なんとなくサンネット日記

2010年7月28日

〈私〉の時代 №5

Filed under: つぶやき — toshio @ 5:54 PM
都会にもトンボが…

都会にもトンボが…

 自由に基づく諸理論は、どの権利が功利主義…に勝るかという点では一致しないものの、ある特定の権利が基盤となり、尊重されるべきだという点では一致する。

 だが尊重に値する権利を選び出すことはせず、人々の嗜好をあるがままに受け入れる。われわれが社会生活に持ち込む嗜好や欲求について、疑問や異議を差し挟むよう求めることはない…私には、これは間違っていると思える。

 公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない。(『これからの「正義」の話をしよう』P335)

 自由主義は、文化的(道徳的)な価値を問わない。優先すべきは自由と権利である。それだけで公正な社会が実現するとは思えない、というのがサンデルの考えだ。ほんとうにそうだ。

 価値を問い続け、しかし一致することはない多様性を受け入れる公共の文化、それを試みようと発言している。

 結果ではなく、プロセスに目を向けようといっているようだ。どのようなモノを獲得するかではなく、いま存在している意味を問おうと呼びかけているようだ。…確かにそうだと思う。

2010年7月27日

〈私〉の時代 №4

Filed under: つぶやき — toshio @ 12:49 PM
いつか来た道

いつか来た道

 NPOや起業などによって生まれる自発的な共同体は、構成メンバーどうしが強い絆を求め、独特の雰囲気を創り出すのだろう、と思われる。

 わざわざ新しいグループを立ち上げたのだから、設立趣旨に賛同して集まっている人たちなのだから、トラブルは世の習いとしても本質的には情熱に満ち、まなざしを遠くに向けているに違いない、と想像するのは自然かもしれない。

この10年、「明るいNPO」「元気な起業家」、そういうイメージが求められてきた。しかし、実際は違う。

 どの団体にも、グループ周辺に自分を位置づけ、批評的な立場をとる人たちがいる。自発性が求心性を生み出さず、むしろ拡散する。中心は分割し、葛藤する。そして、明るくもなく元気でもない組織運営が生まれる…。

 どうしてこうなるのか…長いあいだ考えていた。

 時代が連帯や信頼というものを、かつてと異なる相貌にしたからか。個人主義、市場原理が人の見方と関係のあり方を変えたのか。投機的な風潮が秘密を常態化させ、連帯・信頼より個人的利益を価値あるものと考えるようになってしまったのか。

 それともパーソナルコンピュータや携帯電話が、視覚と触覚とスピードに偏った世界をつくり、自己の内面への関心を失わせたためか…。

 「私の人生の物語はつねに、私のアイデンティティの源であるコミュニティの物語のなかに埋め込まれている。私は過去を持って生まれる。だから、個人主義の流儀で自己をその過去から切り離されようとするのは、自分の現在の関係をゆがめることだ」。アメリカの哲学者・アラスデア・マッキンタイアの言葉だ。(『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデルp289)

 これを読み、もうひとつ、思いついた。それは、マッキンタイアの言いたかった裏面である。つまり、「個人主義の流儀」の人は、グループとの共同性に身を寄せることが「自由と選択」を手放すことであると思うかもしれないということだ。

 個人主義の流儀(自由と選択)が、共同体の過去と物語によって、制限される可能性があるということは意味深いかもしれない。

2010年7月4日

メッセージ06年

Filed under: つぶやき — toshio @ 7:23 PM
梅雨の晴れ間

梅雨の晴れ間

ワーカーズコレクティブハウス「ひいらぎ」のメッセージ(案)

私たちは06年、いっしょに暮らしはじめました。 

ワーカーズコレクティブハウス(Workers Collective House)とは「働く仲間・共同体」という意味です。

お金を稼ぐ労働ばかりでなく、仕事はたくさんあります。

ここには「生活と人生をワーク(仕事)するその仲間」という意味をこめました。

「仲間」とは誰もが主人公ということ。

誰もが助け、助けられ、強い者と弱い者は区別されません。

誰もが弱く、そして強いという事実を認め、対等に、苦楽を分かち合う仲間としてありたい。私たちは、そう願いました。

 

鎧を着て、身構え、敵と闘い続ける生き方をやめたいと思いました。

あきらめて、投げやりに、人を恨む暮らし方を変えたいと望みました。

一人ぼっちでブルブル震え、縮こもる日々から逃れたいと決めました。

私たちは今までとは違う生き方や暮らし方を決心しました。

 

「ひいらぎ」の約束事。

一人一人は完全に独立した個人です。

誰かを支配したり、されたりするゲームから、私たちは自由になります。

人を軽視し、一人前の人間として扱わない態度を拒否します

露骨なあるいは微妙な介入と支配を拒みます。

他の人から世話されることを期待しているわけではありません。

自分の生活は自分で責任をもちます。

非難、皮肉、揶揄、意味ありげな言い回し、決めつけ…こういったことから遠く立ち去ることにしました。

 

自分たちの気持ちを自由に話すことを尊重し、促しあいます。

希望、願い、自分に対する自信、連帯し広がるこころ…を大切にします。

悲しみ、悩み、憤り、悔しさを分かち合います。

たがいの価値観を認めて、その人らしい考え方やスタイルを尊重します。

憎しみ、わだかまり、従属や支配への憧れと恐れ…これらを後ろに置いて、前に歩もうと決めました。

 

自分の問題や課題を自分だけで解決しません。

それは、仲間との結びつきによって解決するからです。

自分自身の問題を考えます。感じます。体験します。

自分の問題を仲間に話します。仲間の問題も聞き、肌で感じます。

何をするかではなく、どのように分かち合うかのなかにこそ「仲間」の命が宿るのです。

 

私たちは家族であり、家族でなく、それ以上の「仲間」。

私たちが作り上げていく関係が、やがてはこの世界全体とつながっていることを実感し、かけがえのない世界であることを理解するかもしれません。

「仲間」は、私たちを創り出してくれた世界の一部なのですから。私たちはこのような思いをこめて歩んでいます。

(4年前の6月29日、グループホームをめざしてこのようなメッセージを自分と仲間に伝えました。(案)ということで草案を書いたままです。はじめてみると、思いのようにはうまくいかず、悩みと苦労を重ねました。いまも案のままですが、やはり気持は同じです。)

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