なんとなくサンネット日記

2014年12月29日

こんな和解もあるのか

Filed under: つぶやき — toshio @ 10:56 AM
おーい。俺だあ。

おーい。俺だあ。

■2014年9月・再会

秋のある日の午後、ガラス戸ごしに見えるエレベーターから何人も降りてきます。サンネットに入ってこようとしている彼らのなかに、ピープルファースト北海道の土本秋夫さんを見たとき、一瞬、「ウワッ!糾弾だ!」という緊急サイレンが頭のなかで鳴り響きました。身に覚えがないのですが…。

土本さんとお会いするのは2回目、12年ぶり。落ち着いて話を聞くと、彼らの今回のターゲットはわたしたちではありませんでした。過日報道された青森市内の知的障害者施設で起きた、職員の入所利用者への暴行事件。それへの抗議行動が青森を訪れた目的でした。当該施設の責任者と青森市役所の担当者に面会し、津軽地域の施設に行って交流するその合間にサンネットを訪れたというのです。

私は胸をなでおろし、ゆっくりおしゃべりしました。前回はあるトラブルをめぐって土本さんたちと出会いました。いっしょに行動していた、支援団体の共生舎の岩渕進さんがたいそう怖かったのですが、もう、ずいぶん前に亡くなったことも土本さんから聞くことができました。前回のことからどこか避けていたピープルファースト北海道とのお付きあいでしたが、これを機に細く長く続けていきましょうと握手をして別れました。

人生にはトラブルがつきものです。自然、避けるようになる人もいて、それっきりの別れになってしまう場合もあります。今回のように、ときに再会し、和解することがあると、こういった喜びは人生の醍醐味だなあとつくづく思うのです。

■2002年12月・トラブル
12年前の12月の人権週間、青森県障害福祉課が人権に関するフォーラムを開催することになりました。私たちも企画の段階からかかわりながら、サンネットの根本あや子が司会をし、ピープルファースト北海道の土本さん、九州の車イスの障害当事者、東京の精神障害者の活動をしている当事者の3人がシンポジストという豪華な企画になりました。
当時は、障害者の人権ということにまだまだぼんやりした状況でしたから、この企画が新しい青森を切り開いてくれるのではないかなどと期待を感じつつ、私たちはそのフォーラムをほんとうに楽しみにしていました。

ところが、前日になって知るのですが、とんでもないことが起きていました。まあ、とんでもないどんでん返しにあうのはいつものことです。そのときもそうでした。

ピープルファースト北海道が、当日資料の原稿として送ったものを、県の担当者が「勝手に削除した」、それは差別ではないかと抗議していたのです。

経過は次のようでした。――ピープルファーストが送った資料がまず膨大だった。すると、県の担当者は資料を圧縮してほしい、このような内容ではどうだろうと事前に土本さんの事務所に連絡した。ところが、事務所では土本さんの不在が続き、連絡が本人に伝わらないまま、つまり県の担当者にとっては返事のないまま日程が近づく。そうしているうちに、削除した原稿のまま印刷に回ってしまった――。

ぼくの理解では、差別によって削除したのではなく、役所と市民活動のスタイル(時間配分や事務連絡のやり方)の差があって、その違いを役所担当者があまり体験していなかったことから引き起きたできごとと思いました。つまり、手違いがあって、ていねいさに欠けたのだけど、差別ではないと思いました。

しかし、土本さんから見ると、送った資料が勝手に削除されたという事実に間違いはありません。

それで、フォーラムの前日、急遽、夜遅くまで、県の担当者、司会、パネラー、支援者が話し合いました。印刷した資料は訂正できないが、削除した分を簡易印刷で加えたらどうか。フォーラムのなかでその経過を含めて語りあったらどうか…。

結局のところ、ピープルファースト北海道は抗議の意を表明して不参加。その行動に共鳴した東京の当事者も不参加。根本あや子がパネラーにまわり、九州の当事者と二人で経過も含めてフォーラムを何とか成立させる。その会場で東京の当事者は会場で抗議のチラシをまく――このような不規則な展開をくぐりぬけたのでした。

「県庁⇔ピープルファースト」という対立軸を強調することで、「フォーラム(県庁・パネラー)⇔参加者」という広がりは狭くなってしまいました。広がりより対立軸を優先した彼らの選択は、それでほんとうによかったのだろうかと私は思っていました。対立軸の理論的指導者のように見えた岩渕進さんについて、私はよい印象を待たないまま(もっといえば嫌な気分で)そのときはわかれました。

このことがあったのですが、6年後、岩渕進さんはお亡くなりになりました。それを私たちは知らないままでした。

■2014年12月・東京の古本屋で出会った本

先日、年末も近づいた山の手線のある小さな駅の近くで、時間つぶしに立ち寄った小さな古本屋。300円と値のついた『自閉症裁判――レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(佐藤幹夫著、洋泉社、2005年3月)を購入。この本が、札幌の共生舎の岩渕進さんとかかわりのあることはまったく知らずに…。

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072700868.html

 レッサーパンダ帽男事件とは、2001年4月30日、東京浅草の路上で女子短大生が刺殺された事件です。犯人はレッサーパンダの帽子をかぶった大柄の男性と目撃されていました。奇異な格好の似顔絵がテレビで流れて人目を引きました。わずか10日後、5月10日に29歳の男性が逮捕されました。

犯人の彼は札幌の高等養護学校の卒業生であり、また、本のタイトルが「自閉症裁判」とあるように、彼は自閉症でした。

父も知的障害者で、家は貧しく、彼が15歳の時には家族の精神的な支柱だった母を亡くしました。いろいろなことが重なり、彼は22歳頃から、ひんぱんに放浪と窃盗などでの服役を繰り返すようになり、そのような過程で苦労したのが4歳年下の妹さんでした。貧しいなかで金銭的援助をし続けた彼女は、当時、腫瘍が転移し、在宅酸素療法を行う状態でした。

そこに「犯人逮捕」の情報が流れると、札幌の父と妹が住む家にマスコミが大挙して押し寄せ、彼らは家から出られなくなりました。食うや食わずに過ごしていた彼らを、3日後に救援に入ったのが、共生舎の岩渕進さんたちでした。

当時、癌の末期の状態であった妹さんを引き取り、翌年8月に亡くなるまで彼女の最期までを支え続けたのが岩渕進さんたちだったそうです。『自閉症裁判』には最後の方にそのいきさつが述べられています。

http://moon.ap.teacup.com/mikyo/933.html
(板谷みきょうさんという方のブログに岩渕進さんのこと、この本のことが書かれていました)

 楽しいことなど一つもなかったという25歳の女性の最期の1年4ヵ月を、本人の希望通り入院することなく支えぬいた。それは「支援」などという言葉で語れないほどすさまじい、叫びのような活動だったと思います。
私が岩渕さんと出会ったのは、彼女を見送ってからわずか4ヶ月後。「ありとあらゆる組織や機関がこの25歳の女性の人生を見捨ててきた」。岩渕さんはこう思って彼女と付き合ったことでしょうし、青森県の人権フォーラムで、県庁職員が資料を削除した時、彼女を看とりつつ感じてきた怒りに火がついたのでしょう。「くそ!行政なんてどこもほんとうにくだらないことしかやらない!」などと。

私はこの本を読んでそう思いました。もし岩渕さんの気持ちがそういう流れなら、私にも理解できるなあと…。

ふ~む、生前にもう一度、岩渕さんときちん出会えたらよかったのに、私はそう思いました。合掌。

(いよいよ年末です。来年もよろしくお願いいたします)

2014年12月15日

だから

Filed under: つぶやき — toshio @ 7:33 PM
いつか来たところ

いつか来たところ

秋葉原無差別殺傷事件の被告、加藤智大は、『殺人予防』(批評社、2014年8月)を今年の夏に出版した。4冊目になる。

本の帯には「間違いだらけの『有識者』たちの『有識』を糺す」とある。

 

(誤)                                      だから事件を起こす。

(正)事件を起こせば           

 

とも書いている。そして、加藤被告は彼独特の論理を展開するのだが、その論理についてぼくは考えている。奇妙だと思っているのであるが…。

彼が言いたいことは、「加藤被告は社会に絶望した」「だから事件を起こした」、などとそれらしく説明する有識者は誤っているということである。学者や評論家が「精神的な未熟さ」「他罰的な性格」「非正規雇用」「人間的つながりの不足」などと、いろいろな概念でいじるが、それはやめてくれ!とでも言っていると思う。

彼は、自分の人間的なあれこれを詮索しなくても、外形的な因果関係を押さえれば事件を予防する糸口がわかるはずだと主張する。その論理とは「だから」にまつわることだ。

彼は言う。

暗いから、電気をつける。という文章は

→電気をつければ、暗くなくなる。と反転できる。

 暗いから不自由(A)という状況は、電気をつける(B)という行動によって、明るくなる(C)。

空腹だから食べる。 →食べれば空腹でなくなる。

汚れたから洗う。→洗えば汚れが落ちる。

このように、(A)+(B)=(C)がなりたち、ゆえに反転可能である。

この反転可能性は、正確な因果関係の証明であって、この因果関係をきちんと組み立てれば人間の行動を変化させることができるはずだ。

ところが、

精神に障害があるから、意味不明な言動をする。という文章があったとすれば

→意味不明な言動をしなければ、精神の障害がなくなる、と反転はしないではないか。

 ということは、精神障害と意味不明な言動は正確な因果関係ではない、というのだ。(p172-173)

さらに、意味不明な言動があるから精神障害といっているだけであり、精神障害は概念であり、実体ではない。聴覚障害も耳が聞こえない症状が表れている人をそういっているだけで、耳が聞こえない原因が聴覚障害ではない、と彼の主張は徹底していく。

加藤被告は、人間の内面的な働きを表すいろいろな認識、概念を一切否定し、人間の外部に存在する因果関係だけで説明しようとするのである。想像力も、意志も、共感、暴力、忍耐…そういったことのすべてである。

ただ、「だから」という言葉のことにたち返って考えれば、この論理にはむりがある。「だから」「それゆえ」という接続詞が、かならず、(A)+(B)=(C)という方程式が成り立つわけではないからだ。(A)+(B)=(C)という式は、(A)が(C)になる変化に、主体の(B)という行動が働いており、そのため(B)を軸に反転可能性が生まれるのである。

ところが「精神に障害があるから、意味不明な言動をする」という文章は、それとは違う。「彼はエリートだから、なにかと鼻にかける」、「春だから、畑に種をまく」などと似ていて(A)=(C)、ないしは(A)→(C)という形であり、(A)が(C)になる、主体の(B)行動はない。だから反転しないだけである。

加藤被告は、最高裁に上告中している。棄却決定が出れば、死刑が確定する。いつそうなるかわからない状態だ。だから、奇妙な彼の論理は、ふざけた結果などではない。この本が最後になるかもしれないという緊迫した状況で精いっぱい書いたのだろう。「加藤智大は…だった、だから犯罪を犯した」などと堂々めぐりの議論はやめてほしい、実効ある「殺人予防」をしなければならない。だから、この因果関係を基本にした考え方をもってほしい、そう言っているとぼくは思う。

彼流の遺言のつもりかもしれない。

しかし、それでも、自己の内面を語ろうとしない、あるいは語れないところに、事件の原因があったのだろう。彼が言ったところに「予防」があるのではなく、語ろうとしなかったところにそれがあると思うし、それはぼくのなかでますます確信になっていく。

加藤被告は母親の虐待について、今まで書かなかったことについてふれた。彼は言う。

――私は、母親の自分への仕打ちが不満でした。脳みそを使っていない「有識者」であればすぐに「他者への不満→殺人」と結びつけるところでしょうけど、不思議なことに、私は母親を殺そうと思ったことはありません…よくよく考えてみると、私は「母親の仕打ち」に不満があるのではなく、「母親の養育を受けた自分」や「母親の犯罪行為が隠蔽されていること」に不満を持っていたのでした--。(p210)

ここには、母親に愛されなかった悲しさ、母親に変わって欲しいと思う切なる願い、どこかで愛し合える親子になりたいという希望が隠されている。どこか見えないところにくるんで、文字の果てにしまいこんだのかもしれない。彼は彼なりの誠実さでことに臨もうとしているだが、心の真実は闇の中に沈んでいくような気がする。

(彼は弟が自殺したことを知った上でこのように述べているのでもある。)

しかし、それにしても、彼の著書の4冊を通して思うのだが、外部に向けて語ろうとすればするほど、彼は自分の殻を固くする。彼のなかにはそういう傾向があるのだろう。

もう一つ、重要なことは、彼の論理に共鳴するたくさんの人がいるということだ。「なぜ彼は(私は)この事件を起こしたのだろう?」と考えるのではなく、「どうのような方法があれば、ここに至らなかったのだろう(あるいは、至ったのだろう)」と考える人々が多くなっている。

自分の内面を見ようとしない。つまり、探求すべきことが自分のなかにはないとする指向は、ある種の少数の人のものではなく、「普通」のことになろうとしている。これはどのように理解すべきだろうか。それがもう一つの大きな問題だと思う。

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