なんとなくサンネット日記

2012年12月29日

人の群れ

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:50 PM

年末の公園

今年も残すところわずかです。今年もいろいろな人と出会いました。

でも、たいていのできごとや話は忘れてしまい、ただ日を重ねています。

■蝉

いま病院に着きました。緊張しています。病院の近くに蝉が鳴いてました。あと雀も鳴いてましたよ。

8月のある朝、5時半頃にぼくあてに発信されたメールです。彼との付き合いは、もう14年くらいになりました。精神科病院に通院しているのですが、彼は病院の人ごみにとても緊張します。早く行って、早く帰ろうとして、とんでもない時間に病院についてしまった。蝉の声を聞きながら、ふとメールをうったのです。

 

■結果

ぼくが福祉の領域で働いて35年。そのぼくが新米の時、大先輩たちが何げなく話したのは昭和30年代の福祉(?)状況でした。大八車で患者さんを病院に連れて行ったとか、ヘルパーが訪問しても薪を拾ってから料理をつくらなければならなかった、掘っ立て小屋のようなところで暮らしている人がたくさんいたから…といったことです。

昭和50年代、絶対的な貧困は薄らいでいました。ぼくが出会っていくのは、病気の人、貧しい人を助けようとする名もない人たちの群れでした。米屋の民生委員さん、アル中の内科の先生、飲み屋の気のいいマスター、建材屋のおっかない奥さん、定年退職した大家さん、熱い心の住職…。

いまでも思い出します。

熱意と努力と方向性、結果は自分がどう思うかが結果、困っていないと私が感じたらよい結果

これは孤独な生活を送っている、ある人の手紙。今年いただいたものです。何かをなしたあとの結果も、自分だけで受けとめなければならない。良かったか、悪かったか、話す相手がいないことを表現しています。

助け合い、ぶつかり合い、許しあった、あの人の群れは、町から立ち去ったのでしょうか。それとも声をひそめながらそこここに生き抜いているのでしょうか。

 

■脱出

自分らしく生きる、なんて大きなことは言えないけど、生きやすく生きたい。

新しい人生を願っている若い人のことばです。その人は、いままであっちにぶつかり、こっちにぶつかりしてきたのかもしれません。でも、ともかくもう少し、自分らしく生きられないものか、そういう決意、あるいは呼びかけだとぼくは思いました。

この願いに応えるのは、ぼくであり、仲間であり、あの人々の群れではないかと思います。自分の人生は自分で切り開くのですが、でも一人だけで自分の人生は完結しません。切り開いた先に、人の群れがあって、その中を歩んでいく、そういう人生の道がその人の目の前に広がりますように。

 

■合掌

仏壇の部屋にいるとシーンとして、自然に手を合わせられるようになったんだ

7年近く前に亡くなったお兄さん。いろいろな事情があって、いままで仏壇の前で手を合わせられなかったけど、いまこうして向かい合い、手を合わせられるよ。彼はそう言いました。

人は人と離別、死別します。もう二度と会えないこともたくさんあります。生身の人間どうしは出会えなくなっても、手のひらと手のひらが合わさるように、心のなかで兄と弟が出会ったのです。

今年もいろいろなことばと思いに出会いました。

来年もよい出会いを重ねたいものです。どうぞよろしくお願いいたします。

2012年12月27日

警戒心

Filed under: つぶやき — toshio @ 6:00 PM

青森は雪でも 各地はいろいろ

次の文章はアメリカ第34代大統領のアイゼンハワーが、離任する1961年に行った米国民にむけた演説だ。

軍事と産業が一体化していくことへの危険性を訴えている。軍拡競争時代の軍産複合体性について述べている。

でも、もっと軍事産業、技術システムと広げて考えるならば、いまなお現代的な警句として示唆に富む。読んでみてほしい。

 

――危険は無くならない。それが海外だろうと、国内だろうと、危機に直面する都度に、まるであらゆる問題に対する奇跡の解決であるかのように、派手な巨額を要する行動が誘惑となって現れるだろう。

防衛の新分野の膨大な増強、どんな病虫害も駆除するというような非現実的な農業開発、基礎・応用研究における劇的な膨張、――。これらはそれ自体無意味ではないかもしれぬが、有無を言わせずたった一つの道として提示されるだろう。…

…第二次大戦まで、アメリカには兵器産業がなかった。米国の農具のメーカーが、時代の要請にあわせ、刀も製造した。しかし、今では、もはや国防の緊急事態への対応でよしとするリスクに甘んじているわけにはいかなくなった。私たちは専業の、しかも巨大な兵器産業の創設を強いられることになった。

これに加え、350万人の男女が防衛機構に直接勤めている。我々は、米企業の純益より多額の金を毎年、軍事安保に支出している。

巨大な軍事組織と大規模な兵器産業の結合は、アメリカにとり真新しい経験だ。その総合的な影響力が経済、政治そして精神面に至るまで、どの地方自治体でも、どの州議会でも、連邦政府のあらゆる省庁でも感じられる。

このような成り行きの必然性は理解できる。

だが同時に重大な影響についても留意すべきだ。私たちの労働、資源そして暮らしのすべてが巻き込まれるのだ。そして社会構造自体も。

政府の諸審議会において、軍産複合体による、不当な影響力獲得が――それが意図的なものであろうとなかろうと――生じぬよう監視せねばならない。誤って選ばれた権力の破壊的な台頭の恐れは今も潜在し、これからも折があれば頭をもたげるだろう。  この結合(軍産複合体)の影響力が、我々の自由や民主主義のプロセスを脅かすのを絶対に許してはならない。何事も起こるに任せてはならない。

警戒心を怠らない、思慮深い市民のみが、巨大な防衛産業・軍事の機構を平和的な手段と目的に合致するよう強制出来る。その結果、安全保障と自由の両方を充実させることができる。

最近数十年間の技術革命は、産業・軍隊における包括的変化と二人三脚で起こってきたばかりか、その主因でもあった。この革命では、研究が主役だ。研究はこれまでより形式的で、複雑かつ巨額になった。(それら研究は)連邦政府のため、連邦政府内、あるいは連邦政府の指導下で行われる比率が着実に増している。一因には巨額の(研究の)費用が要るとの理由から、政府との契約がすっかり知的好奇心にとって替わってしまった。古い黒板に替わり、今や数百台の電子コンピューターが据えられている…

…我々は、科学研究と発見に尊敬をもつと同時に、逆に公共政策自体が科学技術エリートたちの虜になる危険性にたいして警戒すべきだ。(『サイバー時代の戦争』、岩波新書、谷口長世、2012年、p39-41)

 

ハイテクの軍事装備。トマホークミサイルに監視衛星・無人偵察機。膨大な軍事費。特殊部隊だけで数万人もいる国。アメリカはずっと軍事大国だと決めつけいたが、軍産複合体が生まれたのは第二次大戦が契機に、戦後成立したとは…思ってもいなかった。

あるシステムが生まれると、あるものは栄え、あるものはすたれ、巨視的には取捨選択される。しかし、時には、天敵が存在しない土地に運ばれた外来種のように、爆発的に増殖することもあるのだろう。アメリカの軍産複合体は、プラグマティズム(合理主義)と資本主義を養分にした無敵システムなのだろうか。

警戒心を怠らない思慮深い市民…それはいまでも、いやいまだからこそ切実に求められていると僕は思う。

膨大な予算と権力、はりめぐらせた論理と科学と利権。この軍産複合体システムと、名もない思慮深い市民がつりあってほしいと大統領が望んだ1961年。精神的には健全な時代だった。

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