なんとなくサンネット日記

2012年5月30日

成長は枝分かれする

Filed under: つぶやき — toshio @ 8:16 PM
道ゆく人も微笑む

道ゆく人も微笑む

■オキシトシン――幸福追求システム

そういえば、ヤフーにもなんかの記事があったなあと思いながら、本屋の上の棚に手を伸ばす。取りあげた本は、『オキシトシン――私たちのからだをつくる安らぎの物質』(2000年、訳2008年、瀬尾智子・谷垣暁美、晶文社)。オキシトシンとは、脳内神経伝達物質でホルモンである、9つのアミノ酸の有機化合物のことです。

本の帯にはこうありました。「ストレス対処システムである間脳・下垂体・副腎系の対極に、幸福追求システムとしてのオキシトシン系が注目されている。いのちを生み出し、心をはぐくむ化学物質。豊かな人間関係を作るふれあいの科学的解明が語られます」。

いのち、はぐくみ、豊か、ふれあい…みみざわりのよい言葉が並ぶけど、そんな都合のいい“体内物質”があるのだろうか。ネットを読んだ時にも、そう感じたのだけど、とうとう本を手にすることになりました。

著者のシャスティン・ウヴネース・モベリは、スウェーデンの生理学者。4人のお子さんを育てた女性研究者。裏表紙の著者経歴によると、彼女はオキシトシンについての世界的権威で、400以上の研究論文があるといいます。すごい人ですね。

だからといって難解な本ではありません。まるで、高校の娘にでも優しく語りかけるように、書かれています。若い女性やパートナーの男性にも読んでほしい本ですが、訳者の一人、瀬尾さん(母子乳児支援の専門医)もそう考えて、この本の出版を企画したのではないでしょうか。科学啓蒙書なのに、読み終えたあと、地球の生命の不思議さ、神秘さ、そし素晴らしさを感じながら、余韻にひたれる、すがすがしい本です。

■目標達成指向原理、成長と回復の原理

モベリさんは、オキシトシンについて研究を始めた契機を、次のように述べています。

――妊娠中、授乳中、そして子どもたちと密接に接触していた時期に私が経験したのは、人生のほかの課題に挑戦するときにいつも感じていたストレスとは正反対の状態だった…挑戦・競争・達成にかかわる精神生理学的状態がもたらすものとはまったく異なることを知った…そして〈安らぎと結びつき〉の状態を生理学的に説明しようとする過程で、重要な生物学的マーカーの存在に気づいた――その生物学的マーカーこそ、本書の主題である――(P17)

彼女は、挑戦・競争・達成にかかわる精神生理学的状態を〈闘争か逃走か〉システムと呼び、そこでは興奮をつかさどる“アドレナリン”や快楽物質と呼ばれる“エンドルフィン”が活躍するのですが、それには目標達成指向という原理が働いていると述べます。

そして、〈闘争か逃走か〉システムの正反対のシステムが、オキシトシンが多様な場面で役割をはたす〈安らぎと結びつき〉システムであり、その原理は「成長と回復」と、著書のなかで解きます。

この対比がとても興味深いと思います。モベリさんは、目標達成指向中心の社会のあり方を変える原動力に、このオキシトシンの知識、見方、考え方が役割をもつと主張します。そうかもしれません。

しかし、それはオキシトシンの未来。過去の社会的認知は、「雌性にかかわるホルモン、(したがって)人間全体にはたす役割の薄い物質」として扱われていました。そこには女性差別も存在していたのでしょう。

オキシトシンは20世紀の初め、出産を加速する物質として発見されました。「速い」「陣痛」というギリシャ語にちなんで、オキシトシンとして名づけられたそうです。

生物学的にはとても古い物質で、哺乳類にはまったく同じ形で存在し、鳥類や爬虫類にもオキシトシンに相当する物質があります。ミミズさえオキシトシン様の物質で排卵するのです。このようなことからオキシトシンは雌性ホルモンと考えられていました。しかし、長い間、同様の物質が動物界に存在しているということは、動物の生命維持にとって重要で、不可欠なものである証です。(P24)

■共振、協調するオキシトシン

ラットにオキシトシンを投与すると、臆病さが減り、好奇心が増します。同性の群は集団内での攻撃がはっきりと減り、友好的な交流が増え、群れる傾向が強くなり、お互いの近くにうずくまります。さらに、接触、タッチがオキシトシンを増加させるため、近づきあった群れの身体接触によって、互いのオキシトシンは活発化し、増加するのです(P94)。

別の実験で、ゲージで区切った何匹かのラットのうち、一匹にオキシトシンを投与します。しかし他のラットに影響します。投与されていない、接触もない他のゲージのラットのオキシトシンが増加するのです。ところが、他のラットの嗅覚を遮断すると、影響はなくなるので、嗅覚を通じて影響し合っているのでしょう。(P148)

オキシトシンは個体と個体の間でも、身体接触や嗅覚を通して働きあっているということです。

オキシトシンを産出する細胞は、脳の視床下部と下垂体に存在しているのですが、一斉に活性化して産出するという特性があります。細胞の活性化は電流によって促されます。絶縁体として働く細胞があるはずですが、なぜか絶縁が解除され、すべてのオキシトシン産出細胞が力を合わせて働き始めるというのです。(P81-82)

――オキシトシンの効果をより厳密に調べると、非常に興味深いことに、細胞の協調であれ、効果の協調であれ、個体同士の協調であれ、協調こそ、オキシトシンの存在を示す目印であり、オキシトシンをヒトその他の哺乳類の体内の多くの物質と区別するものである――(P82)

「協調」という言葉には意志をふくむような語感があります。私は、意志以前の、自然に響きわたる共鳴、共振のほうがぴったりします。夏の縁日に並んだ風鈴が、さわやかな風とともに次から次に鳴りはじめ、一斉にチリンチリン鳴る。そんな風景が思い浮かびます。(生理学とは機能・メカニズムを明らかにする学問ですから、「おのずとそうなってしまう」といった表現はまずいでしょう。すると「協調」という言葉が妥当なのでしょうね。)

■効果の多様性と成長

――オキシトシンは多くの連鎖反応による効果の発端となるが、その鎖の最後の輪であることはまれだ。このことは重要なので心に留めておいていただきたい――(P28)。

彼女が強調するように、ここには深い意味があると思います。ある現象をある原因で説明する、還元することが科学。しかし、連鎖反応の「最後の輪」と「効果」の関係であれば、そこは明瞭なのですが、そうでない場合は単純にはいきません。ですから、オキシトシンがいままで科学の目からすり抜けていたのでしょう。

もう一つ、最後の輪ではなく、連鎖反応の発端にあるために、いろいろな方向の連鎖反応を引き起こしている、という特質がオキシトシンにはあるのです。

――オキシトシンのさまざまな効果は、一本の大きな木の枝のようなものだ。それぞれの枝は、オキシトシンに関係のあるひとつの基本的な原理、すなわち一本の幹から出ている。その基本的な原理(幹)とは成長の促進だ――(P112)

このような記述のあとに、「効果」を羅列している木のイラストがあります。幹(には「成長」と書かれています)から枝分かれして、いろいろな枝(=効果)があるというイラストです。効果とは…好奇心、不安軽減、母性行動、他者との相互作用、選択的なソーシャルメモリー、痛みの閾値が上がる、免疫効果の強化、子宮収縮、体重増加、治癒、細胞分裂、栄養の蓄積…。羅列を眺めていると、オキシトシンとは実にホーリスティックな物質なのだなあと思えてきます。

■うんと強い人は

目標達成指向システム=〈闘争か逃走か〉システムは、勇気、攻撃、向う見ずさに関係します。怒って、がんばって、目標を手に入れます。オキシトシンが関係する幸福追求システム=〈安らぎと結びつき〉システムは、自己の全体に効果が及び、共振的です。それが成長と回復の特徴なのです。

成長と回復を、目標達成指向と怒りからえり分けて、喜びと共振に結びつけた彼女のアイディアに深く共鳴します。目標を達成しようという行動と成長を結びつけることがいかに多かったか、気づかされます。でも!目標達成と成長とは反対のものだったのです。そのように「観念」からではなく、「生理的・細胞的な現象」が言っているのです。

怒りを内にひめつつ、あくなき欲望を達成しようとすること、つまり、典型的なビジネスマンや政治家、テロリスト、投機家、サディスト…たちは”反・成長”を内側にかかえていて、周囲によい影響を与えることはできないのは、そのせいかもしれません。

日本語には、「喜びにふるえる」「喜びに満ちる」「喜びにつつまれる」という表現があります。細胞がいっせいに活性化し、身体が上気し、親しみ深い気分がおきて、それがじわっと他者にも影響を伝える――このような現象を、昔から直感的にとらえ、ふるえる、満ちる、つつまれるという言葉で言い表したのでしょう。私たちは、自分の細胞の振る舞いを感じ取っているのかもしれません。でも、同時に、誰しもがこの緻密な感性から自由になることはできないゆえ、人間としての根源的な問題もかかえるのでしょうね。

〈安らぎと結びつき〉と〈闘争か逃走か〉は、正反対のシステムなのですが、対立的というよりは相補的な関係のようです。オキシトシンの兄弟物質、バソプレシンは生まれも、育ちもよくオキシトシンの近縁なのですが、〈闘争か逃走か〉にかかわります。縄張り意識が強くなり、喧嘩っ早くなるのですが、それが勇気に発展するには、オキシトシンとの相互関係も必要なのでしょう。

モベリさんは長靴下のピッピの言葉を引用しています。「うんと強い人は、うんといい人じゃなくちゃいけないのだから」。

2012年5月2日

保健所のガラス管と天井の暗闇

Filed under: つぶやき — toshio @ 3:01 PM
小学生を過ごした地域

小学生を過ごした

 キサブロウ君は小学校1年のときの同級生だった。ぼくらの学校は、清水市立岡小学校。平成の合併後は静岡市立清水岡小学校。

 ぼくの家族は小学校に入る前、まだ冬の時期、岩手・摺沢村から清水に引っ越した。新しい土地について何も知らなかった。

 学校参観の時、ぼくの母とキサブロウ君のお母さんは知り合った。二人とも若くなかったから、端にいることが多く、自然に話すようになったと言っていた。大人どうしが知り合うと、ぼくもときどき彼と遊ぶようになった。

 あるとき、キサブロウ君のすすめで、駄菓子屋でトコロテンを食べた。ぼくにとっては初めてだった。キサブロウ君が「おいしいだろう」というので、いちおう「うん」と答えた。ほんとうは酸っぱくて、おいしくないと思った。店の前に立てかけたすだれが珍しかった。

 当時、つまり50年余前だが、町も暮らしも今と比べると本当に違っていた。でも、「何」が違ったのか。そのエッセンスは何か。それを考えることを通していまの問題も見えてくるはずだ。でも若い人にそれをどう伝えたらいいのだろう…と迷う。

 あの頃、道路を走る自動車は少なかった。学校の近くの大きな交差点の真ん中に、石づくりの記念塔があった。昭和の初期、この道路が完成したことを記念した塔である。塔のなかには水飲み場があったので、友だちと走っていって、水を飲むことを競うのもぼくらのささやかな遊びだった。

 記念塔のちょっと北側にトコロテン屋がある。西側に行くと学校。東側に歩くと、カトリック教会と向かいあって保健所があった。

 ある時、保健所の前でバキュームカーとスクーターがぶつかった。二台とも横転し、満載していた糞尿が道路いっぱいに広がった。大勢の人だかりの隙間から現場を覗くと、石灰がまかれている。始めて見た交通事故にぼくはドキドキする。頭の上で大人たちの会話が聞こえる。保健所と糞尿の取り合わせを、どこかの大人が小さな声で笑う。するとまた他の誰かが、ひとり死んだんだと言った。スクーターのそばにこんもりした形が見え、死んだ人だろうと思った。

 ぼくは身体の弱い子どもで、しょっちゅうカゼをひいていた。熱もよくでた。肺炎になったため、レントゲン検査をすると胸に影が映るようになった。集団健診の間接撮影で異常があるとされたこどもは、呼び出されて、保健所のレントゲンの直接撮影を受けることになる。学年も別々の初対面の数人の生徒が授業を抜ける。先生は付き添わないので、年長の生徒が下級生を引率して、もくもくと保健所まで歩いた。

 保健所に行くと、ぼくはあの交通事故のことを必ず思い出した。糞尿と石灰。レントゲンを撮って、採血して血沈検査。薄暗い保健所の中に、検査の何本かのガラス管がならぶ。生徒たちは押し黙っている。保健所の帰り道また糞尿と石灰が頭に浮かぶ。ぼくは保健所がなんとなく好きだった。

 2年生の終わりごろ、ぼくの家族は引っ越して、2kmほど北に移った。ひと間で家族が暮らすにはとても狭くなったからだ。住宅地から、こんどは農業者が多い地域になる。大家さんは農業を営み、納屋だった家屋に手を入れ、ぼくたちはそこに住むことになった。家の前の通りは細かったが、古い街道筋。名物の追分ようかんの店も近い。

 風呂はなく大家さんの風呂を借りる。テレビを見せてもらった。月光仮面はそこで見た。家の脇にくみ取り便所があり、大家さんが汲んでくれる。家の半分は納屋のままで、脱穀機がしまわれていて殺虫剤の薬や噴霧器もあった。

 元納屋だけあって、家の中にクモやゴキブリがやたらに出る。ぼくは手のひら大のイエグモが出るたび、泣き喚いたが、家族の誰もぼくの苦しみを理解できず、えらく楽しそうに笑った。金曜日の夜には必ずクモが出ると信じていたし、望遠鏡で月を見ていたらゴキブリが飛んでくるので、それっきりぼくの天体観測は中断したままになった。

 家の中は暗く、布でおおわれた電線や碍子が、天井に露出していた。停電がよくあったし、ヒューズが飛んだ。部屋のあちこちに暗闇があったけど、天井の暗闇にクモがひそんでいる気がして、寝るときは天井は見ないようにしていた。

 上の写真は引っ越して間もない頃、キサブロウ君が引越先に遊びに来たときのスナップ。二人が家の裏で遊んでいる。兄が撮った写真だろう。二人の足元にはワラや草をまとめた小さな山があるけど、そのちょっと向こうはぼくたち家族のゴミ捨て場だった。流れるドブには赤ミミズがいて、カエルもたくさんいた。

 3年生になるとキサブロウ君といっしょに遊ばなくなった。違うクラスになり別々の友だちと遊ぶようになった。5年生頃には裏の畑もだんだん開発される。中学校にまた引っ越して、北にもう2km移る。もっと畑が広がる場所の、2軒長屋。家専用の建物で新築が誇らしかった。「道路の虎さん」こと、佐藤虎次郎氏が市長になると、さらに道路建設がすすんだ。

 町には道路も車も増え、停電はなくなり、新幹線が通り、山側に高速道路が走るようになる。そして、いつの間にかクモも暗闇も糞尿も見えなくなった。それらを人の暮らしから遠ざけて、仕舞む装置をつくったのが高度経済成長だ。

 あれから50年、きれいに整った部屋、IT化された日常、通販とオークションで安く何でも買える暮らしがぼくの周りにある。そこらじゅうにあったはずの世界の切れ目、暗闇、消え去ることのできない影は見えなくなった。でもそのようなものがなくなるはずがない。それは人間がつくっているものだからだ。いまは、どんなかたちで、町と暮らしのなかに棲みついているのだろう。あるいはずんずん人の心のなかに入り込んでいるのかもしれない。

 見えにくいところでしっかりと暗闇は存在し、そこでクモは目を光らせている。誰もがその予感をもっている。なのに、口はせず、黙っている。だから誰もが不機嫌なのだろう。それを声にする者が現れたらどうなるのか。その人は詩人なのだろうか。

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