なんとなくサンネット日記

2011年10月29日

忠誠心フィルター

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 2:49 PM

 

町の紅葉

町の紅葉

アマルティア・センの『アイデンティティと暴力』(2006、邦訳東郷えりか、勁草書房、2011)が読み進まない。

 理由の一つは、センの思考の長さにぼくがついていけないからだ。彼はずいぶんゆったりと、ひとつのテーマをじっくり追っていく。ぼくはそのじっくりさにがまんできず、降参して、眠くなってしまう。

 結果、50頁あたりまで何度も行ったり来たりして1ヵ月が過ぎた。

 どうも箱根の山を越えるための関所になったらしい。

 その50頁の手前に、経済学者のジョージ・アカロフの「忠誠心フィルター」という言葉が出てきた。人生における価値観を変える経験、とカッコで説明されている。意味はわかる。忠誠心や誠実さが変わる――裏切られた体験などでネガティブに変わるのではなく――体験によって、忠誠心が育ち、深まるということを指しているのだろう。

 しかし、その体験がなぜ「忠誠心フィルター」なのだろう、と不思議に思う。

 ドリップコーヒーを入れているイメージが頭に浮かぶ。体験というお湯が注がれ、フィルターが忠誠心なのだろうか。そしてこされて出てくる、何か善きもの…。なんかしっくりしない…。

 調べてみると英語では“Loyalty Filters”なのだそうだ。フィルターは複数形だった。Loyaltyは忠誠心や誠実さと訳される。忠誠心が複数形ではおかしい。

 おそらく忠誠心フィルター=種々の体験、なのだろうと思う。すると次には別のイメージが浮かんできた。外の世界から光が部屋のなかに差してくる。「忠誠心フィルター」はプリズムだ。光を通過させると、光は壁にいろいろな色が描かれる。描かれたものが忠誠心である。プリズムを変えると、また違うスペクトルが浮かび上がる。それもまた、別の状態の忠誠心や誠実さ。

 忠誠心は、つぎに、自分とアイデンティティをむすびつける絆になる。そう、アカロフもセンも考えているらしい。アイデンティティは、体験と選択と忠誠心(誠実さ)にかかわっているというのだ。

 忠誠心や誠実さが、ある体験を経ることによって、自分の眼前に描き出される。そういった体験は、一人だけの体験ではありえないかもしれない。複数の人々、物語、危機、勇気などによって織あげられた体験に違いない。するとアイデンティティは、他者と共感とも関係していることになる。

 ただ、それにしても、いまのご時世、ぼくたちにとって、誠実さが浮かび上がるような体験はたいへん貴重なものだ。もし体験したならだいじにしなければならないだろうと思う。

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