なんとなくサンネット日記

2011年4月29日

誰と交通する

Filed under: つぶやき — toshio @ 7:09 PM
りんごの故郷

りんごの故郷

白川:日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。

梅原:私もそう思います。それは大事なことです。しかも私の仮説だけど、その神聖王朝というのは異民族も含まないと出来ないような気がしますね。異民族を支配するには絶対、文字が要る。

梅原:私は長江文明をずっとやっているんですけど、長江流域に高い文化があったのは間違いないんですが、ところがそこには文字がないんですよ。それはやっぱり異民族を含まなかったからではないかという気がするんですね。異民族を含んで、巨大な国家が出来ないと、文字は出来ない。

白川:神聖王朝というと、そういう異民族も含めて、絶対的な権威をもたなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通できる者でなければならない。神と交通できる手段が文字であった訳です。これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある…

梅原:現代人は文字というのは人と人の交通手段と考えますからね。神さまなしに、文字を使っていますから。そういう目で古代をみると全く違う訳ですね。(『呪の思想――神と人の間』、白川静と梅原猛の対談、平凡社ライブラリー、2011年、P29,32、もとは2002年平凡社から出版)

 3000年前の中国大陸、彼方から駆け巡る民族間の大きな争いのはてに、文字が生まれたというのです。しかも、神との交流のためだけの文字。人々には今とはずいぶん違ったものの見方があったのでしょう。

 文字をもたない人々にも神さまはいるのですから、おそらく文字をもつ人々の神さまとどこか違っていたのかもしれません。

 今日は、曇天と晴れ間の繰り返し。岩木山のふもとから、空を眺め、3000年前の縄文人にとっての神さまをちょっと想像してみました。

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