
年末の公園
今年も残すところわずかです。今年もいろいろな人と出会いました。
でも、たいていのできごとや話は忘れてしまい、ただ日を重ねています。
■蝉
いま病院に着きました。緊張しています。病院の近くに蝉が鳴いてました。あと雀も鳴いてましたよ。
8月のある朝、5時半頃にぼくあてに発信されたメールです。彼との付き合いは、もう14年くらいになりました。精神科病院に通院しているのですが、彼は病院の人ごみにとても緊張します。早く行って、早く帰ろうとして、とんでもない時間に病院についてしまった。蝉の声を聞きながら、ふとメールをうったのです。
■結果
ぼくが福祉の領域で働いて35年。そのぼくが新米の時、大先輩たちが何げなく話したのは昭和30年代の福祉(?)状況でした。大八車で患者さんを病院に連れて行ったとか、ヘルパーが訪問しても薪を拾ってから料理をつくらなければならなかった、掘っ立て小屋のようなところで暮らしている人がたくさんいたから…といったことです。
昭和50年代、絶対的な貧困は薄らいでいました。ぼくが出会っていくのは、病気の人、貧しい人を助けようとする名もない人たちの群れでした。米屋の民生委員さん、アル中の内科の先生、飲み屋の気のいいマスター、建材屋のおっかない奥さん、定年退職した大家さん、熱い心の住職…。
いまでも思い出します。
熱意と努力と方向性、結果は自分がどう思うかが結果、困っていないと私が感じたらよい結果
これは孤独な生活を送っている、ある人の手紙。今年いただいたものです。何かをなしたあとの結果も、自分だけで受けとめなければならない。良かったか、悪かったか、話す相手がいないことを表現しています。
助け合い、ぶつかり合い、許しあった、あの人の群れは、町から立ち去ったのでしょうか。それとも声をひそめながらそこここに生き抜いているのでしょうか。
■脱出
自分らしく生きる、なんて大きなことは言えないけど、生きやすく生きたい。
新しい人生を願っている若い人のことばです。その人は、いままであっちにぶつかり、こっちにぶつかりしてきたのかもしれません。でも、ともかくもう少し、自分らしく生きられないものか、そういう決意、あるいは呼びかけだとぼくは思いました。
この願いに応えるのは、ぼくであり、仲間であり、あの人々の群れではないかと思います。自分の人生は自分で切り開くのですが、でも一人だけで自分の人生は完結しません。切り開いた先に、人の群れがあって、その中を歩んでいく、そういう人生の道がその人の目の前に広がりますように。
■合掌
仏壇の部屋にいるとシーンとして、自然に手を合わせられるようになったんだ
7年近く前に亡くなったお兄さん。いろいろな事情があって、いままで仏壇の前で手を合わせられなかったけど、いまこうして向かい合い、手を合わせられるよ。彼はそう言いました。
人は人と離別、死別します。もう二度と会えないこともたくさんあります。生身の人間どうしは出会えなくなっても、手のひらと手のひらが合わさるように、心のなかで兄と弟が出会ったのです。
今年もいろいろなことばと思いに出会いました。
来年もよい出会いを重ねたいものです。どうぞよろしくお願いいたします。