なんとなくサンネット日記

2012年8月31日

They found their way

Filed under: つぶやき — toshio @ 4:26 PM

もう9月なのに

  3年前、このブログで、シオードラ・クローバーの『イシ――北米最後の野生インディアン』(岩波現代文庫)についてふれました(2009年8月24日)。http://www.npo-sannet.jp/blog/?m=200908

  『イシ――北米最後の野生インディアン』は、19世紀アメリカ、インディアンの部族が壊滅し、長いあいだ潜伏していたヤナ族最後の一人、イシについての物語です。

  イシは1911年、カリフォルニア州オロヴィルで「発見」されます。彼は「文明社会」に保護され、新しい生活を送るのですが、1916年に結核で亡くなります。わずか数年という短い時間だったのですが、彼は多くのことを白人たちに伝えました。

 イシが亡くなって45年、1961年にこの本は出版され、邦訳は1970年にできました。いまや私にとってもとても大切な一冊です。

 最近、岩波新書『非アメリカを生きる――〈複数文化〉の国で』を読みました。その本の中でイシについて取りあげたところがありました。ちょっと加えておきたいエピソードがありましたので、ブログに書きたくなったというわけです。

 この本の著者、室謙二氏は1946生まれ。略歴によれば、彼は学生時代にべ平連(市民運動「ベトナムに平和を!市民連合」の略称)に参加。雑誌『思想の科学』の編集代表をつとめたあと、80年代にアメリカに住み、市民権を取得した、とあります。

 多彩な生き方をしてきた人らしく、CDの解説文か、映画評論のような弾んだ筆のテンポで、アメリカの複数文化、「非アメリカ」の中に入り込み、人々の暮らしと生き方を描き出します。ハリウッド映画やニュース報道でイメージづけられたアメリカとはまったく別の、アメリカを知ることができる、いい本だと思います。

 この本は、20世紀初めに「発見」されたイシと文明社会アメリカの関係から解きほぐすのですが、ここが「非アメリカ」の源流なのかもしれません。

 さて、イシのことです。

 彼が白人に「発見」される前、彼を含むヤヒ族の最後の4人はイシはディア川から150メートルほどの高さに住まい、小屋、貯水池をつくり、暮らしていました。年老いた男と老婆(たぶんイシの母)と、妹(あるいは従妹)の女性とイシの4人でした。「村」(隠れ家)の背後は断崖で、自然の防護です。渓谷は上り下りが激しく、藪におおわれ、白人たちの目から隠れていたのです。(このへんから、室氏の本の情報も重なります)

 1908年11月、ディア川とサルファ川の合流地点ダムをつくろうとしていたオロ電力会社の測量師は、イシたちの生活の痕跡を見つけ、彼らはイシの村に侵入することにしました。イシたちは、動けない老婆を残し、別々の方向に逃げました。

 測量師たちは、棲みかと老婆をみつけると、危害は加えなかったものの、家や貯蔵室にあった彼らの資産――火起こし棒、鹿をつかまえる罠、弓、矢筒、山猫のガウンなど、小さなケースに収まるほどの荷物だけど、彼らの生活のすべて――を取りあげ、もち去ってしまいました。

 イシは、測量師たちがいなくなると、すべてを奪われた村に戻り、数日後に老婆を見取りました。それから一人になったのです。あの逃走の日から、彼は年老いた男と妹と会うことなく、生きている痕跡すら見つけられませんでした。

 ここからが室氏の本によります(もとは『イシ』の著者シオードラ・クローバーが1979年に出版した“Ishi the Last Yohi”です)。

 生きる基盤を失ったイシは衰弱し、「発見」されることになります。逃走の日から数年後、1914年5月、イシとイシの友人で保護者であったクローバー教授(『イシ』の著者の夫)とホープ医師、そしてホープ・ジュニアの4人で、イシがかつて住んでいたディア川に1ヵ月のキャンプに出かけることになりました。

 ――キャンプの最初の夜、11歳のホープ・ジュニアとイシは、焚火から離れたところでスリーピングバッグを並べて、みんなが寝てしまった後にも静かに話をしていた。そしてイシはホープ・ジュニアに、「ちょっと心配ごとがいくつかあるので、谷を探索するまで眠れない」と言って音を立てずに出かけていって、また音を立てずに夜明け前に帰ってきた(『非アメリカを生きる――』、P32)

 返ってきたイシはジュニアにこういいました。“It is good. None are lost. They found their way.”「うまくいっている。誰も迷ってはいない。みんなは自分たちの道をみつけた」。

 ホープ・ジュニアがこの言葉を聞いてから、50年が過ぎて、シオードラ・クローバーに語った話です。自分たちの道をみつけた…この不思議な言葉は、ジュニアの現実の人生の裏側に、ぴったり寄り添っていたことでしょう。彼がどのように理解したかはわかりませんが、記憶は失われることなく、なんらかの意味を彼に与え続けたことは間違いないと思います。とても印象的だったはずです。

 室氏はこのイシの言葉についてこう書いています。

 ――イシは死者たち…逃げる途中で死んだ者、あるいはこの地で平和の中で死ぬことのなかった者たちが、死者の国で苦しみの中にいないかと不安と痛みを持っていたのである。キャンプ地からディア川渓谷に降りていったイシは、その見えない者たちをさがし、それらの人々がどうなっているかを知ろうとした。それは当然、なんらかの形の瞑想と祈りをとおして行われたであろう。それ以外にどうやって死者の国を知ることができるのだろう…

 ――イシは、その暗闇の渓谷での瞑想と祈りをとおして、死者たちがうまくいっていることを知ったのだろう。死者たちが自分たちの道、方法、生活(their way)を見つけている、と納得するのだった。死者は平和の中にいると確信するのだった。この信念と理解の中には、怒りがこめられてはいない。そこには白人に生活を破壊され、殺された人々の「恨み」のようなものはない。それは寛容と呼ばれるものなのか、あるいはそれよりもっと大きなものなのか。(P35-36)

 3年前ブログで「なぜイシは、部族が絶えていく絶望的な逃走人生のなかで、誇り高く生きられたのか」と考えていました。その答えを見つけた気がします。イシは、多くの死者とともに生きた、そして死者たちは彼に誇り、人間性、豊かさを与え続けていた…だからなのでしょう。

私たちは死者とともに生きているのです。

だけど、私たちはイシのように理解できません。そして時代がすすむほど、イシの知性との距離は広がり、私たちの心の渇きはひどくなりました。だから、死者と共に生きる知恵への渇望、それがマグマのように現代社会の下層でうごめくのかもしれません。

2012年8月10日

感傷をふくまない心

Filed under: サンネットの仕事とは — toshio @ 7:28 PM

宅配が終わって

 政治哲学者のハンナ・アーレントが、友人たちにどのような資質を求めていたか。それを弟子のヤング・ブルーエルが、素敵な文章で表現しています。(『なぜアーレントが重要なのか』、2006年、矢野久美子訳、みすず書房、2008年、P21-22) 

 

(私が友人に求めたこと)それは、世界――身近な社会と同時に大きな政治的世界との両方――を観察し判断する情熱であり、感情であり、感傷をふくまない「心」であった。また、偽善的な言葉のない知性であり、自由に広がる才気であり、他者の意見に対して役立とうとする態度であった。それから誠実さと、さらには伝統的な家族や共同体や宗教的環境をもたない人びとにとって友情がいかに安らぎをもたらすかということへの理解力であった。

 

 読んでいると、心がふるえ、奥底からせつない気分がわいてきます。でも、とてもいい感じです。

 身近な関係と大きな政治的世界をむすびつける観察力、情熱。きっと、大きな世界から本当の自分を隠さないで、世界に自分を押し出しているということでしょう。情熱はあるけど、感傷は含まない…これは自己憐憫ときちんと対峙するということですね。

 「偽善的な言葉のない知性」。これもいいですね。「他者の意見に対して役立とうとする態度」。これにはまいってしまいます。

 そのあとに続く行は、世界観を表現しているかのようです。「伝統的な家族や共同体や宗教的環境をもたない人びと」とは、少数派の人びとです。既成のコミュニティには落ち着けない、あるいは疎外を感じている人たち。その人びとにとって「友情」がいかに必要かを、理解する能力…。む~。これは連帯、共感などの言葉の新しい定義かもしれません。

 友人になる、同志となるのではなくて(ましてメールアドレスを交換したなどということでもなく)、その人々が友情をいかに必要としているのか、いかに安らぎが人の生存にとってだいじなことかを「理解できる力」…ほんとうにこの力が大切です。

 こんな言葉に出会うとほっとします。そして、明日もがんばろうかな、という気分になります。アーレントとブルーエルにありがとう!

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