なんとなくサンネット日記

2014年4月30日

借りを返す、父母未生以前は?

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:13 PM
ずっと向こうに八甲田山

ずっと向こうに八甲田山

『借りの哲学』(ナタリー・サルトゥー=ラジュ、2012、高野優監訳、小林重裕訳、太田出版、2014年邦訳)。東奥日報に書評が載った。読んでみるととてもおもしろかった。

■借りの哲学

 著者のサルトゥー=ラジュはフランスの哲学者、作家である。「ネオリベ(新自由主義)批判の一種」(千葉雅也氏:共同通信社の書評者)という評価があるが、それにとどまらない思想的な広がりをぼくは感じている。

 彼女が提示する「借り」とは、「負債」だけでなく「恩」や「負い目」も含む、広い概念だ。このキーワードで、聖書の話やシェークスピアのベニスの商人を読み解き、現代社会を考え、豊かにつながりあう未来を展望しようとする。哲学、社会学を駆使するが、くだけた進みかたでとっつきやすい。

 しかし、一般に、「借り」(借金、恩義)というと、あまりしたくないもの、避けたり、そのままにしておきたくないものである。ネガティブな響きがある。

 サルトゥー=ラジュは、人は誰も「借り」をもつ存在だという。「借り」があるから生きている、そのことに気づけば感謝が生まれ、「借り」を返そうとする。そうすることで、社会は失われたつながりを回復する、と。まるで、地縁、血縁の “縁”のような考え方ではないか。

 「借り」という言葉をネガティブな先入観でしばらず、ややポジティブに受け止めながらこの本を読むと、いろいろな気づきが得られると思う。

 

■モースの贈与論

 「借りの哲学」はマルセル・モースの「贈与論」が下敷きだ。

 マルセル・モースは20世紀の前半に活躍したフランスの社会学者、文化人類学者。「贈与論」(1925)は、その代表作である。

 (贈与論)のなかで(モースは)…「原始社会においては、生産物が単純に交換されることなく、経済的な事物のほかに、饗宴、儀礼、軍事活動、舞踏、祭礼…などが部族と部族の永続的な契約の一部として、全体的に交換された」…すなわち、経済のみならず、宗教、道徳、文化などあらゆる分野で、《贈与》の《交換》が行われる(と述べている。)…モースはこの《贈与交換》のシステムを…市場の確立や貨幣の発明に先立つものであるとした。(p47-48)

モースは《等価交換》を原則として損得勘定ばかりを問題にする資本主義社会を批判し、経済よりもっとおおきな枠組みで人間社会を再構築するために、《贈与交換》のシステムを復活させることを強く訴えている。(p51)

 ぼくたちは資本主義社会のなかで生きている。コンビニに行って150円のコーヒーを買おうとしたら、レジで150円分の貨幣を渡して、コーヒーを受け取る。《等価交換》だ。貨幣で清算する。150円の貨幣は、盗んだものであろうと、だまし取ったものであろうと、売買自身に問題はない。清算したのだから恩や負い目を感じる必要もない。

 もっといえば、店員を勘違いさせて、金を渡さずに150円のレシートを得たなら、もう150円のコーヒーは自分のものだ。清算はすんでしまったのだから。

 ぼくたちはスマホやPCで情報を得ては、飛行機や電車の予約をして、切符を買って移動する。家や車も買い、エステや学校の授業料も支払う。恩や負い目などの「借り」にしばられることなく、自由に活動する。でも、その自由さには不道徳なものも入りこんでしまった。ちまたには、「自分には《借り》がない。今の自分が持っているのはぜんぶ自分の力で得たものだ。だから人に分けてやる必要はない」(p26)と信じている人間がたくさんあふれた。

 モースの「贈与論」は、《等価交換》によって生じたこのような問題を指摘し、越えようとしているのだ。

《等価交換》が奪ったもの

 これはよくある話である。ある工場の年配労働者が、あまり仕事のわからない若い労働者に、仕事のあれこれや心構えなどを教えてやろうと考えた。ある日、年配者は仕事の終えた後に若者を酒に誘う。「今日は急いで帰るのか?よかったら飲みに付き合わないか?」。すると、若い労働者はたずねた。「残業ですか?それともおごりですか?」と。

 仕事の延長なら残業代が支払われるべきだろうし、個人的な交際なら御馳走すると言っているのだろうか、若い彼はそれを知りたいと思った。年配の労働者はそれを聞くと、やや考えていった。「いや、やっぱり、今日はやめておこう」。

 年配の労働者は、自分の「体験」を《贈与》したいと思った。自分が若い時代、先輩がしてくれたように。飲み代をどうするかという話ではなく、自分が先輩から学んだことや仕事のなかで得た知識を、若い人に与え返そうとしたのだ。ところが、若い労働者は、飲み代をどう清算すべきか(「飲むもの」と金銭の等価交換をどのようにすべきか)と考えていた。二人の考えがすれ違い、「体験」が《贈与》される「機会」と「場」は失われた。それは、その後何年も同じ状態だった…。

 このように、《等価交換》という考え方は、この社会から「何か」を奪った。ぼくたちは、このことに気づかなければならないし、「何」を、どのように取り戻すべきか、それを考えなければならない。これは急務だろう。

ニーチェの《負債》

 サルトゥー=ラジュは、次に、ニーチェを引く。

モースが経済活動を含む原始社会の人間関係の基本を《贈与交換》に求めたのに対して、ニーチェは《負債》こそがその基本だと考えた。…ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、ニーチェの『道徳の系譜』の影響を受けつつ、原始経済は…《負債》から説明すべき(と)言っている。(p53)

(ニーチェは)キリスト教では、人間が持っている原罪を…神の子であるイエス・キリストが身を持って引き受けたこと(贖罪したこと)によって、人間は生まれながらにしてイエスに対して《負い目=負債》があると考える。(p44)

負債という概念があることによって、人間は「道徳的な存在」になったと(ニーチェは)いうのである。というのも、「道徳的な存在」になるということは、要するに「約束を守る存在」になるということであるが、そのためには「記憶を持つ存在」にならなければならない…(負債があることによって)「借りたものは返さなければならない」」という意識植えつけ、「借りたものをきちんと返せる」ことによって、人間を「約束を守る存在」にしたのである…「約束を守ること」「責任を持つこと」(といった道徳の基礎を)…《負債》はその観念を育て、鍛えたのである。(p54)

 ニーチェは、負債を記憶すること、そしてその負債をきちんと返すことによって、信頼され、約束を守るという「道徳」が生まれたと考える。サルトゥー=ラジュは、ニーチェの《負債》の考えをふまえ、個人の「道徳」の基礎以上のもの、つまり社会の絆の基礎にしようと考えた。

 

■信頼があるから《貸し》《借り》がある

 モースの《贈与交換》とニーチェ《負債》の考え方を受け継ぎ、「借りの哲学」でそれらを拡充する。

ニーチェは「借りたものを返すことによって…信頼される存在になる」といったが、…(モースの)《贈与交換》における「信頼」はニーチェの言うものとはまたちがったものになる。それは「あらかじめ相手を信頼する」ということだ。「貸したものが返ってきて、はじめて相手を信頼する」…のではなく…返ってくる前から、お互いに相手を信じることなのである。

…だが、私たちがめざすのはもっと相手を信頼する社会である。また、相手の方も私たちを信頼する社会である。時によって、《貸し》をつくったり、《借り》をつくったりしながら、関係を続けていく。この関係には終わりはない…自分が何を与えられたかを十分意識し、そのお返しに何を与えるかを考える…ひとりひとりが《借り》があることに自覚を持ち、その《借り》に対して責任を持つ社会を目指すべきなのである。(p58-59)

 信頼に裏打ちされた《借り》とは、ゆっくりと、責任をもって返すべき自分の目標である。詳しく紹介しないと《借り》概念が信念論のように受け止められるかもしれないが、現代社会の課題や学問の歴史を踏まえた確かな「ビジョン」だとぼくは思う。適用力のある、拡張性のある考え方だ。

 

■《借り》を否認するあるタイプ

 本はいろいろなところで新自由主義的な人々――自分には《借り》がない。今の自分が持っているのはぜんぶ自分の力で得たものだという生き方をしている人々――を戯画的に描いている。

 《借り》を拒否するタイプを大きくわければ、《借り》の存在を認めない人と、《借り》から逃走する人がいる。そして、後者には機会主義者(オポルチュニスト)がいるという。機会主義者は、日和見主義ともいい、定まった考えによるものではなく、形勢を見て有利なほうに追随しようとする姿勢のことだ。サルトゥー=ラジュは、ネットワーク社会の誕生によって生まれた、《借り》を拒否する新しいタイプだという。これが実に興味深い。彼女は次のように述べる。

機会主義者には、信念というものがない。また、自分の能力を伸ばし、成長して、自分の価値を高めようという気持ちもない。ただ、「機を見るに敏」というか、機会を利用して、自分がもうかればいいのである。(p194-195)

ネットワーク社会から多くのものを借り、それによって自分の利益をはかりながら、その《借り》を返さないというかたちで生きつづける。(p195)

機会主義者は、コンピュータと一体化したように、金儲けの部品となって、ひたすら利益を追求していく。その代表が株の売買によって利益を得るトレーダーである…どの株があがるか、どの株がさがるか、ネットワーク上からいちはやく情報を仕入れ、それをもとに利鞘を稼いでいく…そこには、現実の社会と関わり、社会を少しでもよくしていこうという意図は存在しない…自分の行動が社会に何を及ぼしたのか、その《責任》については、全く考えないのである。(p199-200)

機会主義者は、ある集団に属しても、そこでつくった《借り》を十分、返さないまま、別の集団に移るというかたちで《借り》から逃れてきた。だが、それぞれの集団には《借り》が残っている…そして、もはや新しい集団に移ることができなくなったら…《借り》はいつかは返さなければならないのだ。(p201)

 このようなタイプの人たちは、内面に大きな孤独をかかえこむ。彼らは不平は言うが、感謝できない。不平と孤独は、「否認」という壺の外側と内側のことかもしれない。その壺は何も満たされてはいない。

 

■《借り》がある

 さて、《借り》について考えることは、現在いろいろなところで問題になるフリーライダー(タダ乗り)の問題を考えることにもつながる。論理的には一見不思議だが、《等価交換》がフリーライダーを増やしていることに気づく。文化、宗教、道徳、信頼、愛、絆…そのようなこの世界のありとあらゆることから、経済=市場だけを独立させ、優位な地位を与えたモノの考え方に、フリーライダーがひそんでいた。清算が関係のすべてで、利益優先が価値の第一位であれば、もっとも利幅が大きくなるのがフリーライダーだ。《等価交換》の論理の終着駅で、フリーライダーたちが必ずたむろするのはあたりまえのことだ。

 《借り》がある、と考えることは、経済=市場の考え方をテコにしつつ、この世界のあらゆることをむすびつけようとすることだ。フリーライダーたちがあらゆることを切り捨てようとすることの逆方向を歩む。

 書評者の千葉雅也氏(立命館大)は《借り》があると思うことに苛立ちを感じている。彼は書評の最後に、「(この本は)私たちには『生まれながらの借り』があると強調する。なるほど、私たちは、生まれる前からあった資源に頼って成長していく。しかし命はどうだろう。この点をあらためて考えさせられた」と記して、結んだ。

 千葉は、こう問いかけたいのだろう。社会から与えられたものを、社会に貢献することで社会に返すのはわかる。しかし社会的構造物ではない「命」、それ自身は物質世界なのだ。どのように返すというのだろうと。

 生命の問題と社会の問題をつなげようとするところには、論理的なギャップがあると言いたいのかもしれない(彼の批評はあまりにもツイッター的すぎてぼくには不満がある)。

 人として、自分の「命」をかかえて生きるとき、その私の命が《贈与》や《借り》によって、この世に生れ出てきたと感じることは、論理的な態度でないが、生きる上で必要な構えだと思う。この構えは、心の内側にいろいろなつながりを巡らし、生きている実感を支えるだろうから。

社会との関わりを絶ち、自分のなかに閉じこもって、ひたすら自分の欲望を追求する社会は、決して個人の内面を豊かにしてはくれない。反対に貧しくなる一方である。というのも、人が成長し、内面的に豊かになろうと思ったら、他人と関わることが必要だからだ。内面のない個人は、ただの空虚な入れ物でしかない。(p180)

だが、人間は「自分は空虚だ」という恐ろしい現実に向きあいたくない。だから、何もしないで、自分と向かい合っていることもできない。そのため、一時の「快楽」に走って、自分が空虚であることも、社会に《借り》があることも忘れようとする。(p183)

 このようなことを考えていくと、つい、秋葉原事件の加藤智大被告を考える。空虚な自分に向き合うことに恐怖感を感じていたのは、彼もそうだったからだ。彼は命を《贈与》されたものであったり、《借り》があるものだったりとは思えなかっただろう。自分が生まれる前、自分という命を与えたモノ、命が生じたデキゴトは想像できなかったのではないだろうか。ぼくはそう思う。彼の短い人生は、《借り》を否認し、逃走する歴史だったし、命を実感できなくなり、事件に結びついていった。

 彼も機会主義者の一人だったかもしれない。

 さて、《贈与》や《借り》という見方でものを考えていくことは、社会のさまざまなことをむすびつけ、未来を描くことである。そして、自分の命の根源を考え、信頼や愛をとらえ返すことなのだ。このような考え方を受けて、「福祉」について考えてみる価値はあると思う。長い間、「福祉」は経済学や《等価交換》で語られすぎてきた。もうそろそろ別のアプローチも必要だろう。

 でも、もう、いくつかの営みが生まれているようだ。それが楽しみだ。

2014年4月16日

涙と苦悩

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:10 PM

 

青い月の十三夜

青い月の十三夜

加藤智大(31歳)、秋葉原無差別殺傷事件の被告である彼は、今年の1月、事件について、3冊目の本を出版しました。

『東拘永夜抄』(批評社、2014年)。事件のことは気になっているのですが、つい先日、本屋の棚で見つけるまで、3冊目を出版したことは知りませんでした。題名の「東拘」とは、東京拘置所のことです。

秋葉原事件は2008年6月におきました。そして、2011年3月、東京地裁で死刑判決を受けます。2012年9月、高裁が控訴棄却。現在、最高裁に上告中。未決囚として東京拘置所に収監されています。

彼は、消灯後の眠りにつく2,3時間を、布団のなかで、事件について思い返して過ごしていると述べています。本書の題名は、このような独房暮らしのことです。

事件について、このブログでも2012年1月と2013年5月にふれました。昨年の記事ではこのように書きました。

――自分の内側を知られまいと、一生懸命(本当の)「自分」を閉ざすために本を書いたのかもしれない…彼を虐待してきた母親のコピーとなることで、母を守ろうとしているように思えるので、「自分」が表出するのはそう簡単ではないと思う――と。

マスコミ報道によって秋葉原事件は多くの人が知ることになりましたが、彼の動機は理解しがたいままになっています。「ネット上で問題(=掲示板の荒らし)があったとして、なぜ無関係な人々を無差別に殺傷しなければならないのか」。おとなしそうな、どこにもいそうな青年がなぜこのような事件を起こしたのだろうという疑問、絶望に近い嘆きは、これからも残されたままでしょう。

加藤被告は、検察が犯罪の動機をつくりあげていると主張しています。しかし、事件当時の自分の気持ちの動きを、世間の人にわかってもらうことも難しいと思っています。そのなかで、なんとか「説明責任」をはたしたいと3冊の本を書いているのです。が、本でも、彼の気持ちは十分伝ったわけではないと思います。

加藤被告が「本当の自分」を閉ざしてきたこと、それが事件に由来しているのではないかと私は考えています。3冊目の本を読み終えたいまも、そうです。

「なぜ」事件を起こしたのかは、彼自身、説明困難なようです。起訴前の精神鑑定のため警視庁の留置場で過ごした時期、そのことで悩んだと述べています。

月に数回の精神科医との面接のためにただ留置されていると、全くやることがありません。鑑定留置は3ヵ月でしたが…じっとしているしかないのです。…当然、事件について考えるしかありません…動機や経緯は掲示板での成りすましとのトラブルに対して攻撃を返したのだと大体わかったけれども、しかし、普通の人はそのような一線を超えた「しつけ」は自重するのであり、それを

(ふつうはやらない)

(なんでやったのか)

と、この二つの間をひたすら行ったり来たりするばかりでした。心が溶けていきます。出口は見えません。出口がある気もしません。(『東拘永夜抄』P163-164。以下引用は同書)

■「しつけ」

彼は独特の言葉使いをします。そのなかでも引用文にも出てきた「しつけ」はキーワードです。

実母によって行われた理不尽な「しつけ」に似たことをさす、いわゆる「仕返し」「攻撃」ですが、「しつけ」する側に無限の正当性があるというのがポイントです。

彼が行った重大な行為(無差別殺人)を、「しつけ」という大人―幼児関係の言葉で表現してしまうのですから、彼を理解するには、当然、母親との関係が視野に入らなければならないということです。

事件を起こした彼は、自分には無限の正当性がある、しかし「普通はやらないことをなぜやったのか」という問いに答えられない。それが重要な悩みです。 “自分のなかの正当性”と“死傷事件”との断絶。自分の正当性が世の中には受け入れられないものだということはわかる。しかし自分のなかに実在している「正当性」を否定することもできない…。

この出口のない問いに、直接、向き合うことから離れ、“どうしたら事件に至らないですんだのか”という「予防」について述べたのが、前2冊でした。

今回はやや方向を変えて、 “ともかくこうであった”という「物語」(P3)にしたそうです。「自分史、もしくは回想」とも言っています。心の奥から出てくる言葉の激しさはありません。たんたんとした語り口調で事件そのものと逮捕後のことを中心に物語り、そして、最後は同じ問題にもどります。

事件の真相…一言でいえば、私は、成りすましらを「しつけ」するために、秋葉原の通行人が死傷したという事実を凶器として利用したのです(P178)――と。

 彼にはどうしてもこの論理が超えることができません。方向を変え、考えを重ね、言葉を尽くしても、戻るところは同じところ。読者の多くは、ここの一点が了解できないから彼の本を読むのですが、やはり出発点に戻ります。1㎝も前に進んでいないように見えます。

彼は血を吐くように心の内面を紡ぐことができず、心の外側にある “ともかくこうであった”という「心の事実」をていねいに並べようとした、それがこの本であるようです。

■「しつけ」するための「凶器」

彼の奥底はわからなくとも、彼の考え方を理解するヒントが、この本のなかに散見されます。それをいくつか取り上げることにします。

先の引用の“事件の真相…”の結論にある「しつけ」と「凶器」のセット表現は、別の箇所にも出てきます。二箇所を結びつけると“真相”の扉を開ける“鍵”がやや見えてきます。

事件の前年、加藤被告の両親は離婚しました。2007年5月。具体的な理由はわかりませんが、両親にイザコザガ始まり、彼は母にせかされるように実家から出てアパートを借ります。母は、居残った父をこのようになじったそうです。

「あんたがぐずぐずしているからトモヒロが出ていった」と説明したようです。つまり、母親は、父親を攻撃するための凶器として私を利用したのです…(私は母を)「しつけ」をする気すら起きません。私には最初から親などいないのです。そう思って生きることにしました。(P29)

 彼は、自分が母の道具(父を攻撃する凶器)にされたと思いました。

「しつけ」する人には絶対的な正当性があるから、「しつけ」できる。「しつけ」される側は、その絶対的な人に従い、あるいは攻撃されなければならない。攻撃する道具は、「しつけ」を徹底させるために「凶器」でなければならず、それは「人、命」であってもよい。このような“世界観”が下敷きになっているようです。

人が道具におきかわる体験、それは現実ではなく、彼の理解にすぎないかもしれませんが、きちんと事件の素材になったということです。事件の前年には被害者として、そして事件では加害者として人を「凶器」にしたということになります。

被害と加害の二重性は「しつけ」のなかにひそんでいたのかもしれません。彼は母に「しつけ」され、「凶器」という道具にされたのですが、成長する過程で「する」側にもなりました。

彼は中学生の時、交際していた女の子に「しつけ」をしたと述べています。それは彼女の「浮気」が原因だったそうです。

私のいう「浮気」とは、私以外の人、物に意識を向けることです。それに対して私は、彼女の顔をわし掴みにすることで「しつけ」をしました。その時の彼女の怯えた目が忘れられません。そして、そんな自分が怖いのです。これは、私が唯一、自分の過去に縛られている件です。誰にも言えなかった本当の苦悩でした。(P30)

■人間関係を切り捨てる

誰にも言えない本当の苦悩。この頃、加藤は、弟とも不仲になり、母親に手をあげるようになります。家族から自立していく時期、同級生の女性の友達ができました。家族の外に、自分の世界をどのようにつくっていくのかという青年期の始まり。そのときに、彼女の顔をわし掴みにするという「しつけ」をしてしまった。これは不幸なできごとでした。

怯えた彼女の目のなかに彼が見たのは、怯えている幼い頃の自分の姿だったのではないでしょうか。彼はこの時、母の行為の真似をし、同時に自分の姿を見てしまった。

「真実」を見てしまった以上、彼は母のようにもなれず、子どもの自分にも戻れず、世界から切り離れてしまったのかもしれません。切り離れた感覚が彼を縛り続けてきたのかもしれません。

それは「本当の苦悩」であり、誰にも言えないことだったのだろうと私は思うのです(ただ、もし、この苦悩を話すことができたら、事件につながらなかったのではないかと私には思えるのです。人間を道具にしてしまう「しつけ」の世界から脱出できたかもしれないと…)。

彼の苦悩は、厳密には、苦悩を語れない(聞いてくれる人がいない)という苦悩でした。すると、どうせ語れないなら、苦悩などあたかもなかったように心の奥に埋めてしまおう、というふうに進むのが自然です。

彼は事件後の取り調べで、刑事にいろいろなことを聴取されたときのことを述べていますが、まさにそのことです。

取り調べは続きます。

「家はどんな感じだった? 親は? 嫌なことはなかったか?」

嫌だったことなど、いくらでも出てきます。普段は意識しませんが、関連するキーワードを見聞きしたり、似たような状況に置かれたりすると、思い出して、嫌な気分になるのです。しかし、それを人に話すのには抵抗がありました。理由は、よくわかりません。たまにはポロッともらしてしまうことはありましたが、基本的には「守ってきたもの」です…私は過去の嫌なことはその人間関係ごと切り捨ててきました。(P141)

  あるできごとをなかったように、「人間関係ごと切り捨て」れば、切り捨てたもうひとつの一端につながっている自分自身も切り捨てることになります。子どもの頃から世界から切り離れた感覚に襲われているのですから、自分を捨てることは、それと連続したことであったかもしれません。切り捨てることによって身軽にもなるという利点もあります。

自分を捨て、人間関係を捨て、記憶を捨て、この世界から切り離れても、なお「守る」ものがありました。このことは重要です。何を守ってきたか、彼は語っていません。

しかし、「守る」ものとは何であったか、彼は語らねばならないでしょう。大きな事件を起こしたのですから。でも、それを語ることはたいへんむずかしい。多くの被害者の生命と釣り合う「守る」ものなどありえないからです。人の命はどのようなものとも替え難いものです。

ですから事件を起こすということは、「守る」ものも失うことを意味していました。無意識的に、彼は「守る」ことの重さから逃れたかったのかもしれません。いちばん初めに切り捨てた人間関係、もっとも古い記憶の「重さ」に関係しているのでしょうが…。

■世界から切り離れる

自分という人間がどのような人間で、自分をどのようにコントロールするべきなのか、自分を理解していなかったことが問題なのです…「ま、いいか」とポジティブで、「とりあえず」と物事を深く考えなかった「無反省人生」(P4)が問題だったともいいます。

 彼の言う「ポジティブな無反省人生」は、楽天的な「なるようになる」とは違います。ゲームのリセットと同じく、消去です。嫌なことを忘れるという意味での「ポジティブ」「無反省」です。リセットが常態化されれば、自分の連続性も失われます。

社会との接点をすべて失えば、孤立状態です。それは、死んだも同然です。(P34)

私にとって、社会との接点が失われるのは、それこそ自殺してでも逃れたいと思うほどの苦痛です。(P70)

 本のなかには、「社会との接点」という表現がたくさんでてきます。一般的な言葉です。普通は、ある人が社会の「なかで」存在しているけど、そのなかで特に強いつながりの部分を「接点」と比喩的に表現します。ところが、彼の使い方は、図形における接点のような、文字通りの「接点」であることに注意を払う必要があります。

それは、自己が社会から切り離されていることを前提にした「接点」。ゲーム世界が自分の部屋と別であるように、コントローラーとディスプレイが二つの世界の接点であるかのように、彼は社会から切り離れているのです。

あるいは、地上何百キロメートルの上空でひとりただよっている宇宙飛行士のように、地球世界から切り離れた「状況世界」かもしれません。

その飛行士は地上に帰ることはできず、彼をバックアップするロケットも地上の管制基地もありません。宇宙服に身をまとい、わずかばかりの道具といっしょにひたすら漂っています。

目の前に広がる地球は、飛行士も含んだ「われわれの世界」ではなく、飛行士を除いた、そちらにある「あなたがたの世界」のように見えるでしょう。

孤独な宇宙飛行士にとっては、ときおり生まれる地上とのランダムな交信はおおきな楽しみです。それがあるから生きている実感があるというものです。空気や水と同じ、生命の維持にとっての必要物です。生命を維持するため、あるいは自分の必要物を失わせようとする人物を「しつけ」るため、ときとして、一人ぼっちの飛行士は、手持ちの小型ミサイルを地上に向けて発射することだってあるでしょう。

その場合の問題は、地上にいる「われわれ」はそれをとめる手段を何ももっていないということなのです。

(了)

************************************

『週刊現代』(4・28号)は、彼の弟が2月中旬ごろ、関東方面のどこかで自死したと報じました。弟は1月に、同誌に、A4判250枚の手記を送っていたそうです。その手記で、秋葉原の事件で職を失った悲しみについてふれています。

「(事件当日アパートを抜け出したが)職場を失うのがつらかったことを覚えています。あの会社は社会との唯一の接点でした…

 彼もまた「社会との接点」で戦っていたのです。私は無念な思いがします。合掌。

 

Powered by WordPress