なんとなくサンネット日記

2015年8月19日

書き続ける

Filed under: つぶやき — toshio @ 10:24 AM
おーい。

おーい。

『絶歌』(著者元少年A、太田出版、2015年)を読みました。この本には重いテーマがたくさんあります。何度か読んでは、思いをめぐらし、頁をめくりなおしてまた考えました。考え尽くしたというわけではないのですが、著者のAに返すつもりで、とりあえず読後感を書こうと思います。

Aは、自分のことを「人間であることを捨てきれなかった未熟な一殺人者」(「絶歌」p33)と書いています。冷徹なモンスターなどではない、人間としての自分がいる。人間であるから、ここに苦悩がある、ということなのです。

しかし、苦悩こそ、彼と私たちの相互理解の源泉です。これは、彼(と私たち)の前に立ちはだかっているとてつもなく大きな課題をこえるための大切な手がかりだと思っています。

その一方、Aは、自己の性格的偏り、兄弟や同級生への暴力、秘密のできごと、それが年々積み重なっていくさまを語ります。ある意味、「異常性」を吐露します。これらを語らずして、彼の“人間”性を伝えることができないからでしょうが、淡々とした第三者的な語り口に、読者の多くはうんざりしてしまいました。この本の“内容に関する批判”の大半はここに集中しました。

その問題はひとまず脇に置いておくとして、ともかく、彼は自分の中の「正常」と「異常」の狭間を生きなければなりません。これは現実です。そして、酒鬼薔薇聖斗として究極的な事件の重みを背負い、社会の好奇の目から追われ続けるという「異様」な道のりも、厳然とした現実です(社会的排除につながるパパラッチ的行為に関して、多くの人は冷淡すぎると私は思っているのですが…)。

 

■逃亡者

殺人という不可逆的な事件を引き起こしたAの社会的責任は限りなく重いものです。

しかし、事件が引き起こした社会的影響の大きさゆえ、自己の責任を語ることはとうてい困難です。要請される社会的責任の重さに振りきれて、あがったままのシーソーのように、自己の責任は、要請されるものと均衡を保つことができません。自己責任は、空をバタつかせるだけです。

医療少年院を退所して11年、彼はマスコミの取材を怖れて、居所を転々しています。刑期を終えたのですが、彼は一般社会で無期逃亡者として過ごしています。たいへん過酷なことです。(逃亡は両親や兄弟などを守るためでもあると思います)

彼は14歳の時の犯行声明で「今でも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボク」と宣言しましたが、それは酒鬼薔薇聖斗という空想の犯罪者のことでした。18年後の今、彼自身がこの世のなかで実写版の「透明な存在」を演じ続けています。なんという皮肉でしょう。

 

■絶歌の出版は

過去と現在がまじりあうエンドレスの世界。これはまさに“地獄絵”です(むろん被害者家族も彼の家族も同じような状況でしょう…)。この本を書こうが書くまいが、彼自身にとっての“地獄絵”は変わらない。それなら非難の大合唱になろうとも本を書こう、このように彼は決断したのかもしれません。(しかし被害者家族、加害者家族は彼が書いたことによって、それぞれの“地獄”の様相を変えられてしまったに違いありません。)

この本への非難の多くは、“少年法で守られて、短期間で自由になった人間が、犯した事件をネタに金儲けをしようとしている”といった外形的なことに関するものです。

ところが、彼から見ればこの立場はまったく違うでしょう。“14歳の時に死刑になると思っていたのが、そうではなかった。失うものなどないと思っていたのに、徐々に事件を振り返り、人の情け、世の理にふれて学んだのは、(逃亡者には)罪を背負って生きる場所がない”というものだったのです。

まさに、「地獄の真の怖さはいくら叫んでも鬼に人間の声は聞こえない」ことです。彼は生きていくほどに、追いつめられたのです。

ですから、この本は、仏陀がたらした「蜘蛛の糸」の物語の逆で、地獄から蜘蛛の糸を立ち上らせようとした試みのように思えます。(この試みがいいか悪いか、成功するかしないかはまた別の話として置いておかなければなりませんが)。彼には、生きるにせよ死ぬにせよ、これしか方法が見えなかったのではないかと私は思うのです。

 

■発達障害の固着

先日、ウェッブ上の「産経スポーツ」に『臨床心理士が「絶歌」を読み解く――猛毒か、ワクチンか』という記事が載りました。

(http://www.sankei.com/affairs/news/150711/afr1507110008-n1.html 2015年7月11日閲覧)

臨床心理士の長谷川博一という人の論文でした。

長谷川は、専門家は性的サディズム(審判決定文)とかサイコパス(香山他)とかとAのことを言うが、それは一種の思考停止ではないかと批判しています。彼の主張は、病名をつけて終わりではなく、①発達障害、②抑圧的な成育歴、③思春期前(8歳から12歳)に犯罪につながる事柄との遭遇(固定的な執着=固着)、の三つが重なった事例としてとらえ、①と②への治療的なアプローチが必要であるというのです。

長谷川は次のように述べます。

「『絶歌』は、因習的に性的サディズムとして片づけられてきた精神病理を、新たな知見で検証し直す資料としては価値のあるもの」であり、これを治療的に用いれば“ワクチン”になるし、ゲテモノとして読まれるなら、次世代を刺激し、新たな事件の引き金となる“猛毒”になる、というのです。

そして、Aが「他人の心を想い、そして自分をも慈しみ、謝罪の気持ちと向き合いながら生かされた命を精一杯に生きられるよう」、これからも専門的なサポートを受けるべきだと結論しています。

Aの「固着」とは、頼りにしていた祖母が亡くなったあと、祖母が使用していた電気按摩器で精通を経験したというできごとのことです。Aは「僕のなかで性と死が罪悪感という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった」(p49)と述べています。長谷川がこの本の「資料性」を述べるのは、いままでの資料にはなかったこの告白を指摘しているのです。

 

■自分でも発達障害を匂わす

でも、Aはこの議論をどのように受け止めるのでしょう。

長谷川は、(Aが望んできたような)一般社会での暮らしではなく、(厳しい批判者が語る)極めて限定された暮らしでもない、第三の道として保護されたサポート空間を提言したと言えます。しかし見方を変えれば、専門家による「ゲットー」(隔離された地域)とも受け取れるかもしれません。

たぶんAはこの提言に同意しないでしょう。彼は「『精神科医』という肩書を持つ人に対しては、ことさら冷静に、感情や表情を消して振る舞うのが習い性」(同p210)であると言っているように、精神医学的、臨床心理学的なアプローチに対して、予想しては、抵抗してきたように見受けられるからです。

「優れた精神分析医は狩猟者(ハンター)だ。患者の精神のジャングルの奥深くに逃げ込んだ本性(ケモノ)の足跡を辿り、逃げ道を先回りし、さまざまな言葉のトラップを用いて、根気強く、注意深く、じわりじわりと追いつめていく」(同p131)と述べる彼です。

隔離された環境の中で体験したことを材料に、ここまで述べる彼は、今度は、追いつめられないよう、逆に彼の側から、ある種の罠を、この本に仕掛けているかもしれません。

Aは、自身を発達障害、アスペルガー症候群か、それに近い状態であると理解しているようです。彼は漫画家である古谷実の作品のあるキャラクターを取り上げ、そのキャラクターは大阪姉妹刺殺事件の犯人であるアスペルガー症候群の山地悠紀夫と自分を合体させたような性格だと述べています(同p230)。キャラクターはアスペルガー症候群的な快楽殺人鬼です。Aは、キャラクターにも山地にも、「アスペルガー症候群」という言葉を共通項にしてある親近感をおぼえているようです。

Aは、山地は「(アスペルガーという)魚が陸で生きるため」(同p235)に必死で努力してきたのではないか、といっていますが、それは、現在までの自分の歩みのことでもあるのでしょう。

彼は自分自身の性向について次のように述べます。

「他人とコミュニケーションを取ることが極度に苦手」(同p83)。「いっしょに茶でも飲もぉや」と施設長に言われたとき、「いいです。いま喉乾いていません」と文字通りで答えてしまった(同p178)。「僕が僕でいられるのは、とてもとても狭い範囲」でしかなく(同p179)、「ともかく“変化”を嫌う」(同p226)。

彼は、発達障害であるような自画像を描きます。しかし、読み手がそう読むだろうと想定の上での記述でしょう。

 

■母は憎まない

長谷川のいう、発達障害の固着が成立する①、②、③という要件のうち、Aはこの本で、①と③を認めますが、ところが②は認めていません。「母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった」(同p150)と述べています。マスコミや裁判の過程で「いつしか僕自身、『母親を悪く思わなくてはならない』と考えるようになってしまった」(同p152)ともいいます。

まるで、長谷川の意見が出てくることを前もって見越して、否定していたかのようです。しかし、そうではなく、彼はこの本の試みにおいて、母親を責めても意味がないと思っているだけでしょう。

彼はこの本の最後に「被害者のご家族の皆様に」という文章をのせました。

ここのところで、「『生きたい』と願うようになって初めて…命の重みを皮膚感覚で理解し始めました」という彼の思いを語っています。これが新聞の議論やネットでは「自己中心的で都合のいい表現」と厳しく非難されましたが、まぎれもなく彼の本心=意図だと思います。

「生きたいと願う」観点をもちながら、過去の幼少時代の母を責めれば、未来に向かって、前を向きながら、首をねじって過去を振り返るかのようです。これでは説得力がありません。

長谷川とAとは議論がすれ違っているだけでなく、もともと長谷川の議論は、臨床心理士として前思春期の少年へのアプローチを、Aの事例を踏まえて論理立てるためにこの本を取り上げたのであって、30歳を過ぎた現在のAへのアプローチについてはそれほど現実的ではなかったかもしれません。

ただ、②の抑圧的な成育歴については、Aが認めるか認めないかとは関係なく、あとで、別の角度から取り上げることにします。

 

■眼について

ところで、この本を読んでいて不思議な気分にさせられるのは私だけではないと思います。多くの人から(悪い意味で)文学的とか、技巧的とか指摘されています。性的、粘膜的なメタファーもたくさんあります。

私も過剰な「技巧」を感じますが、それとは異なる、また別の質の「眼」についての記述が気になっています。

この本では「眼」についてふれた箇所がたくさんあるのですが、ほとんど場合、「モノ」としての「眼」を取り上げます。その反面「デキゴト」としての「目」についてはほとんどふれていません。これが不思議です。アイ・コンタクトが苦手(?)な彼のクセ、直観像素質者(審判決定文)としての彼の傾向(?)によるものかもしれませんが、これが私の興味を引きました。

たとえば、三歳のときの自分の写真を指して、「ガラス玉を思わせる無機質な光沢を帯びたその眼」(同p38)とAは表現しました。珍しい表現ではないでしょうか。

自分の幼いころの写真を誰かに見せたら、多くの人は「かわいい目をしているでしょう」と同意を求めたり、「小さなときから目が小さくてね」などと言い訳じみた話をするかもしれません。それは、かわいいと言われた幼い時の思い出、目が小さくて内気だった性格、そしてそれらが関係する家族や地域の歴史を語っているということです。

ところが、「光沢を帯びた眼」は、眼球そのものについてのみ触れているのです。誰とも対話をしていません。Aのような表現はまれだと思うのです。

眼球は表情と結びき、表情は感情や意識とつながり、意識は人間関係や状況にシンクロするのです。眼球はそのような人間のコミュニケーションの奥行きに続いていくのです。ところが彼は奥には少しも入ろうとせず、表面でサッと折り返してしまいます。彼の生理的な傾向がそのようにさせているだけでなく、意識的にもそうしているのでしょう。

少年院を出てから世話になったある40代の観察官について、Aは次のように表現します。「色黒で年相応に贅肉がつき人懐っこい真ん丸な眼をしていた」(同p198)。考えられる通常の表現方法であれば、“色黒で、たっぷりした体格の○○は、真ん丸な目でやさしく見守ってくれた”などとなりそうなのですが、そうはなりません。

彼が世話になった篤志家の家を訪ねる初老の更生者は「顔は日に焼け、鼻が大きく、濃く茂った眉の下の小さな眼は、素朴で、悲しげな印象があった」(同p212)と表現しています。“眉は濃く、素朴だが悲しげな目をしていた”ではありません。

眼球の表面からその奥に、その人の感情や意識の領域には、入られない/入らないAなのですが、その性癖がもっとも極端な形で現れたのが淳君(被害者)でした。

――淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。淳君の姿に反射する自分自身への憎しみと恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う。真っ白な淳君の中に、僕は“黒い自分”を投影していた。――(同p126)

感情の交流が苦手なAは、愛おしい淳君に眼差しを向けても、眼球の表面で反射し、自分の姿を映し出してしまいます。それで、自分が憎かったのかもしれません。あるいは、自分の思いを受け入れてくれない/自分の思いを拒む、淳君の「眼」が憎かったのかもしれません。

(ここでの記述が「モノ」としての「眼」ではなく、奥行きに向かって開いた「瞳」と表記しているのは、それだけ切実なものがあったということでしょう。)

しかし、やがてAは、実は、淳君の眼差しを受け入れない自分の「壁」を自分で憎んでいたことに気づくのです。「眼」と感情の間に、「壁」があったのです。

 

■感情を阻む「壁」

見る/見られる、受け入れる/受け入れられる、思う/思われる、などの相互関係は、自分/他者関係という合わせ鏡の関係のなかで現れるのですが、Aは「相互関係」を遮断したところで精神構造を成立させていました。相互関係をシャットアウトする「壁」をつくり、「壁」の内側に閉じこもっていたのです。「壁」は防波堤であり、内に憎しみを充填し、圧力を高めるためのものでもあったのでしょう。

本の最後の方で、「眼」ではなく「眼差し」として表現する箇所があります。「眼差し」は「デキゴト」です。他者が感情をAに対して振り向ける。それを受け取るAの「壁」が壁として機能しないとき、Aの深い領域にダイレクトに届いてしまう。その時、初めて「眼差し」を認識するのかもしれません。

彼の「壁」というシールドが破られたエピソードは3年ほど前のことのようです。働いていた会社の先輩が、ある時自宅に夕食を誘ってくれた。小学校にあがったばかりの先輩の娘さんがAに語りかけるうちに、その娘さんと事件の被害者が重なり、いたたまれなくなる場面です。

――無邪気に、無防備に、ぼくに微笑みかけるその子の眼差しが、その優しい眼差しが、かつて自分が手にかけた幼い被害者の眼差しに重なって見えた。道案内を頼んだ僕に、親切に応じた彩花さん(注:死亡した第1被害者)。最後の最後まで僕に向けられていた、あの哀願するような眼差し。「亀を見に行こう」という僕の言葉を信じ…僕に付いてきた淳君(注:死亡した第2被害者)の、あの無垢な眼差し――(同p273)

それに続いて次のように述べています。「自宅に帰るバスの中で、僕はどういうわけか、涙が止まらなかった。社会に出てから…この時ほど、辛く苦しい気持ちになったことはない」と(同p274)。

 

■顔・眼差しを望んだ

かつて社会学者の大澤真幸はAの事件についてこう述べました。

――通常他者の顔を見ながら、その他者を殺すことは、きわめて困難だ…哲学者エマニュエル・レヴィナスが、他者の顔は「汝、殺すなかれ」という命令を発すると述べている…するとAの犯罪は反レヴィナス的な殺人なのか?(p61)……Aは、(顔=深淵によって)覗き見られる人、覗き見られていることを実感したい人なのだ(p64)――(『不可能性の時代』、岩波新書、2008年)

Aは壁の中の自分の感情を覗き込むために、被害者の眼差しの助けが必要だったのです。あるいは、壁の奥にいるA´が覗き込まれることを望んだのかもしれません。

いずれにしても被害者の「眼差し」を必要としていたのかもしれないという恐ろしい示唆を、私たちは受け入れなければならないということです。だからこそ、「壁」の意味を探りあてなければならないと思うのです。

「壁」によって眼差しを拒むことと、その内側に秘密が生まれることとは同時並行です。すると、この「秘密」について考えることになります。

 

■秘密のシェルター

Aはこのように述べます。

「人は秘密を持つことで生きていけるのではないだろうか。それは自分の内側に設けるシェルターのようなもので、どんなに追い詰められようと、その中に逃げ込んでしまえば安心できる。体の自由を奪われようと、誰に侵されることのない秘密の中では、人は自由に駆け回ることができる」(同p122)。

誰でも当然そうなるはずといった流れの記述ですが、はたしてそうでしょうか。秘密=シェルター=誰にも侵されない=自由、という結びつきが、ゆるく、部分的に、ある時期だけであれば、それはある程度生じます。しかしAのように、しっかり結びついて、「自由に駆け回」るまで成長し、それゆえ生きていけると思えるまで自己世界が自律してしまうのはまれではないでしょうか。

 

『鑑定人と顔のない依頼人』(2013)というイタリア映画がありました。主人公である美術鑑定士のヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)は、冷徹で人間(女性)嫌い。独身の彼のひそやかな楽しみは、自分が仕切るオークションで不正に集めた、女性の肖像画(多分、名画)を眺めること。絵画は、自宅の秘密の部屋の壁一面を飾り、その真ん中に置いた椅子に座り、眺めるのが至福の時間。その彼に、不思議な依頼が…とストーリーはおしゃれに展開していきます。

鑑定士のヴァージルの世界は相当変わっていて、Aのいう「秘密のシェルター」ともよく似ています。しかし、彼は、強欲な世間と生身の女性に背を向けて、芸術品の女性の肖像画をめでるためのものであり、「シェルター(避難空間)」とは違います。

世俗を反転・純化させているのですから、ラボラトリー(研究空間)のようです。秘密=ラボラトリー=一人で集中する=至福、という組み合わせになります。それに、「壁」は、シェルターのように外部の攻撃から守るためのものではなく、内部に存在している「美」を飾るための背景なのです。

鑑定士とAを比べればはっきりするのですが、Aの「秘密のシェルター」の根幹は、「外部に存在している攻撃」「自分を不自由に縛りつける力」からの逃避にあります。防空壕は、外部からの攻撃から逃れるため、幾つもつくり、一つの壕が破壊されれば、他の豪に移動できるよう通路を作ります。

鑑定士の「秘密のラボラトリー」は幾つもつくる必要はありません。自分が至福を感じればいいのでひとつで十分です。しかし「秘密のシェルター」は数を増殖させ、堅固にし、地下深度を増すのです。その増殖の延長に、「事件」を起す素材が重なっていったと思います。

 

■罪の入れ子構造

リーマンショック後の2009年6月から9月、Aは半失業状態になりました。その時のことをこのように書いています。

「まさに流転の日々だった。様々な仕事を転々としながら根無し草のような生活を送った。この時期の記憶は断片的にしか残っていない。おそらくストレス性の健忘ではないかと思う。ぼくは過度にストレスがかかるとしばしば記憶がトンでしまうことがある」(同p243)。


この記憶が飛んでしまうということも「秘密のシェルター」の業ではないか、と思います。誰しも嫌なことは忘れようとします。しかし、数年前のことで、しかも20代半ばの3ヵ月間のこと。大災害があったなどということでもないが、記憶がほとんどないというのは、「秘密のシェルター」が大きく作用しているのだと思います。

Aはこうも述べます。「罪悪とはマトリョーシカ人形のようなもの。どんな大きな罪も、その下にひとまわり小さな罪が隠され…それが幾重にも重なった「入れ子構造」になっている」と(同p46)。小さな罪が起き、するとそれを隠すような大きな罪が生まれるというのです。

「罪」の相棒は「秘密」です。ですから「秘密のシェルター」も、罪悪と同様に「入れ子」になっているのでしょう。本人のいろいろな記憶は分割され、あっちのシェルター、こっちのシェルターにしまわれ、それを大きなシェルターでしっかり囲い、通路で結び、全体としてネットワークができている。そのもっとも古い基底にあるのが「母との関係」ではないかと、私は思うのです。

 

■健忘

「母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった」(同p150)とAが述べたと前に書きました。このことを、「秘密のシェルター」を下敷きにして、もう一度取り上げたいと思います。

私は、母親を憎んだ事実はあった、だが「記憶」を「秘密のシェルター」の中にしまいこんでしまったので思い出せないのではないか、と考えています。審判の決定文は、「鑑定人は、1歳までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがあると言う」(文芸春秋2015年5月号p319)といった鑑定意見を取り上げています。この鑑定は、本人や家族との面接、幼稚園や学校教師からの聴取、本人の作文などの資料収集にもとづいたものです。母親との関係の問題は、予断やマスコミの扇動ではなく、実際にあったのだと思います。

Aは、この本で母との関係不全については否定している。ところが次のようにも述べます。

「僕には小学校に上がる前の記憶がほとんどない。はっきり残っているのは、まだ生まれて間もない頃に、祖母の背に負ぶわれ、安心しきって眼を瞑り、祖母の暖(ママ)かな背中に全身を委ねているという記憶」である(同36)。小学校入学以前、母に関する記憶は少ない、しかし祖母については「はっきり残っている」といいます。明言はしないけど、母との関係の悪さを匂わせます。

小学校入学前というのは「小学校に入学する時に、少年の母方祖母が暮らしていた現住所に家族全員で引っ越した」(審判決定文、文芸春秋p320)のですから、祖母のいない家族の時代だったのです。祖母と暮らす前の記憶はない、暮らすようになってから記憶が始まった、ということです。

小学校に入学する以前の記憶は、暮らしていた家や母のことは、別のところに収納された。そのように考えても間違いないと思うのです。

小学校3年生の時、目の焦点が定まらないなど様子がおかしくなり医師の診断を受けたことがありました。その際「お母さんの姿が見えなくなった。以前、住んでいた家の台所が見える」と言っていたそうです(審判決定文文芸春秋p322)。母との葛藤、記憶の脱落、視線への恐怖、心理的シェルターのセットが、この頃から形づくられていったのではないでしょうか。

 

“重い”ことを続ける

“重い”ことを続ける

■『絶歌』の波紋

この『絶歌』に対しては、たいへんな非難が殺到しています。私はいろいろな意見を理解しようとしては、そのたび気がめいりました。被害者と加害者、あるいは事件に関係した人々以外の人たちの厳しい批判、非難に対して、憂鬱さを感じていました。

この事件はいつしか癒されなければなりません。しかしゴールはありません。ゴールはないけどそれをめざさなければなりません。被害者は被害者として、加害者(家族)は加害者として、それぞれ癒される方向に進むための努力が払われなければならないのです。社会全体として「傷」を修復していく、そのための社会であるべきです。事件当事者でも、関係者でもないその他の多くの人も、その営みに参加していくのです。

一般の人が被害者の立場に立ってこの問題を考えることはありますが、それは、被害者の立場にタダ乗りして、加害者を非難し、排除することではありません。被害者の癒しのプロセスに参加することが、被害者の立場に立つことです。

加害者を擁護したいという立場の人もいます。でも、それは加害者が癒される、回復するプロセスに参加するということです。事件を肯定することではありません。

対立する被害、加害の関係を、事件を忘却することなく、未来に向けて修復させるよう努力していく、その力となるような思考を、いま、生み出さなければならないと思っていました。

そのように考えていたところに、東奥日報8月7日に、文芸評論家・川村湊の論評が載り、やや救われる思いがしました。彼は、日本ペンクラブの獄中作家・人権委員会に属している人ですが、永山則夫とAを比較論評し、次のようにまとめました。

「私は、彼が「書き続ける」ことを支援したい。それは単なる謝罪や反省よりずっと“重い”のである」と。

Aも被害者もこの社会で、未来に向かって歩まなければならないのですから、このような一人一人の行動宣言が必要なのだろうと思うのです。

 

この文に私の意見を付け加えさせてもらえるなら、次のように言いたいものです。 

Aは書き続けることで、心の秘密のシェルターにひそむ、母を憎み、母を恐れて台所に逃げ込んだ幼いAを救出する。しかし、救出することで、かつて、その子の救出に失敗した事件を思い出すかもしれない。だから救出は「パンドラの箱」を開けてしまう可能性がある。

あなたの前にある高く聳え立った壁を乗り越えることは、治療を受けるより厳しいし、リスクは高い。しかし、いまあなたはつるんとした壁の前に立ってしまったのだ。この本を書くことによって。

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