なんとなくサンネット日記

2013年4月29日

暮らしの音

Filed under: つぶやき — toshio @ 1:30 PM

まだ棘だらけ

16年前に青森市に来たとき、地元を知らなくちゃと、新聞は地元紙に変えました。

青森に来る前は、たいがい朝日新聞を取っていました。あるときから朝日歌壇に目を通すようになり、2年くらい、朝日歌壇が載る日曜日が楽しみでした(いまは月曜日が掲載日になりました)。

ぼくは短歌の良し悪しはわからないのですが、全国各地の人たち、老いも若きも、暮らしの中から歌を詠んでいるというところが好きでした。

何度も登場する、いわゆる常連さんの歌を読んでいるとその人の事情も伝わってきます。ああ、お久しぶりだな、病気されたようだったけど大丈夫かな、へー、転勤されたのか…そんなことにも思いがめぐるのです。

やがて、歌のなかで表現される音、声、あるいは静寂に面白味を感じるようになりました。

「音」といっても、歌のなかで現れるのは、実際の音の場合もあるし、記憶にあるなつかしい音という場合もあります。蘇る音楽、ふと聞こえた動物の鳴き声、空想の叫び声、まるで伽藍のなかにいるような静寂さ…。

音は、現在と過去を往復し、心の中のさみしさやときめきやいきどおりの輪郭を彩ります。歌と音…そんなことを考えていたのですが、やがて朝日新聞を読まなくなり、10数年もたってしまったのです。

 

最近になって、ほんとうにときおりですが、朝日歌壇を眺めます。歌のなかの「音」がずいぶん少なくなったと思いました。心の動き、家族との出来事、一瞬の映像…を詠む歌は増えたと思うのですが、聴覚に関する歌は、ずいぶん減りました。

「音」と時代の移り変わりの話はまた別の話です。とりあえず今日の朝日歌壇で私の心に残った「音」の歌を二つ。

 

公園の除染という名のバッサイは笑う思い出たちも切り落とし

 (いわき市) 岸本靖子

 

自宅の近くの公園、子どもたちが遊び、語りあう親子、お友だち。そんなどこにもある暮らしも、福島第一原発事故で一変。放射能汚染の除染作業の木を切るチェーンソーのかん高い音。まるで、公園に広がっていた子どもたちの遊ぶ声、呼ぶ声、笑い声の思い出も、それで切り取ってしまっているようだ。

 

谷奥に病む人集むるホスピタル静けき村に薬局ひとつ

 (八幡浜市) 豊 いちみ

 

四国の山辺の過疎地なのでしょう。静かな村にはやや不釣り合いな病院がたち、そのそばに薬局が立っている…。病む人を集めたというのですから、精神科とか高齢者の病院かもしれません、よくわかりませんが療養所的な病院でしょう。

青森から比べたらずっと西南の土地。春でももう日差しは強い。村には鳥の声や川のせせらぎの音がします。でも、若い人が少なくなったいま、暮らしの「音」が聞こえません。村には静かさにつながったさみしさがあり、ぽつねんと建つ病院のなかでは、また別のいくつもの静かな人生が送られている。

何かが聞こえないという表現の奥に、何かを失った悲しみ、どこかに届かない切なさ、そして、それらに似たやさしさがひめられているのです。

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