
古い家と地域
加賀乙彦『不幸な国の幸福論』(集英社新書。2009年)が、本屋で平積みになっていました。
加賀は1929年生まれの小説家・精神科医。だから、80歳になったのですね。ぼくは、死刑囚を描いた小説「宣告」を読んだことがあって、その印象から、まじめで神経質な方だろうと思っていました。
30年後に書かれたこの「不幸な国の幸福論」は、いろいろな新しい知識を織り交ぜ、しかし肩の力を抜いて書かれています。若い人にやさしく語りかけているような洒脱な文体です。
加賀乙彦は1950年代後半にフランス留学をしたことがあります。フランスでの臨床経験を日本でのそれと比較して書いているところにたいへん興味深いものを感じました。
フランスでは、「人間には『他者から見える部分』と『他者からは絶対に見えない部分』とがある」と考える人が多く、見えない部分については自分からオープンにしない限り、他の人に知られることはないという確固とした安心感がある、そうなのです。
ところが、日本の場合、自分のすべての部分が、他人に見透かされているという感覚、あるいは恐怖心があるというのです。そうかもしれないと思いながら、この個所を読みました。(P42)
実は、人間は人間を、あるいは人間は己を、「知りえる」のですが、同時に「知りえません」。(たぶん、知る対象=名詞ではなく、「知る」という動詞のところに、ことの本質が隠されている気がします)
「知りえる」「知りえない」のどちらもありえるという言葉上の矛盾を、社会の基礎に置いて、社会を成り立たせることはできません。どうしても、「わかりえる」か「わかりえない」かのどちらかに重心をおいて、文化の土台を築くはずです。
ある観念は文字の表現方法になり、儀式や祭りなどの社会文化に反映され、やがて建築物や都市の形式、法律、経済の仕組みなど、物理的で巨視的なものとしてあらわれます。そうなったら、もう、観念は世界そのものです。
人は人の隠れた部分を知りえるのか、それとも知りえないのか。他者とは、自分の秘密を暴露する望まない存在か、それとも奥深い悩みを受けとめてくれる優しい存在か。
このような見方の違いは、個人という独自性のとらえ方、人間関係のありようの見方に発展し、展開するでしょう。
フランスでの臨床では、統合失調所の症状で「他人と同じ心や顔になってしまった」「自分の独自性がなくなってしまう」という訴えが多いそうです。ところが、日本では、他の人と違ってしまった、だから嫌われるといった「違う」ことへの苦悩に結びついているという彼の指摘は、よくわかります。
でも、わかるか、わからないかは両立不能なのではなく、その隙間に、人間関係の機微を埋め込む努力を日本文化は繰り返し、行ってきたようにも感じます。
写真には、家が二軒並んでいます。立っている木が二軒の境です。奥の方は、私の家族が1994年から97年の二年余暮らした家です。たぶん戦前に建てられた家でしょう。土壁で、家の中はふすまと障子で仕切られ、ご近所とは肌を寄り添うように接しています。声や音は、それとなく広がり、やがて静かな地域の空間に溶け込んでいきます。最近、12年ぶりくらいに訪問したときの写真です。
考えてみると、「わかる」と「わからない」の隙間――家の構造や地域の作り方の変化によって――隙間がなくなったのが、いまの社会問題につながっているのかもしれません。生命の豊かな干潟が、コンクリートの堤防で埋め立てられ、環境が貧しくなるように、どこか硬質の空間が増えて人間関係も貧しくなったのでしょう。
“他者が「わかる」か「わからない」かは明確”。そう感じる感受性が、他者の存在そのものをクリアーカットし、つまり貧しい人物像にしてしまったのではないでしょうか。それ自体がいろいろな社会問題のひとつの根源かもしれません。
現実世界からネットのバーチャル世界に撤退し、そこで、反応してほしいと切なく求める人には、「知られたくない」気持ちと「わかってほしい」という願いが、入り組み、交差しながら、行方を求める心があるのだと思うのです。