なんとなくサンネット日記

2009年7月31日

Filed under: つぶやき — toshio @ 11:33 AM
雨上がり

雨上がり

緑の木、赤いバラの花が咲いているべさ。

あんたやオラのために花が咲いているんだぉん。

だはんで、おら思うんだ。なんぼこの世界はすばらしいんだべなって。

 

青い空、それに白い雲が見えるべさ。

昼間は明るくてさっぱりするし、晩げになれば気持ちがしーんとするきゃ。

そしたら、おら思うんだ。なんぼこの世界はすばらしいんだべなって。

 

虹は七色に、空いっぱいに広がって。

あんたやオラや、道歩いている人の顔が光るんだ。

みんなが握手して「こんにちは」ってしゃべっているのがわかるんだ。

みんなが、本当に好きだってしゃべっているよ。

 

赤ん坊の泣き声が聞こえている。

オラは赤ん坊が大きくなっていくのをずっと見てるよ。

オラたちよりももっといっぱいものおぼえていくんだべな。

 

だはんで、おら思うんだ。なんぼこの世界はすばらしいんだべなって。

本当に思うのさ。この世界はなんぼすばらしいんだべなって。

 

 

画像は7月24日夕方、東京近辺にかかった虹です。「(虹を見て)なんとなく、安堵の気持ちになった。オズの魔法使いの正体が、わかったからかな?」。このメッセージとともに送ってくれた方がいました。

詩の方は、ルイ・アームストロングの『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』の津軽弁バージョンです(あや子訳?)。2003年頃、講演をすると、最後に、曲を流しながらこの詩を朗読したものです。

2009年7月25日

日食――裂け目の記憶

Filed under: つぶやき — toshio @ 2:04 PM
鯉は善知鳥神社を知らない

鯉は善知鳥神社を知らない

■ゼンマイ取り

小学校にあがったばかりの4月、父親とゼンマイを取りに野に出かけた。夢のようになってしまった記憶だ。その年の初め、ぼくたち家族は岩手から静岡に移り住んでいた。

岩手の山間から移り住んだ静岡はとても暖かだった。シュロの木が奇妙に見えた。南国のように感じた。

もちろん友達はいなかった。それに家は貧しく、苦しかった。

見知らぬ町は、幼いぼくに影を落とす。風景はピントがずれ、夢のようにぼけて、記憶される。

 

ゼンマイ取りは後先にそれが一度だけだった。どうして行くことになったのだろう。

父親はまだ定職が見つからなかったはずだ。短腹な母にいたたまれず、ぼくを連れて家を出たのだろうか。

父親のこぐ自転車の後ろに乗った気がする。歩いて行ったのかもしれない。

取ったゼンマイを入れるため、父親はセメント袋のようなものを持った。

住宅地の後ろに、すぐ田んぼが広がる。田んぼの真ん中、一本道を歩いていくと、船越に着いた。

 

船越という名は、ぼくにとってはちょっと異国の「フナコシ」だった。

農家、小高い丘…。

どこかの野原でおにぎりを食べた気がする。

袋がだいぶ膨らんで、帰り道、日中なのにどんどん暗くなる。映画のシーンが変化して暗くなるように。

父親も、山も田んぼも、砂利道も見えにくくなり、遠ざかる。クラクラしてくる。

1958年4月19日、日食だった。

 

■世界の裂け目と狂気

誰もが、切れ目のような時間や場所を、記憶にもっていると思う。

橋、辻、土手、堤防、船着場、地下鉄の入り口、野積みされた箱、人のいない港湾、止まったクレーン、夕暮れ時の森、囲炉裏火に揺れる影、明け方に鳴く鳥…。

1958年。ぼくにとっては、「フナコシ」と日食だった。

空間と時間が、一瞬立ち止まり、切れて、裂け目が見える。そんな視界。

不安定だが、この世界の深さを、一瞬、気づかせる。

 

「私はいつも狂気をかけ離れた別世界と見なすことを拒否してきた――別世界と見なすのは、狂気に目をつぶる最良のやり方なのである。…狂気はつねに現実を明らかにする意味がこもっており…あらゆる現実には弱い地帯があって、その表層は薄く、ないに等しい。奥底から何かが忍びより、この表層に達し、いまにも噴出しそうな構えだ」(『狂っているのは誰か』.新評論.p43-44)

現実は薄皮をはさみつつ、非現実とつながる。その往来する回路に、狂気は深く関与する。

 

『狂っているのは誰か』の著者、トニー・レネとダニエル・カルランは、フランス・ミッテラン政権のシンクタンクだった。精神科医のレネは厚生行政、映像作家のカルランはメディア行政の委員である。

 

■1983年

この本が訳された1983年。マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン、中曽根康弘たちの時代だった。

新自由主義による引き締めを予感していたぼくは、この本でいくぶん憂さを晴らした。

 

世界をどのように見るのか、そこに狂気がはたしてきた役割は、歴史的に大きい。宗教家ばかりでなく、多くの人びとのインスピレーションは、世界の裂け目と狂気を媒介にしてきた。

だから、狂気を、疾病・治療対象・能力という個人に還元してしまう流れをよしとはできなかった。あれから20数年、流れはむしろ強まった。システムが、人間を分断し、個別に、バラバラにしているからだ。

 

「大切なのは人びとを幸福にすることではなく、人びとが不幸にならないようにすることである。抑圧することなかれ、これである。自分にとって何が幸せか、それは各人が見つけることだ」。そうだと思う。他者への控えめな態度、抑制されたプレゼンテーション。それは狂気を関係のなかに受け入れる人間的な空間を培うはず…。

 

村上春樹の『1Q84』が読まれている。1983年の翌年、1984年の東京が舞台。そこに、別の世界(1Q84年)を物語るという。

ベストセラーはあまり読んだことのないぼくだが、そんなわけで、この夏、村上春樹を読んでみようと思っている。

2009年7月11日

ミラーニューロンは何を教えてくれる?

Filed under: つぶやき — toshio @ 11:53 AM
土曜のベンチ

土曜のベンチ

イタリアの神経生理学者リゾラッティのチームが、サルの前頭葉の神経細胞を調べていました。1990年代の初めのことです。

実験中のサルのある神経細胞が活発に活動すると、「バリバリ」という音が鳴って、研究者に分かるようにしていました。脳内の電気活動を音に変換していたのです。

さて、休み時間になり、研究者は「ジュラート」というイタリアのアイスミルク、シャーベットを、食べます。すると、ジュラートを手に持ち、口に運ぶたびに「バリバリ」という音が聞こえたのです。

もともとは、サル自身がエサを手に持って口に運ぶときに活動する神経細胞、ニューロンを調べていました。自分が運動するときに活動するニューロンなのに、他人(実験している研究者)の行動を見ただけで活動したのです。

これが「ミラーニューロン」(鏡の神経細胞)の発見でした。

これは、ある神経細胞は、自分に対しても他人に対しても同じように、ある行動に向けて働くということです。

考えるとか、理解するとか、そういう複雑な脳の働きではなくて、見て、たちどころに、自分が行動するときと同じく神経が働くのです。これは、考えるほどに、とても不思議だなと思います。

「見る」、「ある行動の意味」、「自分の行動」。それらがワンセットになって、神経活動レベルに埋め込まれているのですから…。

あくびをすると、他の人にも「伝染」する。通りすがりに聞いた鼻歌を、いつの間にか歌っていた。そんなことにもミラーニューロンが働いているのかもしれません。

私たち、少なくともサルと人間は、どうしても社会的な存在なのでしょう。目に見えるところに他者がいてほしいし、そして他者に見せるために自分がここにいるのかもしれません。まるで、他者と自分は、自分のなかの神経細胞でつながっているようです。

いま、人間関係がたいへんむずかしい時代です。他者の存在それ自身が恐怖の対象になり、人をモノのようにみなしたりします。人と人の距離はだんだん広がっているようです。信じがたい犯罪があり、おかしな風潮が広がります。

それでも、ミラーニューロンという存在が、人は、生理的に、神経細胞レベルで、共感する他者を求めていると言っているかのようです。

だからこそ、人が人を求める欲求は時代を超えて切実なのでしょう。

『ミラーニューロン』.ジャコモ・リゾラッティ&コラド・シニガリア.柴田裕之訳.紀伊国屋書店.2009年)

2009年7月4日

朝の楽しみ

Filed under: つぶやき — toshio @ 9:30 AM
初夏の灯台

初夏の灯台

昨年9月1日に始まった新聞連載小説『親鸞』が11ヵ月目。回数も今日で298回。70代後半の五木寛之が書き続けています。彼の筆の若々しさと力強さに出会う、それが私の朝の楽しみです。挿絵も興味深くて、新聞スクラップを作りました。生まれて初めてのことです。

この小説は、若き親鸞が悟りを開くまでの時期。親鸞ですから、話のテーマは、自然と、仏に救われるとは、念仏とは何かということになります。選択(せんちゃく)という言葉も、テーマの一つのようです。この言葉をめぐって、物語は一気に、現代性を帯びました。これが、私にはなかなかよくて、とても気に入っています。

いまは、〈私〉が選ぶ、獲得するという〈私〉へのこだわりがはびこる時代です。消費への衝動、自分の権利についての観念、他人へのかかわり方、いろいろな面で、「自分教」とでもいうようなできごとと出会います。20年くらいまであれば、「そういう考え方でいいの?」と「議論」できたことも、議論それ自体が個人への介入と切り捨てられる。まるで「信仰」を汚すものであるかのように…。

五木寛之は、こんな時代背景を意識しながら、書き続けているのでしょう。私は次のような文章に出会うとうれしくなります。

【189~190回】
(法然は)これまでに学んだことのすべてをなげうって、阿弥陀仏に帰依した。それを法然は、選択(せんちゃく)、という言葉で語っていた。選択とは、多くのもののなかから一つを選びとることだ。いや、それだけではない。
選択とは、みずからが選びとったということだけでなく、むこうから選びとられた、という事実も大事なのではないか。
選択とは、選別ではない。

「選択とは選別ではない」「むこうから選びとられたという事実」。なんと心ときめく言葉でしょう。
選択とは選別であるし、自分が選ぶこと以外なにがあるかという「自分教」。その狭い世界を後ろにおいて、親鸞はより広い世界に向かおうとします。

次の場面は、若き日の親鸞、綽空(しゃくくう)が、犬麻呂、サヨに念仏の話をするところです。犬麻呂、サヨ夫婦は、親鸞が幼少の頃、家に仕えていましたが、家を離れても、親鸞の成長をずっと見守り、助けてきました。

綽空は難問をかかえていました。サヨから逆に説教さるありさまでした。そんなとき、念仏の話になるのです。ですから念仏の話というものの、決まりきった「ありがたい」お話ではなく、切羽詰った場面で気づいた、心の奥の「叫び」のようなものでした。

【連載224~225回】
ふたたび、犬麻呂どの、とよびなおす。
「はいなんでございましょう」
けげんそうな表情の犬麻呂に、綽空(しゃくくう)は居ずまいをただして、もう一度つよい声で、
「犬麻呂どの」
と、よびかけた。こんどは犬麻呂も大きな声で答えた。
「はい!」
いささかむっとした返事に、綽空がかすかに笑った。いかつい顔が、いたずらっ子のように崩れた。
「そなた、いま、なぜ、はい、と応じられた?」
「え?それは、つまり、綽空さまがわたしの名をくり返しよばれたからでございますよ」
「そこだ」
とうなずいていった。
「わが師の常日頃おっしゃることの受け売りだが、いまの、はい、が念仏ではないのか」
「え?」
「念仏とは、自分でとなえるものではない、弥陀からいただいた念仏じゃ、と法然さまは教えておられる。わかるか。どんな悪人でも往生させたい、浄土に迎えてやりたい、と、仏は願っておられる。それが弥陀の本願だ。だから――」
綽空がつづけるより先に、サヨが口をはさんだ。
「だから阿弥陀さまは、犬麻呂、こっちをむけ、とおよびになっているのですね。名前をよばれて、はいと答えるのが、本当の念仏だとおっしゃるのでしょう?サヨ、とよばれて、はい?とふり返る、その返事が南無阿弥陀仏だと」

自分には分からない世界の奥から、自分を呼ぶ声がある。それは自分を救おうとしている。だから、その声がするほうに顔を向け、心を開いていく。そのすべての始まりが、はい、という返事のような念仏なのだ…。

人間は〈私〉という世界から離れることはできません。でも、〈私〉と外との間に高い仕切りをつくり、〈私〉の世界を城のようにして、閉ざしてしまうか、それとも外に開いていくのかは、自分が決めるはずです。〈私〉を外に開き、外に向かおうとするとき、そこで、恐ろしいほどの世界のひろがりを見出すのでしょう。

物語は、いよいよ綽空が、法然の極意の書「選択集」を読み、写すところにさしかかりました。

きっと、私たちがその広い世界からなぜ目を背けたがるのか、そのことにふれるでしょう。また楽しみが増えました。

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