なんとなくサンネット日記

2013年11月23日

複合の美

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:39 PM

シナノゴールド、サンふじ、王林、ふじ、紅玉、サンつがる

民芸運動の創始者、柳宗悦(やなぎ・むねよし、1889-1961)についての新書を読んだ。柳は、思想家、社会活動の実践家、そして反戦の人である。(『柳宗悦―「複合の美」の思想』、岩波新書、2013、中見真理)

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1307/sin_k718.html
いろいろな人とつきあってきて思うことだが、人には、新しいもの、新しい知識を求めるタイプと、求めるものはすでにどこかにあって、見いだし方を求めなければと考えるタイプがある、と感じる。積極的な人と内省的な人。冒険的と思索的、世俗的と宗教的、現実的と観念的…。

人々を簡単に分けられるものではないが、柳は後者だと思う。しかし、見いだした価値観、「複合の美」を明らかにするため、彼は多くの探究を重ねた。そういう意味では前者でもある。新しい知識、各地の現実を踏破し続けた人だ。

若い人が読むといい本だと思うが、いまどき伝記的な読み方はあまりないだろう。

ところで、民芸運動は民衆的工芸の略だが、それは柳の発見――江戸時代の無名の工人がつくった雑器、陶磁器、布類、木工品、船箪笥、民衆的絵画としての大津絵などには日常に根差した民衆の信仰心が現れ、そこにある「信」と「美」の一致は、他の「模倣」でも「追従」でもなく独自なものであるという考え――から生まれた運動である。

復古趣味、民俗学的指向と思われるかもしれない。そうではなく、これは「複合の美」という彼の価値観の到達点である。

著者の中見は「複合の美」をこう説明する。

 柳は「世界を一色になってしまったら人々は幸せだろうか」としばしば問いかけ…野に咲く多くの異なる花が、互いに助け合って、世界を単調から「複合の美」へと導くように、(この世界にある)異なる宗教、宗派や民族も、互いの違いを尊重し、理解しあう必要がある(と述べている)。(p204)

 柳にとって「複合の美」は、実現していく「未来」ではなくて、すでにこの世に存在しているものであり、民芸品のような「モノ」、経典の「教え」、そして「人々」を通じてその一端を表すと考えていた。

これは「ネット世界に未来が見える」と思い込んでいる現代のわれわれにはわかりにくい。柳にとってのディスプレイは、民芸品や経典やある種の「人々」であって、ディスプレイ(=この世の実在)の先に「複合の美」を読み取っていたと考えればわかりやすくなるだろう。

神秘家のウィリアム・ブレイク、クロポトキンの相互扶助論、トルストイの反戦思想などを渉猟した柳は、「複合の美」を見いだした後、仏教をバックボーンにすえた。

「民芸運動を開始して後、戦前の柳は民芸の美を各地に求めながら、時代については徳川時代に注目し、宗教としては自力の禅と他力の念仏を同時に重んじながら、どうすれば再び優れた民芸の美を生み出すことができるのかの秘訣に迫ろうとしていたのである」(p181)

 名もない工人を救えるとしたら念仏、他力の道にあると見ていた柳は、禅の自力の道も視野に含みつつ、晩年をむかえたとき、鈴木大拙(禅を海外に紹介した仏教学者)の「妙好人」ということばにであう。

「妙好人」とは、念仏宗を信じる市井の篤信者のことである。田舎の社会的地位の低い人々であり、しかし信心篤く、俗の泥の中に生まれながらも汚されることなく清い花を咲かす蓮華のように、清い心をもった人という意味であるという。これが柳のディスプレイとしての「人々」である。(p189-192)

信仰を日常のものとして身につけ、知識や概念にとらわれない、端正で至純な人々と柳は考えていた。ここに至って、柳には〈モノ・教え・人〉というプリズムがつくりだされ、「複合の美」が放つスペクトルを見たのだろう。

 

障害福祉の仕事と、柳のこの指向性と、共通するものを感じる。「複合の美」ということばに「共に生きる」ということばが重なると僕は思う。

「複合の美」の現れである民芸を生み出すのには、自力の道と他力の道があるというが、共に生きようとする障害のある人には、アイデンティティを求める「自力の道」を歩む人がいる。そう考えれば、その一方に、日常性を大切にしながら、つながりをつくっていく「他力の道」もある気がしてくる。そう、それは確かにあるのだ。僕は、その「他力の道」を見たいと思い続けてきたかもしれないと、どんどん気づいてくる。

仮に、「共に生きる」ということばに、「他力の道」が親和的ならば、「妙好人」のように町に住む人々のありようから離れるわけにはいかない。そして、抽象的にならず、実際に生きている人々が、具体的に織りなす、日常性を生きるところにこそ、「共に生きる」かたちの輪郭が現れると思える。

そういえば、AAの12ステップの1と2だって、他力の道に見えてくる。http://www.cam.hi-ho.ne.jp/aa-jso/fsteps.htm 何か、ここにはとてもだいじなものがひそんでいるようだ。

2013年11月17日

2分の1の確率

Filed under: つぶやき — toshio @ 3:58 PM
休日の午後

午後の青い海公園

 今年のノーベル物理学賞は、ヒッグス粒子を予想した二人の物理学者が得た。一人はベルギー出身でブリュッセル自由大学の名誉教授フランソワ・アングレール氏。もう一人は英エディンバラ大名誉教授ピーター・ヒッグス氏。二人とも80代の高齢な方だ。

 予想した論文は1964年に書かれた。実際に「発見」したのは、論文の約50年後、2012年になってからだ。

 スイス・ジュネーブ近郊にある大型ハドロン衝突型加速器(LHC)の実験によって、その存在が示唆された。発見というものの、実験結果を分析するのは膨大な作業になるらしい。簡単に「わかる」ものではない。

 この大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は、とてつもない電力エネルギーを使う。地下100メートル、長さ約27キロメートルのトンネルはフランスをまたいで、円形になっている。極低温に冷却することで超電導状態にし、陽子と陽子を衝突させる。世界70ヵ国から6000人もの研究者が働いているという。(『ヒッグス』ショーン・キャロル、2012、訳2013年、谷本真幸、講談社)

 この大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が運転開始する2008年頃、物理学者はヒッグス粒子が見つかるかもしれないと説明していた。

 しかし、一方で、LHCがビッグバンを再現し、微小ブラックホールをつくり世界を破壊してしまうという説(「マッドサイエンティストの暴走シナリオ」だそうだ)も世間の注目を集めていた。

 その一人、ウォルター・ワグナーはアメリカの連邦裁判所にLHCの計画中止を求めて訴訟を起こした。そこでイギリスの特派員ジョン・オリヴァーは可能な限りのまじめさを振りしぼりながら彼にインタビューをした。

 

オリヴァー「地球が破壊される可能性はおよそどれくらいでしょう。100万分の1とか、10億分の1とかですか?」

ウォルター「今言えることは、約2分の1ということです」

オリヴァー「なんですって、2分の1ですか?」

ウォルター「そう、2分の1です。起こり得ることと必ずしも起こらないことがあった場合、起こるか起こらないかのどちらかですので、確率は2分の1です」

オリヴァー「確率というのは、そういうものでしょうか…」

 

幸いウォルターの訴えは2010年に請求が却下された。論理上の「確率」と現実の「確率」を意図的に混同させたウォルターを、私たちが信じるか、信じないか、これも2分の1の選択というわけである。 

ただ、問題はそう簡単ではなかったようだ。ウォルターの説は、仮説上ではあるが物理理論に部分的にもとづいていたからだ。

「この問題では、物理学者が持つ常に正確で正直であろうとする性分が物理学者に災いした。ものを伝えようとするとき、こうした傾向は得てして逆に最も重要な点が正しく伝わらないという結果をもたらす」(p225)

確かにそうだ。センセーショナルで、破壊的、事件的なできごとの方が遠くまで運ばれる。ていねいに語ろうとすれば、大きな声にかき消されてしまうのが世の常だ。

もうすぐ、ノーベル賞の授賞式がある。しかし、ウォルターにとって、世界崩壊の2分の1の確率はいまも微動だにしない。

2013年11月4日

ぼくのランニングコース

Filed under: — toshio @ 10:34 AM

休日の青い森公園

その頃、中学生のぼくの日課だった。

それは、授業が終ると、部室で体操着に着替えて、ランニングをすること。

足が速いわけでもないし、運動にこだわっているわけでもなかった。何かから逃げるように、学校の外に出た。

一人で正門を出て、小川によって走る。煮干し工場の脇を通る時は鼻をふさいで駆け抜ける。秋空が広がっていた。

やがてまばらな農家と畑のところに出る。さらに、小高い丘のふもとと、茶畑にはさまれたうねうねとした道を走る。このへんがいちばん気持ちの落ち着くところだ。

道を曲がったとき、やや見下ろしたところにぽつんと立っている一本の柿の木が見えた。

葉は落ちて、実がまばらについた小さな柿の木。どこにもある柿の木。

でも、なぜ、いままで気づかなかったのだろう。いつもここを走っているのに。

ぼくは立ち止まった。畑に降りて、ひとつの実に手を伸ばす。

そしたら

「ねえ、君、その柿を食べるつもり?」

突然、声が聞こえた。

もいだ柿は手のひらにあった。誰もいないと思ったのに。

とがめられたと思った。

あっ、ごめん、これ、君のだったの。振り返ると、ぼくと同じくらいの子どもがいた。

「ううん。ぼくのだとも言えないんだけど。その木のこころがわかるから、もがれてしまうと寂しんだ」

こころがわかる?

「うん。あそこに防空壕の穴が見えるだろう。二つ並んでいるから、目のようだけど、ぼくのお父さんたちが掘ったらしいんだ。この木は、それをずっと見ていた。面白かったんだと思う。だけど、ある日、海の方から戦闘機が飛んできて、機銃掃射をしたので、ある男の人が死んだ。それからこの木は、ずっとその死んだ人を待っているんだよ。」

丘は20メートルくらいの高さの白い崖になっているところがある。

ところどころに崖をくりぬいた、大人が立って入れる大きさの穴が開いている。それは防空壕だったんだ。

その子が指をさした穴は、ぼくが走ってきた道を脇に50メートルくらい入ったところにある。

木が君に話すの?

「聞こえるんだ。あの男の人の働く姿、笑い声、友だちと語る様子。思い出しているんだ」

ふーん。まるで、恋をしているみたいだね。

「そうだね」

といってその子はクックックと笑った。

かわいい人だと思った。

死んだ男の人は戻ってくるのだろうか? それにもしかしたらその男の人って、と聞こうとしたら、急に、風が吹いた。

砂が巻き上がる。身体をよじって風をさける。

風がやんで、振り返ると、もう、木も少年も手のひらの柿もなかった。防空壕の穴がぼくを見ていた。

あああ

びっくりして、もう一度目をつむったら、ぼくはもう少し大人になっていた。海岸にいた。

ランニングを続けようかと思ったけど、海の向こうに大きな山が見えて、秋の夕日を浴びている。それに気を取られた。きれいだ。山のすそ野はブルー、上に行くほどに赤くなる。てっぺんのほうにはもう雪の白が見える。空は紫。そして…。

はて、さっきの子は誰だったのだろう。

それにしても、ぼくもいつか、誰かを待つことになるのだろうか。思いが頭をよぎった。

あたりを見まわす。波の音が耳に入る。

もう少し、夕暮れのなか、山の方に向かって走ろう、ぼくはそう思った。

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