なんとなくサンネット日記

2009年8月17日

ロストジェネレーション

Filed under: つぶやき — 投稿者 @ 11:35 AM
お盆の水

お盆の水

1970年代から1984年生まれの世代を、「ロストジェネレーション(失われた世代)」と表現することを知りました。現在、おおむね30代半ばから20代半ばあたりの世代を指すようです。彼らが成人期になったとき、バブルの崩壊不況の「失われた10年」でした。同時に、グローバリゼーション・市場原理が謳われる時代です。そして、労働市場の構造が大きく変化し、非正規雇用やフリーターを強いられた「世代」なのです。

 

昨年、戦前の作家・小林多喜二の『蟹工船』ブームが、突然起きました。このブームのきっかけは、2008年1月9日、毎日新聞に載った作家の雨宮処凛と高橋源一郎の対談でした。対談で、現在のフリーターの状況は、『蟹工船』で描かれた様子に似ているという話題になりました。上野の書店が、その新聞記事のコピーを使って、『蟹工船』を紹介しました。すると『蟹工船』が売れ始め、他の書店にも紹介し、それをマスコミが取り上げる、という連鎖からブームが巻き起きたのでした。

 

対談の企画をした、毎日新聞の鈴木英生記者が書いた『新左翼とロスジェネ』(集英社新書.2009年)を読みました。鈴木記者は1975年生まれのロストジェネレーション。略してロスジェネなのだそうです。

『蟹工船』ブームが起きて、その秋にはリーマンショックでした。そして、いわゆる派遣切りが始まります。昨年の暮れから正月の日比谷公園の「年越し派遣村」は、厚生労働省を動かしました。

ちょっと前まで、非正規雇用やフリーターを「負け組」と嘲笑的な一括で済ませていました。いまや問題は深刻になりました。背景としての社会的問題が前面に出てきました。

いまや「市場原理のたそがれ」とまで言われていますが、マスコミの変わり身の早さも怖い気がするほどです。

 

このような状況のもと、鈴木は『新左翼とロスジェネ』で、戦後の新左翼運動が内包していた価値と、現在の若者の状況との接点を探ろうとしました。野心的な試みです。

本のなかで、「年越し派遣村」の村長であった湯浅誠の言葉に、鈴木の思索を重ね合わせ、次のように表現します。

 

――湯浅(誠)の指摘する、自分の訴えが「世の中の誰かにきちんと受け止めてもらえるという信頼感」は、私が述べた「自分の少しの『自己否定』的行動で世界が少しだけ変わるかもしれないということに、積極的な意味を持たせ」られる状態に近いと思う。逆に「積極的な意味を持たせ」られない状態とは、“溜め”がないことと同じであり、つまり『貧困』の一要素だともいえる(P192―193)。

 

湯浅によれば、金がない状態は貧乏だが、貧困は“溜め”がない状態といいます。頼れる家族・友人をもつのは人間関係の“溜め”、自分に自身がある、何かが出来ると思うことは精神的な“溜め”。人間をかたちづくるいろいろな関係を“溜め”という言葉で表現しています。

鈴木の「自己否定」とは、既成の共同性に変わる新しい共同性を求めるための新左翼的思考回路のことです。

二人とも共通しているのは、個人の価値(信頼感、世界への積極的関与)と、社会関係(“溜め”、少し変化する世界)との相関を強調する点です。「いかに世界から収奪するか」という市場原理的な思考を脇に置き、世界の変化と自分の変化をつなぐ思考を求めているようです。湯浅、鈴木が求める「連帯」「共同性」は、自己の問題であり、同時に、世界の問題でもあるのです。

 

鈴木英生記者は2002年から2003年にかけて、サンネットとお付き合いがあった方です。著作を通じて、再会したのですが、お元気そうだと思いました。とてもうれしいものです。

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