日曜日、車を走らせていた。NHKFMからエルビス・プレスリーのアメイジング・グレイスが聞こえてくる。
エルビスの生誕80年を記念した番組。ジャーナリストの轡田(くつわだ)隆史さんが、エルビスは黒人霊歌をたくさん歌っていると語る。
ジェームス・バーダマンさん(早稲田大学教授)は、この曲アメイジング・グレイスは18世紀に奴隷船の船長だったイギリスの男が作詞したと教えてくれた。
そうだったのか。知らなかった、結婚式でも歌われる美しいメロディーに奴隷船といった背景があったなんて。
ジェームス・バーダマンさんに触発されて、彼の書いた『アメリカ黒人の歴史』(2011年、NHKブックス)を読んでみることにした。
読むほどにアフリカ系アメリカ人について何も知らなかったと、あらためて気づく。
1865年、南北戦争で北軍が勝利し、奴隷制度が解体された。それは知っている。しかし、黒人の社会的解放までは徹底しなかった。むしろ、南部では、戦後再建期に「解放」が後退し、アフリカ系アメリカ人は市民権を再び剥奪され、二流市民として囲い込まれるようになったという。
19世紀後半は隔離政策が進行し、白人によるリンチ事件が各地に広がる。その一方、アフリカ系アメリカ人による社会活動(融和主義的であったり急進的、独立運動であったり)も展開し、一部だが、ビジネスに成功する人々も出てくる。人として生きたいという願いは後戻りできないのだ。
地位向上と暴力的抑圧がアフリカ系アメリカ人をめぐってせめぎあい、渦巻く時代であった。歴史は逆流しつつも、逆流を押し流す大きな流れも同時に存在した。
やがて、20世紀初頭のニューヨークのハーレムで、アフリカ系アメリカ人の文化再興である「ハーレム・ルネッサンス」が起きた。文学、音楽における文芸運動である。しかしその中身は実に混沌としていた。次の文章を読んでほしい。
おそらく、ほかのいかなる場所よりも1923年に公式にオープンしたコットン・クラブほどハーレムの音楽を集約したところはなかったといってよい…往時の綿花プランテーションを彷彿とさせるデコレーションにつつまれていて、ステージも農園主の大邸宅のベランダになぞらえて作られている。
コットン・クラブ・レビュー、それは白人のブロードウェーと音楽出版社が集まる(通りの一角)の作曲家たちによって構成、作詞・作曲され、20人のカフェオレ色の肌をした女性歌手とダンサーが出演した…週給50ドルを稼ぐため有色人種のふりをした白人女性もいた。顧客は、白人のみであった。(p172-173)
当時は禁酒法時代。ギャングが勢力を伸ばすハーレムに、白人のためのクラブ。そこでアフリカ系アメリカ人の音楽と芸を次々と発展させた。デューク・エリントン、ルイ・アームストロング、キャブ・キャロウェイ,レナ・ホーン…。
しかも、アフリカ系アメリカ人のふりをする白人すら出現する。これが20世紀のニューヨークの「ルネッサンス」だった。
あ
以前このブログで、ネィテブアメリカンではないのに、ふりをするワナビー(I wanna be=偽者)についてふれたことがあった。ところが20世紀初頭には、アフリカ系アメリカ人のふりをするワナビーがすでにいたということになる。
http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=236
それまで見えない存在だった「奴隷」が、人として立ち現れようとする。そのとき“酒と女”“暴力と金”のコットン・クラブという混沌、歴史に逆流する白人のワナビーが現れるという猥雑。これらを超えなければならないのが、歴史というものらしい。
たとえば、障害者が人として存在できる社会を形づくろうとしている今の日本社会にひきつけて考える。すると、白人のワナビーが、昨年の佐村河内守氏のような事件と結びついて、連想される。好悪の個人的な価値を超え、時代の節目には偽者=ワナビーというものが、いつもついてまわることを認めなければならない。大きな歴史の流れのなかで生じる部分的逆流の存在の先を見通す巨視的な見立てが必要だ。
歴史とは、単調なハイウェイや静かに流れる川のように単純な因果で結ばれているものではない。干満の差から起きる逆流する波、ポロロッカすら含みこみ、滔々と流れるアマゾン川のような大河に違いない。複雑な生態系が織りなされ、川面は小舟や大型船が行き来し、月の満ち欠け、雨季、乾季によって岸辺の村は相貌を変えながら、河は悠久の時を刻み、ひたすら海をめざす。歴史もまた到達すべき「海世界」を探し、そこに向うのだ。