なんとなくサンネット日記(個人ブログ) としおのつぶやき

2013年1月2日

暮らしのなかで

Filed under: つぶやき — toshio @ 6:28 PM

朝の散歩

バイクの郵便配達が、雪道を年賀状を配ってまわる。ぼくはご苦労様ですと声をかける。仕事だからというような照れくさそうな笑顔が返ってくる。

S先生の賀状が届いた。

日本が戦争の反省に立って、(憲法9条を)世界に発信した平和を誓うメッセージとして、老いも若きも、暮らしと政治のなかで、いよいよ大切にして参れればと祈念しています。

S先生は暮れの衆議院選の結果が気にかかっている。改憲論は、現実から遠ざけられた論議という水準をこえて、日常的な領域に入り込んできた。いまや、わたしたちの日常生活のとば口でじっと機会をうかがっている。

60年代の学生運動や市民運動のような熱い議論などない。保守と革新のぶつかり合いもない。ただの日々があるだけ…。暮らしも、政治もどこかボヤッとしたまま、ぼくたちは置き去りにされて、どこかで何かが動いていく。ミヒャエル・エンデの『モモ』の灰色の男たちの世界を思い出す。

だからこそ「暮らしと政治のなかで」ということばがぼくの心に響く。

それぞれの暮らしと社会や政治を行き来しながら、考えようとする先生のイメージが伝わるし、こんなおかしな時代からこそ大事だと思う。

暮らしの場面で人と人が支えあい、暮しあうたがいの力で社会の矛盾を引き受ける。社会をもっと住みやすいものに変える努力を次世代に伝える。そして楽しみあい、いさかいを起しては和解する。暮らしとはとてもたくさんの機能が重なり合い、潜在的な豊かさがある。

この多機能の根源は、協力すること、共感することにあるとぼくは思う。

衆議院選では棄権や無効票(白票を含む)が多かった。政治がおかしいしのだが、ひょっとして、暮らしもおかしな状況になっているのではないだろうか。協力する、共感するという人間の基本的な営みが、暮らしの場ですら表現できにくくなっているのかもしれない。細分化された個人の仕事が生まれる以前に、暮らしと結びついた共同作業が何万年も存在していたのに、それが見えにくい時代になったのだろう。(http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=168

共感できない不安は怒りを呼び込み、世の中にたいして無関心や冷笑的な態度を生み出し、それが回りまわって、暮らしの根っこを細くする。政治の危機は、人々の暮らしの危機かもしれない。

 

Aさんの賀状はキリスト者らしく、聖書の言葉が書かれていた。

よく聞きなさい。心を入れかえて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう。

わたしたちは誰もが、かつては、ただ遊び、笑い、泣き、疲れはてて寝てしまう幼子だった。そのような幼子になれば天国に入れるというのだろうか。この言葉の真意はぼくは知らない。でも、いい言葉だと思う。

暮らしと政治を行き来し、平和を願うには、幼子のようにならなければならない気がしてくる。わけしり顔の怒りが政治と暮らしを変えることはできない。幼子のような信頼が暮らしを変え、その暮らしが世を変えるのかもしれない。

 

いただいた賀状を見ながら、今年が皆様にとって良い年でありますようにとあらためて願いました。

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