして、威力業務妨害の罪などに問われ、保釈中だった元IT会社員片山祐輔(ゆうすけ)被告は、520日、それまでの無実の主張を翻し、すべて自分がやったことであると弁護士に伝えたのでした。

 この事件はほんとうに劇場的でした。

 警察にあてた挑発的なメール。江の島の猫につけた記憶媒体。防犯カメラによって身元が割れる。真犯人装うメール。スマホのタイマーメール。佐藤弁護士の苦渋にみちた記者会見…。

 これから行われる精神鑑定や公判のなかで片山被告の動機や思いは少しずつ伝わるでしょう。

 いまは、彼が残した「私はサイコパス(反社会的人格)」という言葉が波紋を広げています。そして弁護士を通して伝えられた「平気でうそつける。別人格になったらコントロールができない」という人物像も。

犯罪心理学に詳しい桐生正幸東洋大学社会学部教授によると、サイコパスとは、平然と嘘をつき、罪悪感とは無縁などの特徴を併せ持つ人のこと。そういう人が「自分で何かにカテゴライズしないと自身のアイデンティティーが保てないときに、自称することがある」という。『AERA』2014年6月2日号より抜粋(http://dot.asahi.com/news/incident/2014052800064.html)

 しかし、日本で、ある事件の犯人がサイコパスを自称したことなどあっただろうか。もう少し広く考えて、私的な場面ですらそのように自称するような人がいるだろうか。思いを巡らせても、答えは出てきません。

 うつ病、アスペルガー、発達障害であることを、日常会話でカミングアウトする人が増えてきました。しかし、その延長にサイコパスもあるというのでしょうか。前者の病名やその人々が置かれている状況と、サイコパスと呼ばれる人々の間には大きな溝があるように思います。

 しかし、片山被告は、溝を軽々と越えてしまっています。

 彼はなぜサイコパスだと言ったのでしょう。そのように言うメリットは何だったのでしょう。ぼくは動機の説明を避けることができるからではないかと思うのです。「出来心でした」「世の中から注目されたかったからです」などと話したとしても、もっと説明を求められるにちがいない。ならばサイコパスだと言えばそれですむだろう、と。

 そして、このショートカットの背景には、サイコパスという言葉に社会的な許容度がゆるくなっていることがあると思います。

 かつて、サイコパスは「恐ろしい異常者」として描かれましたが、いまは彼らがもっている能力に着目されています。(『サイコパス 秘められた能力』、ケヴィン・ダットン著、小林由香利訳、NHK出版、2013年)http://www.npo-sannet.jp/blog/?m=201306

ニューヨークの産業・組織心理学者のポール・バビア(は)「サイコパスは急激な変化にやすやすと対応できる。そうした変化を糧にかえって成功すると言っていい…組織の混乱は、サイコパスの特徴であるスリルを求める性質に必要な刺激を与えると同時に、ごまかしや不正行為を十分に覆い隠せることもできる」(からだ。)(p153)

ノッティンガム大学ビジネススクールの元教授クライブ・R・ボディーは、(企業風土の腐敗といった)問題の元凶はサイコパスだと明言している…「急激な変化、絶え間ない更新」や「主要人員」の離職率の高さなど――こうした状況はサイコパスが「外に向けたカリスマ性と魅力」の組み合わせによって主要金融機関の重役になることを可能にするばかりか、「彼らの行為が目につかない」ように、悪くすれば「彼らがまともなリーダー、それどころか理想的なリーダーにさえ思える」ようにもする。(p189)

  

 このように敷居が低くなった「サイコパス」。私たちは、世界的な金融機関の重役席に座っているサイコパスによって動かされている――このような時代の猫像を受け入れなければならないようです。

 すると、紳士服販売店で服を選ぶように、「サイコパス」という言葉をひょいっと取りあげて、身につけてみたら、なかなか似合うと片山被告は思ったのかもしれません。購入した紳士服を仕事や冠婚葬祭で使うように、「サイコパス」もある場面で使うアイデンティティーの一つかもしれません。

 もし、そうであるなら、片山被告の問題は、病気や性格ではなく、「自分を語らないで済ませたい」という心もちだということです。

 このような時代の動きの反対側に、自分を語り、病名を語り、歴史を語り、そうすることで社会の問題をえぐりだそうという真摯な営みも生まれています。小さな営みであって、目立たなくとも、これこそが大切な営みだと思います。

 病像を受け入れていく社会環境があり、それにのって病気について何らかを語る生き方がある一方、抗すために、血を吐くように病気を語っている生き方も存在しています。私たちはそれを十分に見極めねばならないということです。

あるサイコパスの詐欺師の言葉。

詐欺師にとっていちばんの必需品は、優秀な「弱点」探知機だ。たいていの人間は自分が話していることに無頓着だ。言葉っていうのは話したとたんに消えちまう。だが詐欺師はあらゆることに注意を払う…相手がどういう人間か、ちょっとしたことから答えを導き出す。いつだってちょっとしたことなんだ。…相手に秘密を打ち明けさせるのさ(そうして「弱点」手に入れたら)すぐに話題を変える。気まぐれに。突然に。何だっていい…会話の流れを中断できればいいんだ。相手は十中八九、自分がたった今言ったことを忘れる。(p155-156)

サイコパスという言葉が広がると、このような「本物」の詐欺師はかえって仕事をしやすくなるかもしれません。彼らは愛想よく近づき、気軽に楽しく語り合ってくれます。片山被告と似ても似つかないタイプに、私たちは気を許すでしょう。知らないうちに「心のパスワード」を取られるのですが、そのことに気づくのは、ずっとあと、とんでもない結果と直面する時です。

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