なんとなくサンネット日記

2013年8月31日

夕暮れの辻

Filed under: つぶやき — toshio @ 2:08 PM

ほら、ごらんよ

 万葉の歌である。

 

  言霊の 八十の衢(ちまた)に 夕占(ゆうけ)問う

  占正(うらまさ)に告る(のる) 妹(いも)相寄らむと(あいよらむ)                   (『万葉集』2506)

現代語にすると次のようになる。

 言霊の多い、多くの道が分岐する辻で(人の言葉を聞いて)夕占をする。

 その占いにはっきりと出た。彼女は私になびき寄るだろうと。

 「八十」は、数が多いことの喩えとしてよく使われる語である。ここでは、「言霊の――八十」と続くとともに「八十の――衢」とも続き、二重の機能をになっている。つまり、言霊が多く存在することと、多くの道の分岐になっていることを重ね合わせた表現である。

 第三句に「夕占問う」とある。夕方、道の交差点になっている辻に立ち、そこを通行する人が発することばを聞いて事の吉凶・成否を占うのが、「夕占(を)問う」という行為である。多くの人々が行き交う辻では、人々が発することばもまたさまざまに行き交う。そこに立つ作者がどのようなことばを耳にするかは、まったく予想がつかない。吉と出ることばも多ければ、凶と出ることばも多い。そのことを述べたのが、「言霊の八十」である。この歌は、作者である若者が「夕占」を行い、「妹相寄らむ(彼女は私になびき寄るだろう)」という結果が出たことを述べたものだが、その結果に対する喜びの感情をおさえた表現になっている。(『言霊とは何か――古代日本人の信仰を読み解く』、佐佐木隆著、中公新書、2013年、p11-13)

 

著者の佐佐木によれば、万葉の時代、さまざまな霊力をもつ神は、人間社会とまったく関係なくその力を発揮するのではなく、人の言葉によって促され、人の言葉のなかにその意思を表したという。

したがって、神との関係において、霊力とことばと、そこから引き起こるできごとは密接な関係をかたちづくった。言(こと)と事(こと)は同源であるそうだ。

私は夕方のたそがれ時、人の行きかう道に立つ。ぼんやりした夕闇のなか、人の顔かたちがはっきりとしなくなる。それでも誰かと誰かは「お久しぶり」「こんばんわ」とことばを交わす。何やら笑い声も聞こえる。せかす声、呼ぶ声、ヒソヒソ話。

私はことばの群れに耳を傾ける。そして、そのなかから、愛しい人との逢瀬を占おうとしている。

 

なんといい世界だろう、と思う。

いまや、ことばと神の世界を結ぶ魔法はとかれた。ことばは霊力を失い、自由になった。だから、現代の夕暮れの辻は、万葉の時代より何万倍も華やかであるにもかかわらず、さみしくなった。

自由なことばの群れは、結ばれる自分の根っこを求めてさまよっているのかもしれない。ぼくらはこころの奥でそう直観するから、夕暮れがさみしいのかもしれない。暮れゆく暗がりにむかい、切なくこころが伸びていく。

2013年8月25日

誠実を胸に刻む

Filed under: つぶやき — toshio @ 11:18 AM

三輪車で遊んでいた。

えっ!それで、どうしようって聞かれても…む、む、む、む。どうしようか。

困ったなあ。こんなとき、気のきく人ならどう答えるんだろう。「そうだね、悩んじゃうよね」って相づちをうつんだろうか。

それとも、「時間をかけて決めたらいいよ」と、どうでもいいことを話すのだろうか。

どうしたらいいか、ぼくにはわからないなあ。わからないから、関係がないいこと話そうかな。

…実は、このあいだ、若い友だちから、ある会の趣意書が送られてきてくれたんだ。

それは、生きづらさに困っている若者に手をかそうと、熟年世代に呼びかけた文書なんだけど、それがすてきだったんだ。ちょっと読んでもいいかい。こんなことが書いてあるよ。

若ものが、見栄や虚勢を張って、意気がり強がり知ったかぶりをして認められようとする必要のないこと――ありのままの自分を自然に正直に安心して、生きていけばいい、生きていけることを――示すことのできる、時間と知恵と気持ちのある、人生熟練世代の方々の参加協力を強く願う。(ルイ・アラゴン「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」)

ここではいろんなことを言っているよ。見栄や虚勢を張って生きる生き方と、ありのままの自分として生きていくことには違いがあるということでしょ。

そして、その違いを「示せる」には「知恵」が必要だし、人生に熟練した人でも「時間」が必要なんだということ、だね。

さらに、生き方にアプローチしようとしたら、「教えるとはともに希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」ということが分かるセンスが必要…ということなんだろうな。すごい言葉だと思わない? ね!

こんなことを語る熟練世代と格闘している若い人から教えてもらったんだ。語りながら、老いも若きもいっしょになって、若者を支える場を作ろうとしているんだよ。いいね。

選ぶのではなくて、つくっていこうと苦労すること。これだよ!

うん? 「だから何?」って言うの…む、む、む。う~ん…。

……

まあ、お茶でも飲もうか。

2013年8月21日

池辺群虫図

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:46 PM

サクラドリの通り道

江戸時代に伊藤若冲(じゃくちゅう)というすてきな画家がいたということを、海原猛さんの本を読んで知りました。

絵を見てみると、どこかで見たような気がするなあ、という程度の記憶はありました。

今回、海原さんの話を読んで、なるほどそうだったのかと感心した具合です。つまり、私にはまったく絵の鑑賞眼がないということです。言葉で、これこれだよといわれると、ほほー確かにすごい絵だなあ、なんて思うのですから。

彼はこの本で、「草木国土悉成仏」という日本文化に着目しよう、西洋技術文文明を批判し、越えようと訴えています。

それが、大震災・原発事故後を生きる私たちの努めだろうということです。確かにそうかもしれません。以下は、『人類哲学序説』海原猛、岩波新書、2013年からです。

 

伊藤若冲は、江戸時代の人です。京都の青物問屋の息子で父が亡くなり、跡を継ぎました。しかし、商売は自分に似合わないと言って弟に跡を継がせて隠居し、自分は絵描きになります。円山応挙と同時代の人間です。…

 若冲は、京都・相国寺の大典和尚と大変親しく、その大典和尚のために相国寺に画を寄贈しました。それが「動植綵絵」です。まことに素晴らしい絵です。…いまは宮内庁三の丸尚蔵館所蔵です。

 この「動植綵絵」は、相国寺にある「釈迦三尊図」の左右を飾る絵として描かれたものです。釈迦三尊というのは、真中が釈迦如来で、向かって右側が文殊菩薩、左側が普賢菩薩で…す。

正面が釈迦三尊図

その絵の左右を飾るのが「動植綵絵」ですが、これが三〇幅もあります。

 それらが…三幅の絵を中央にして左右を飾るものです。三三だから観音菩薩の信仰を表す。観音菩薩というのは三三ものいろいろな姿に変わって人を救う仏です。

 そう考えると、「動植綵絵」の動植物はすなわち観音だということになります。それら動植物が仏教の慈悲の心を表して、人を救っている。

 つまり、植物も動物も、そのようにして人を救うのだと、そういう思想が若冲にあったと思います。(178‐179)

  「池辺群虫図」です。

 水の近くに瓢箪があって、その瓢箪をさんざん虫が食い荒らしている絵です。

 左では毛虫が這っていますが、すべての瓢箪が食べられているところです。しかも、よく見ると左上の方に蜘蛛の巣が張っています。

池辺群虫図

 

  そこに蝶が引っかかっている。蝶だけでなく、蜻蛉(トンボ)や蜂なども蜘蛛の巣に引っかかっている。

 そしてまた、蛙がいて、蛇がいる。蟻も描かれていますが、その蟻は蚯蚓(ミミズ)をたべている。

…このような食い合い殺し合いの世界を若冲は大変華麗な絵画に仕上げている。

 つまり、そういう世界であるにもかかわらず、この世界は素晴らしいのだと、若冲は言おうとしているように思うのです。

(ルイ・アームストロングこの素晴らしき世界」 (“What a Wonderful World”)をほうふつとさせながら、もっとシビアで、かつ小さな虫たちの世界から描く若冲の世界は、“仏教的”なのでしょうね。あるいは“日本的”なのかもしれません?でもよくわかる気がするのです。)

2013年8月5日

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:21 PM
総持寺の思い出

ここでFさんと本を読んだ

…瓶に挿(さ)されている藤の花は、いまを盛りと枝もたわわに花をつけているが、その花房が短いので、畳には届かないことだ、という意味。

  意味的には、まことに他愛のない歌であり、あらためて考えてみると、この歌がなぜこれほどまでに人口に膾炙(注:じんこうにかいしゃ=もてはやされる)しているのか、よくわからない。作品としては、「まとまっていてまず水準作といっていいのではないか」とでも評価するのが妥当なところだろう。

  この一首が「写生歌」の代表のように言われ、引用されるのは、岡井隆も言うように、斎藤茂吉、島赤彦をはじめとする「アララギ」同人たちにより、「写生」を標榜するために繰り返し引用されてきたことによるのだろう…

  …子規自身が記しているように、この一首は病臥詠であるということを押さえておく必要があるだろう。視線が低いのである。低い視線から見たとき、藤の花房と畳との距離、あるいは空間が強く意識されたのであろう…

  …「病床六尺」が唯一の生活の場であった子規にとって、その場で目に触れるかぎりのものが世界であった。その世界の豊かさ、あるいは空間を、藤の花房が畳の上に届かないという距離によって、実感していたということもできようか。

  歌というのは、はかない存在である。見逃してしまえば、それっきりであるが、この一首にように、みんながそれを取り上げれば、さまざまの読みが提示されて、誰もに知られた存在となる。だから、自分がいいと思った歌を繰り返し取り上げ、語り続けることが歌をよみがえらせ、定着させることにつながるのだ。(『近代秀歌』、永田和宏、2013、岩波新書、p162-165)

 

言葉上ではあたりまえ過ぎることも、その詠み手のこころと世界に入り込むと、とたんに広がりと深みが生まれます。共感が大きく働らくからこそ、このようになるのでしょう。

作者の広がりを感じた読者は、次に、自分の感動を誰かに伝えようとするはずです。人にむかって語り、文章を綴るということは、必ず、読者の世界を重ね合わせ、次の人たちに伝えるということ。そのとき、共感が重なりあいながら、さらに共感を呼び起こすできごとが、そこに生まれるのです。

「いいと思った歌を繰り返し取り上げ、語り続ける」という永田は、「行為」の「反復」ではなく、「共感」の「重層化」を指しています。このことをじっくり考えてみると、短歌のことだけにかぎらない、もっと大きなことのように思えてきます。集団性が欠かせない人間にとって、「共感」の「重層化」ということが、文化や社会の形成の基礎で決定的な役割をはたしてきたのではないか。私にはそういう気がしてくるのです。

でも、いまの時代、共感がむずかしくなっています。繰り返し取り上げ、語り続ける。それによって子規の歌が共感を媒介にただの文字列から、その人のこころと世界に変容した。このようなできごとが、いま、どれくらい可能でしょう。むしろ、「思い」がただの文字列に変換され、共感は情報に分解し、消化されている。だからこそ幾度もコピーしては、貼り付けている。そのことは送り手も、受け手も知りながら、やわらかで刹那な「共感」を支えあっています。

共感できる子どもを育てる、などとという議論があります。そこには、共感を個人の能力のように扱っている前提がありました。社会的な人間を考えた場合、その態度は間違っていたのかもしれません。共感に共感を重ねる経験があるか、それが可能な場があるか、そういったことについて考えをめぐらせることが前提にあるべきです。

そのような前提があってこそ、共感が生まれるはずです。社会的な人間はそこから生まれてくる。ですから、短歌とはひとつの作品であると同時に、作品を作品たらしめてきた精神的土壌の存在を指し示す目印でもあるのでしょう。『近代秀歌』を編んだ永田の意図はそこにあるのです。

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