今年も残り少なくなりました。
グループホームひいらぎにとって年末年始はたいせつな時期。安心してみんなで年を越し、新年をむかえたい、そんな気持ちがあるのです。そんなこんなの準備でドタバタしています。
少し時間が取れたら読みたいと思っている本が、もう4冊に。つんどく状態です。そのなかの1冊が、『哲学する赤ちゃん』。面白そうだなとぺらぺらとめくっていました。
著者のアリソン・ゴブニックがおこなった赤ちゃんのある実験。赤ちゃんが他の赤ちゃんをどのように理解し、どのように反応するかを調べました。
目の前に、ブロッコリーとクラッカーがあります。その食べ物と他の赤ちゃんと、どのように選択し、反応するか、観察したのです。
生後14ヵ月の赤ちゃんは、自分が好きな食べ物、たとえばクラッカーを他の赤ちゃんにあげようとします。相手の赤ちゃんはクラッカーよりブロッコリーが好きでも…。
この実験では、自分の好みと相手の好みが異なる場合、相手が嫌いなものを食べるという苦痛を、どのように扱うかという課題を与えていたのです。
赤ちゃんは18ヵ月になると、相手が好きな食べ物、それが自分が嫌いなブロッコリーでも、選びとって、隣の赤ちゃんにあげようとするようになるのだそうです。
ゴブニックは、1歳半になると、嫌いなものを食べるのが苦痛であることを相手の表情から読みとり、その苦痛を取り除き、あなたが欲しいものが手に入るように手伝いますよ、という一種の道徳的行為をしているといっています。
――共感は道徳の基礎ですが、道徳的な行為の実践にはそれだけでは足りません。たとえば誰かがけがをしたとき、あなたがそこでいくら泣こうが一向にその人の助けにはなりません。それだけなら独善になってしまいます。利他主義の本質は、相手に共感できなくても、その人が苦痛に感じているなら取り除こうとするところにあります――(『哲学する赤ちゃん』2009.青木玲訳.2010.亜紀書房.p298-299)
共感は「共苦」に根ざしているかもしれません。そして、共苦に裏打ちされた共感が、道徳に発展していくのかもしれません。しかも、そのルーツは1歳半にあるのかもしれません。これは、じっくり読んでみたい本です。
そういえば苦楽を共にした仲という言葉があるなあ、と頭に浮かびました。苦しいことは嫌なことです。なくなればいいと誰もが思います。でも「苦」は、私たち人間の共感やつながりのルーツのひとつかもしれない、ならばこの世はほんとうに不思議なつくりになっているものです。
さて、本を読みながら降る雪を眺める…そんなひとときをもつことにしましょう。