なんとなくサンネット日記

2012年2月20日

ちくま新書を読んで №1

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 6:46 PM
まちどおしいもの

まちどおしいもの

 『タブーの正体!――マスコミが「あのこと」に触れない理由』(ちくま新書、2012年)。著者は、2004年に休刊となった『噂の真相』の元副編集長・川端幹人。ぼくは筑摩書房のPR紙でこの本を知り、読んだ。

  『噂の真相』は文芸雑誌というジャンルで、文藝春秋についで売れていたそうだが、この種に興味のないぼくは本屋で手にすることもなかった。

 「タブーなき反権力ジャーナリズム」がうたい文句のスキャンダル雑誌だったという。ずいぶん前、1980年代の初め頃、誰からか冤罪事件の資料をもらって、それが『噂の真相』の記事のコピーだった(と思う)。異様な誌名と冤罪事件の取り合わせが、強い印象となり、誌名だけがぼくの記憶に残っていた。

 川端氏はこの本でたくさんのタブー事例について丁寧に書いている。

 皇室、右翼、ナショナリズム、拉致問題、宗教や同和の問題、自民党と官僚機構、ポピュリズム、検察、大企業と宣伝、JR、電通、芸能プロダクション…。

 ある者はマスコミなどに叩かれ、ある者はスルーし、隠蔽される。彼がこの本であぶり出そうとしているのは、タブーを生み出す“パラダイム”ということが次第にわかってくる。

 権力、暴力、利害が絡み合い、小さなものから国際的なネットワークまで、増殖するタブー。

 「パラダイムそのものを変えるというのはひとりでは無理だが、『タブーを破る』というのは、例外状態をつくりだす行為であり、たったひとつのメディアでも、たったひとりのジャーナリストでもそれを行うことができ」る(P258)。彼はそういう。

 「タブーを破る」ことで、権力と暴力のネットワークに一瞬だが風穴があく。スキャンダル報道を、川端氏は「知る権利」「報道の自由」と取り澄ました言い方で擁護しているのではなく、たった一瞬でも、たったひとりでもできる「タブー破り」がどんどんできなくなっている現状に危機感をもっている。

 ぼくは、スキャンダル報道、タブーを扱う記事は増えていると思っていた。ネットや新聞広告を見ていて漠然とそう思っていた。しかし、目にするスキャンダル報道の裏には、ある部分を叩き、ある部分は隠す「タブー・パラダイム」があり、この10年、とくにこの数年、驚くほど広がっているという。しかも、当のジャーナリストがなぜタブーなのかその理由もわからないまま、増え続けているという。それでは自己増殖だ。

 2001年からの名誉棄損裁判の損害賠償額の高額化、小泉内閣の成立とその後の右傾化、自民党のメディア規制と個人情報保護法の施行(2005年)、ポピュリズムと市場原理…このような社会的な背景があるのだが、ジャーナリスト自身が「真実よりもコスト」(P254)を考えるようになっているという。この現実こ何とかかかわりたいと川端氏はこの本を書いた。この彼の意志はぼくには感銘的だった。

 彼は2000年に右翼に襲撃された経験をもつ。1行記事に、女性皇族の表記に敬称がついていないことを理由に、抗議にきた二人の右翼が、編集部で大立ち回りをする。編集長は全治40日、川端氏は全治3週間のけがを負う。襲撃事件を記録していた部屋の防犯ビデオは、彼の「へっぴり腰」を映し出していた。そのことが彼のこの本を書くことになるみじめな出発だが、意味あるメッセージを含んでいた。

――右翼のひとりがナイフを構えて(編集長の)岡留(安則)ににじり寄ろうとしている…岡留は頭から血を流しながら椅子を振りかざして闘っているというのに、私はというと、「へっぴり腰」という表現がぴったりの姿で、何もできず立ちすくんでいる--。映像の中の情けない姿を眺めるうち、私は自覚した…あの「へっぴり腰」は私のジャーナリストとしての姿勢そのものなのだ。

――暴力に直面すればへなへなとくずれおち、危険が迫れば逃げることばかり考える。そんな人間が自らの体験と向き合い、心理構造を直視することで、もしかしたら、このどんづまりのメディア状況に出口を見つけることができるかもしれない、今もわずかに残っている、無言の圧力に抗いたいと思っている人たちに勇気を与えられるかもしれない。そして、一人でも多くの人が、無様な敗北を繰り返してもなお、タブーに迫ろうとすることの意味を見いだしてくれれば――そんな思いでこの本を書いた。

 彼はジャン=リュック・ゴダールの「地球的、抽象的な圧政に、私は逃げ腰で対立する」という言葉に重ね合わせ、「ここからもう一度、「へっぴり腰の闘い」を始めてみたいと思っている」と書いて、あとがきを結んだ。

 まじめで、いい文章だと思う。同じく「へっぴり腰」のぼくに彼の勇気がじんと伝わってきた。この本を読み終えた夜、ぼくも何かを始めなければと、ちょっとうれしくなりながら、そう思った。

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