11月26日に「取りつくシマ」をアップしたのですが、その数日後、記事のなかでふれたオイちゃん本人からメールをいただきました。
■根本さん こんにちは!
オイちゃんです。いやあー、奇遇です。なんなんでしょうか。
ふとなにげなくインターネットで『プロレタリア哀愁劇場』と検索したら、サンネット日記に辿り着きました。ブログにはコメントできないようなのでメールします。
私もときどき、『プロレタリア哀愁劇場』の世界のこと思い出します。高度成長期、揚野さんの言葉を借りれば、仕事も遊びだ! という怒涛の時代に生きていたアナーキーな人々…なつかしくもあり、せつなくもありです。
おきつる会館で公演した時にいろいろと協力してくれた方々も、同じ匂いがした人たちでしたね。いまでもお付き合いはあるのでしょうか。
来年、チンチン電車内での演劇を全国8ヶ所で予定しています。何かのためになるか、ならないか、取りつくシマのないエンゲキをこれからも続けます。いつか青森でも公演をさせてください。
あと、、、私が演ったのは寺中ではなく、暴力手配師の清右衛門です!
モケレンベンベ・プロジェクト
http://www.rr.iij4u.or.jp/~mokele/
■メールをいただき、こんなこともあるのだなあとびっくりです。ぼくが「プロレタリア哀愁劇場」を取り上げたのは、11月21日から23日まで福祉関係の研修があって、その場でもふれられた「利用者(障害者)中心」という言葉が気になったからです。いま、日本的個人主義が広がっているのですが、それは人びとの連帯をつくる方向ではなく、断ち切る力になっているとぼくは危惧しているのです。その流れとこの「利用者中心」という言葉が重なっていると感じ、考えさせられました。連帯、民主主義、権利、地域…あれこれ思いをめぐらせていたら、「プロレタリア哀愁劇場」のことが頭に浮かんだのでした。そして書き込んだのです。
オイちゃんは「あの頃、どこの場所で公演をやったのかな」と思って、ある夜(?)、検索していたそうです。そしてサンネット日記に出会ったのです。別々の暮らしと思いから、20年前の「プロレタリア哀愁劇場」に出会うなんて、いいですね。
ぼくは、おきつる会館で開催した正確な日付を思い出そうと、本棚から古いスケジュール帳を引っ張り出し、手繰ってみました。1988年7月16日。思い出すと、おきつる会館の公演の前に、沖縄民謡の演奏と沖縄舞踊もありました。それは県人会の方々のご協力でした。さらに公演が終わってからいただいた沖縄ソバのおいしかったこと。
写真は劇のパンフレットの一部のイラストで、オイちゃんの栗原清右衛門です。さて、来年はオイちゃんの「取りつくシマのないエンゲキ」にめぐりあいたいものです。