なんとなくサンネット日記

2011年4月30日

終わりのない物語

Filed under: つぶやき — toshio @ 10:50 AM
天空の城みたい

天空の城みたい

 「治療とは、患者が自分の病気に関する物語を書き換える のを手助けすること」。先日、友人からもらったメールでこの言葉を知りました。

 「患者が自分の病気に関する物語を書き換える」という行為と考えかた、それは知っていました。だいじなことと、私の胸の中で温めてきました。それが、“回復”といわれる生き方と深くかかわっていることも、いろいろな現実から教えてもらったと思います。

  しかし、患者、あるいは障害者といわれる人が回復の道を生きようとすることと、医療や福祉の治療・援助活動とは、本質的には交わることのない別領域のこと、そう決めつけていたのかもしれません。

 私が回復ということを知って30年。少なくてもこの10数年、専門家は、患者の書き換え=回復を「認める」ようになったと思っていました。

 治療や援助は、「物語を書き換えること」そのものには関与できません。だいたい、物語を成り立たせている言葉や考え方と、まったく別次元で存在しています。

 それなのに、「物語を書き換えること」を手助けできるし、共通の目標をもつこともできるというのです。こういう考え方はいいな、と直感しました。

 なぜなら、「物語を書き換えること」は排他的で個別の行為ではなくなり、より普遍的な、人類的な大きな物語につながるという考え方に発展するからです。…ほんとうにいいなあ。

2011年4月29日

誰と交通する

Filed under: つぶやき — toshio @ 7:09 PM
りんごの故郷

りんごの故郷

白川:日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。

梅原:私もそう思います。それは大事なことです。しかも私の仮説だけど、その神聖王朝というのは異民族も含まないと出来ないような気がしますね。異民族を支配するには絶対、文字が要る。

梅原:私は長江文明をずっとやっているんですけど、長江流域に高い文化があったのは間違いないんですが、ところがそこには文字がないんですよ。それはやっぱり異民族を含まなかったからではないかという気がするんですね。異民族を含んで、巨大な国家が出来ないと、文字は出来ない。

白川:神聖王朝というと、そういう異民族も含めて、絶対的な権威をもたなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通できる者でなければならない。神と交通できる手段が文字であった訳です。これは統治のために使うというような実務的なものではない。神との交通の手段としてある…

梅原:現代人は文字というのは人と人の交通手段と考えますからね。神さまなしに、文字を使っていますから。そういう目で古代をみると全く違う訳ですね。(『呪の思想――神と人の間』、白川静と梅原猛の対談、平凡社ライブラリー、2011年、P29,32、もとは2002年平凡社から出版)

 3000年前の中国大陸、彼方から駆け巡る民族間の大きな争いのはてに、文字が生まれたというのです。しかも、神との交流のためだけの文字。人々には今とはずいぶん違ったものの見方があったのでしょう。

 文字をもたない人々にも神さまはいるのですから、おそらく文字をもつ人々の神さまとどこか違っていたのかもしれません。

 今日は、曇天と晴れ間の繰り返し。岩木山のふもとから、空を眺め、3000年前の縄文人にとっての神さまをちょっと想像してみました。

2011年4月9日

季節のなかを走る

Filed under: つぶやき — toshio @ 1:10 PM
安方の自由ネコ

横丁の春

先週、東奥日報に「ザーズ(ZAZ)」という女性歌手について、小さな記事が載りました。

――昭和の場末の酒場を思わせるような郷愁あふれる伴奏に乗せるクールでハスキーな歌声。フランス語圏を中心に人気を集め、“エディット・ピアフの再来”とも称される女性歌手…

――1980年フランス生まれ。2006年ごろからモンマルトルの路上で歌っていたが、09年にパリのオランピア劇場で開かれた新人発掘オーディションで圧倒的な歌唱力を披露して優勝。デビューアルバムは昨年、フランスでヒットした。古さと新しさが同居する不思議な雰囲気を漂わせるオリジナル曲…シャンソンやジプシー音楽の風味漂うアコースティックな演奏も格好いい…――

音楽を聴く前に、記事だけでひかれました。「エディット・ピアフの再来」「モンマルトルのストリートミュージシャン」「ジプシー音楽の風味」…この辺が大いに気になったのです。

月曜日まで待って、いそいそと成田本店に彼女のデビューアルバム『モンマルトルからのラブレター』を注文しました。
水曜日には届いたので、それから聴いています。それが期待通り、いいのです。

アルバムの1曲目は「通行人」。ストリート・ミュージックを聞いているようなシンプルさ。デジタル技術はあっさりしています。でも、聴いていると、まるで映画の予告でも見ているように、どんどん胸が高鳴ってきます。

CDの歌詞カードに、渡辺芳也という人がザーズの紹介を次のように書いていました。
――1曲目の“Les passants”(通行人)は出だしは物悲しく始まり、明るい曲へと展開していく。もしかしたら、それは幼少時の頃の音楽学校での孤独さから歌手としてデビューするまでを語っているのかもしれない――。

人々が通り過ぎて行く
彼らを見ながら
考えごとをして時を過ごす私
足早に歩いている彼らの
傷ついた体から
その過ぎ去った日々が見えてくる
のんきな足取りなのに…

過ぎて 過ぎて 過ぎていくわ
最後の人が残るはず…

歌い始めには、確かに、孤独と距離、若い猜疑心と軽やかな反抗が入り混じっています。次第に、テンポが速く、明るくなります。そして歌はエンドに…。

季節のなかを 私は表現することに突進する
そのたびに抱く衝動は
触れなかったことを表現させたい気にさせる
活気のない貧しい暮らしのなかで
正義が行われますように

過ぎて 過ぎて 過ぎていくわ
最後の人が残るはず…

最初、路傍にいるかのような彼女でしたが、それは町の空高くに伸びて、さらに上空、創造の空間を飛んでいきました。

――彼女は様々なところで歌い続ける。スペインとの国境の町アンダイエのスタジアムで1万人を前に、カサブランカでチリ人たちとのジャム・セッション、コロンビアの岩塩坑での無料ライブ、ロシアのシャンソン・ツアー…

――インタビューで、司会者に「あなたは何を望むの」と聞かれ、彼女は「私は自分の歌で世界が良い方向に変わることを望む」と言っていた――(渡辺芳也)

彼女は世界のどこに行こうとも、古く猥雑で、庶民の生活がにじみ出るモンマルトル町のストリートミュージシャンなのでしょう。

私たちが日々行う小さな営み。泣き、笑い、語りあうもろもろ。それらが、世界を良いう方向に変えるように、彼女は願っているようです。 手紙を書く、夕食をつくる、朝すれ違う人とあいさつをする、公園を散歩する。その一つ一つに祈りをこめて…。

自分の世界と現実世界との間に壁をつくらず、それをつらぬいて、表現する。こんな若いアーティストが生まれていることを知って、ほんとうに励まされました。 皆さんも、ぜひ、お聴きください!

(※フランス音楽専門のブログ「Musique Francaise」に紹介があります。)
http://blog.livedoor.jp/f_music/archives/51465283.html

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