なんとなくサンネット日記

2015年4月14日

守秘義務は何を守るか

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:24 PM
春は駆け足

春は駆け足

■文芸春秋5月号に「神戸連続児童殺傷・家裁審判『決定(判決)』全文が載った。

 神戸市須磨区の事件から18年がたつ。そして、加害者の少年A30歳を越え、社会に戻っている。文芸春秋によると、A君は、死亡した当時小学生6年生の男児の遺族とはまだ会えていないが、4年生の女児の両親とは、最近、双方の弁護士の立会いの下で直接会ったそうだ。A君は謝罪し、被害者の両親はA君の両親に「少年を見捨てることなくその責任を十分自覚させてください」と述べた。

 忘れることのできない事件。被害者家族は取り返しのつかない傷を負った。加害者と彼の家族は限りなく重い荷物を背負い続けている。彼らは直面しがたい事実に勇気を奮って向き合っている。

 被害者も加害者も、おそらく事件のことを毎日考えている。だれにも話せない苦しい繰り言をつぶやかざるをえない。

 癒されることのない傷口を逆なでしているようではないか、なぜこのような記事を載せたのかと、多くの人は疑問に思うに違いない。単なるスキャンダルなのか、金目当てなのかといった非難も受けることだろう。

 この記事を書いたのは、共同通信編集委員の佐々木央氏である。そして審判「決定(判決)」全文を提供したのは事件を担当した元判事・井垣康弘氏である。全文は、成育歴・鑑定を引いて述べるが、かかわった大人たちが経験や知恵を振り絞って少年Aを理解し、教育可能性を見出そうとしていることがわかる。いま流行のエビデンス(証拠・根拠)にもとづくスマートさはないが、真摯さの伝わる文章だ。

 ただ、この全文の内容についてではなく、公表に至った佐々木氏たちの決意や真意に思いをめぐらせたいと思う。

 

■情報共有か守秘義務か

 1997年5月末に連続殺傷の最後の事件がおきた。事件の様相や犯行声明のあまりの奇怪さは、衝撃的な恐怖感をまきおこす。

この事件が起きたとき、佐々木氏は神戸支局次長に赴任したばかり。彼は新しい職場についたとたん、事件の奔流に巻き込まれたのだった。

 一ヵ月後に逮捕された犯人がまだ中学3年の少年であったため、世論はさらに騒然とした。その年の10月、神戸家裁は医療少年院送致の決定を行う。その決定を担当したのが井垣氏だった。佐々木氏と井垣氏は、まさに世論とマスコミの奔流、乱流のなか、それぞれの仕事をやりぬいたのである。

 社会に強烈な衝撃を与えた事件だけに、家裁は、審判決定の要旨を公表する。少年審判としては特異な対応だった。通常ならば、当該少年の将来可能性を守るため、家裁は「少年院送致」「検察官送致」と結果だけ発表。ところが、要旨は精神鑑定の一部すら公開したのだった。

 しかし、その公開が、不十分だったと井垣氏は考え続けた。

 神戸家裁の幹部が作成した要旨は、成育歴の大半と精神鑑定主文の重要な部分を、全文から削った。このことを井垣氏は次のように指摘する。

――「決定で公開すべきだと思った意味が大きく失われた。意図したことが良く伝わらない報道がなされた」…「この事件は社会全体にすさまじい恐怖感を与え、少年法改正という少年法の大転換にもつながった。社会が正しい情報を共有することは必要不可欠だった」…今回の全文公開のおおもとには、この井垣さんの悔恨がある――(文芸春秋5月号、p316-317)

 文芸春秋の5月号は4月10日発売。わずか3日後、神戸地裁は文芸春秋社と記事を書いた佐々木氏、情報を提供した井垣氏に、文書でそれぞれ抗議した。すばやい対応だが、当然と言えば当然だろう。井垣氏がいう、「必要とされている社会としての情報共有」が、職務で求められる「守秘義務」と正面衝突したのだから。

 井垣氏は「(全文は)最初から公表されるべきものだった。事件に至った経緯は、成育歴を知ってもらうことで理解されるんじゃないかと思っており、私は当時、社会に公表してもらうつもりでいたが、成育歴が落ちてしまった。守秘義務違反というのは理解できない」と述べている(2015年4月14日東奥日報、家裁の抗議に対する井垣氏のコメント)

 法制度は社会に応える義務があったと井垣氏は考えているのだ。そうでなければA君の未来もないと思っていたのかもしれない。社会とA君をつなげる基盤、原点が、法と社会との情報共有であったと。

 

事件の情報共有とは何か

 井垣氏が言うところの情報共有とはなんだろう。それは、社会が加害者を人間として理解するために必要な情報、ということだ。断片的な情報から、奇怪な事件を描けば、加害者少年をただの「モンスター」にするしかない。もっと、彼らの育ちや「心」に接近しなければ見えないことがたくさんあるのだ。

 昨年から社会を不安にさせる少年事件が続いている。長崎県佐世保市の高1女子殺害、名大女子学生が加害者の殺人事件、川崎市の中1男子殺害。名大女子学生は、ツィッターで須磨区の少年A君を賛美している。成年事件だが、A君を賛美しているものもあった。一般社会で歩み始めたA君とかかわりなく、A君が名づけた「酒鬼薔薇聖斗」はいまも一人歩きをしている。そして命を命と認識できない事件が起きているのだ。

 佐々木氏たちは、私たちの社会は、A君の事件の情報と教訓を共有し、事件の深い部分に向き合おうとしなかった、そのツケが回ってきていることを指摘している。

 A君の事件以降、ただただ凶悪事件の厳罰化を求め、加害者を「モンスター」扱いしてきたのではなかろうか。真実をみようとしないその姿勢は、事件の賛美につながっているのではないか。

 神戸家裁の主張する守秘義務は少年たちを守ろうとするものだが、事実と直面する力を奪うものでもあった。事実に向き合うことなく少年は更生できない。社会も、事実と格闘することなく、少年を再び受け入れるようにはなれない。では、事実と直面することなく、何を守るために守秘義務はあるのだろう。よくよく考えていくとそのような疑問がわいてくる。

 いまは匿名が大流行だ。暗証番号、パスワード、監視カメラ、シュレッダー、個人情報保護スタンプ、そして守秘義務。アパートに表札は出さず、匿名掲示板に書き込む。匿名世界と現実世界は乖離し、生まれた隙間には、関係を渇望しつつ、決してその欲望は満たされない領域が広がっている。リア充を求めても、その領域は事実が横滑りし、乱反射し、拡散するだけだ。ネットは「晒し」「炎上」が日常茶飯事だ。その世界を横目で見て育つ若者はいっそう匿名性で身を固め、よりヒリヒリする毎日をやり過ごす。

 

■もうひとつ別の見方

 社会学者の大澤真幸は少年Aのことをこのように書いた。

――Aは、(自作の詩の中で)「魔物」について語っている。それによると、魔物は、「自分(A)の中に」、つまり「心の独房の中に」「住んで」おり、「あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る」。そして、「魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない」と警告する。この魔物、「虚空を見つめる魔物の目にはいったい、何が見えているのであろうか」と、Aはそのまなざしに関して疑問を差し向けている、この魔物は、バイオドオキ神と同じものではないか。そうであるとすれば、バイオドオキ神(のまなざし)は…Aを規定するのであって、外的な超越性をほとんど帯びていない(「まなざし」はAの外には存在せず、内側で閉塞しているの意)――(『不可能性の時代』、大澤真幸、岩波新書、2008年、p65-66

 犯行声明で、Aは「透明な存在」という言葉を使い、この言葉は有名になった。

「ボクがわざわざ世間の目の注目を集めたのは、今でも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として頂きたいのである」

 この「透明なボク」、「魔物」、「(架空の神)バイオドオキ神」、「酒鬼薔薇聖斗」はスペクトラムのように連続した存在だ。これらは、「心の独房」に存在しているから、見えないし見られない。これらは「心」のなかに隠れているモノたちだ。

 隠れた存在にとって、守秘義務に守られ、情報が漏れないことは望ましいことだろう。日の当たらない湿った場所を好むムシたちのようにそこでひっそりと潜む。もしこの「魔物」の操りを断ち切ろうとしたら、A君は日の当たるところに「心」を晒さねればならない。厳しいことだが、守られるべき個人情報と逆の行為が必要になる。でなければいつまでも「魔物」が洞窟の奥に棲み、そこで仲間を増やしているからだ。

 おそらく社会復帰したA君は、何らかの方法で日の当たる場所に向かっているのかもしれない。

 守秘義務は「魔物」を守るためにあるのではなく、「魔物」と闘おうとするA君のためにあるものだ。彼とともに歩むためには私たちも日のあたる場所を歩まねばならない。すると、時として、井垣氏のような「守秘義務違反」と攻撃される立場に立つこともあろう。ここには深遠な逆説が存在する。

 佐々木氏と井垣氏は、この全文公開によって多くの非難や誹謗を受けるだろうが、覚悟して決めたことだろう。私たちは彼らの深い思い、重い課題を真摯に受けとめなければならない。公開された全文は、再発をふせぐため、社会のため、そしてA君の将来のために、思慮深く役立てる必要がある。そして、酒鬼薔薇聖斗がヒーローでいることをやめさせ、静かに土の中に眠ってもらうためにも。

2015年4月3日

羊が一匹、羊が二匹…

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:30 PM
今晩、眠れますように

今晩、眠れますように

 

ぼくは眠れないことで悩んだことはほとんどない。

日々、平穏な精神状態でいるというわけではない。むしろその反対かもしれないけど、眠ってしまう。

ずいぶん前、Fさんが足を痛めて、外科に入院したら、幻聴が聞こえてきて不安になった。彼から電話があって、それにつきあった。しかしぼくはすっかり眠ってしまった。

母が胸の手術を受けて、その夜に付き添ったときもそうだった。看護婦さんが部屋に入ってきて、目を覚ます。起きようとすると、看護婦さんが「大丈夫ですよ」と優しく言ってくれるので、また寝てしまった。

認知症になった親戚の方の付き添いのときも…。彼女は「家に泥棒が入って…」どうのと話していたけど、しっかり寝た。

 

今晩、眠れるかと気になっている若い人がいた。

グループホームで体験宿泊をするからだという。

なんとか眠れますように…。グッドラック。

 

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