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	<title>なんとなくサンネット日記</title>
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		<title>保健所のガラス管と天井の暗闇</title>
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		<pubDate>Wed, 02 May 2012 06:01:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1922</guid>
		<description><![CDATA[　キサブロウ君は小学校1年のときの同級生だった。ぼくらの学校は、清水市立岡小学校。平成の合併後は静岡市立清水岡小学校。
　ぼくの家族は小学校に入る前、まだ冬の時期、岩手・摺沢村から清水に引っ越した。新しい土地について何も知らなかった。
　学校参観の時、ぼくの母とキサブロウ君のお母さんは知り合った。二人とも若くなかったから、端にいることが多く、自然に話すようになったと言っていた。大人どうしが知り合うと、ぼくもときどき彼と遊ぶようになった。
　あるとき、キサブロウ君のすすめで、駄菓子屋でトコロテンを食べた。ぼくにとっては初めてだった。キサブロウ君が「おいしいだろう」というので、いちおう「うん」と答えた。ほんとうは酸っぱくて、おいしくないと思った。店の前に立てかけたすだれが珍しかった。
　当時、つまり50年余前だが、町も暮らしも今と比べると本当に違っていた。でも、「何」が違ったのか。そのエッセンスは何か。それを考えることを通していまの問題も見えてくるはずだ。でも若い人にそれをどう伝えたらいいのだろう…と迷う。
　あの頃、道路を走る自動車は少なかった。学校の近くの大きな交差点の真ん中に、石づくりの記念塔があった。昭和の初期、この道路が完成したことを記念した塔である。塔のなかには水飲み場があったので、友だちと走っていって、水を飲むことを競うのもぼくらのささやかな遊びだった。
　記念塔のちょっと北側にトコロテン屋がある。西側に行くと学校。東側に歩くと、カトリック教会と向かいあって保健所があった。
　ある時、保健所の前でバキュームカーとスクーターがぶつかった。二台とも横転し、満載していた糞尿が道路いっぱいに広がった。大勢の人だかりの隙間から現場を覗くと、石灰がまかれている。始めて見た交通事故にぼくはドキドキする。頭の上で大人たちの会話が聞こえる。保健所と糞尿の取り合わせを、どこかの大人が小さな声で笑う。するとまた他の誰かが、ひとり死んだんだと言った。スクーターのそばにこんもりした形が見え、死んだ人だろうと思った。
　ぼくは身体の弱い子どもで、しょっちゅうカゼをひいていた。熱もよくでた。肺炎になったため、レントゲン検査をすると胸に影が映るようになった。集団健診の間接撮影で異常があるとされたこどもは、呼び出されて、保健所のレントゲンの直接撮影を受けることになる。学年も別々の初対面の数人の生徒が授業を抜ける。先生は付き添わないので、年長の生徒が下級生を引率して、もくもくと保健所まで歩いた。
　保健所に行くと、ぼくはあの交通事故のことを必ず思い出した。糞尿と石灰。レントゲンを撮って、採血して血沈検査。薄暗い保健所の中に、検査の何本かのガラス管がならぶ。生徒たちは押し黙っている。保健所の帰り道また糞尿と石灰が頭に浮かぶ。ぼくは保健所がなんとなく好きだった。
　2年生の終わりごろ、ぼくの家族は引っ越して、2kmほど北に移った。ひと間で家族が暮らすにはとても狭くなったからだ。住宅地から、こんどは農業者が多い地域になる。大家さんは農業を営み、納屋だった家屋に手を入れ、ぼくたちはそこに住むことになった。家の前の通りは細かったが、古い街道筋。名物の追分ようかんの店も近い。
　風呂はなく大家さんの風呂を借りる。テレビを見せてもらった。月光仮面はそこで見た。家の脇にくみ取り便所があり、大家さんが汲んでくれる。家の半分は納屋のままで、脱穀機がしまわれていて殺虫剤の薬や噴霧器もあった。
　元納屋だけあって、家の中にクモやゴキブリがやたらに出る。ぼくは手のひら大のイエグモが出るたび、泣き喚いたが、家族の誰もぼくの苦しみを理解できず、えらく楽しそうに笑った。金曜日の夜には必ずクモが出ると信じていたし、望遠鏡で月を見ていたらゴキブリが飛んでくるので、それっきりぼくの天体観測は中断したままになった。
　家の中は暗く、布でおおわれた電線や碍子が、天井に露出していた。停電がよくあったし、ヒューズが飛んだ。部屋のあちこちに暗闇があったけど、天井の暗闇にクモがひそんでいる気がして、寝るときは天井は見ないようにしていた。
　上の写真は引っ越して間もない頃、キサブロウ君が引越先に遊びに来たときのスナップ。二人が家の裏で遊んでいる。兄が撮った写真だろう。二人の足元にはワラや草をまとめた小さな山があるけど、そのちょっと向こうはぼくたち家族のゴミ捨て場だった。流れるドブには赤ミミズがいて、カエルもたくさんいた。
　3年生になるとキサブロウ君といっしょに遊ばなくなった。違うクラスになり別々の友だちと遊ぶようになった。5年生頃には裏の畑もだんだん開発される。中学校にまた引っ越して、北にもう2km移る。もっと畑が広がる場所の、2軒長屋。家専用の建物で新築が誇らしかった。「道路の虎さん」こと、佐藤虎次郎氏が市長になると、さらに道路建設がすすんだ。
　町には道路も車も増え、停電はなくなり、新幹線が通り、山側に高速道路が走るようになる。そして、いつの間にかクモも暗闇も糞尿も見えなくなった。それらを人の暮らしから遠ざけて、仕舞む装置をつくったのが高度経済成長だ。
　あれから50年、きれいに整った部屋、IT化された日常、通販とオークションで安く何でも買える暮らしがぼくの周りにある。そこらじゅうにあったはずの世界の切れ目、暗闇、消え去ることのできない影は見えなくなった。でもそのようなものがなくなるはずがない。それは人間がつくっているものだからだ。いまは、どんなかたちで、町と暮らしのなかに棲みついているのだろう。あるいはずんずん人の心のなかに入り込んでいるのかもしれない。
　見えにくいところでしっかりと暗闇は存在し、そこでクモは目を光らせている。誰もがその予感をもっている。なのに、口はせず、黙っている。だから誰もが不機嫌なのだろう。それを声にする者が現れたらどうなるのか。その人は詩人なのだろうか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1923" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/05/キサブロウ君.jpg"><img class="size-medium wp-image-1923  " title="キサブロウ君" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/05/キサブロウ君-300x206.jpg" alt="小学生を過ごした地域" width="300" height="206" /></a><p class="wp-caption-text">小学生を過ごした</p></div>
<p>　キサブロウ君は小学校1年のときの同級生だった。ぼくらの学校は、清水市立岡小学校。平成の合併後は静岡市立清水岡小学校。</p>
<p>　ぼくの家族は小学校に入る前、まだ冬の時期、岩手・摺沢村から清水に引っ越した。新しい土地について何も知らなかった。</p>
<p>　学校参観の時、ぼくの母とキサブロウ君のお母さんは知り合った。二人とも若くなかったから、端にいることが多く、自然に話すようになったと言っていた。大人どうしが知り合うと、ぼくもときどき彼と遊ぶようになった。</p>
<p>　あるとき、キサブロウ君のすすめで、駄菓子屋でトコロテンを食べた。ぼくにとっては初めてだった。キサブロウ君が「おいしいだろう」というので、いちおう「うん」と答えた。ほんとうは酸っぱくて、おいしくないと思った。店の前に立てかけたすだれが珍しかった。</p>
<p>　当時、つまり50年余前だが、町も暮らしも今と比べると本当に違っていた。でも、「何」が違ったのか。そのエッセンスは何か。それを考えることを通していまの問題も見えてくるはずだ。でも若い人にそれをどう伝えたらいいのだろう…と迷う。</p>
<p>　あの頃、道路を走る自動車は少なかった。学校の近くの大きな交差点の真ん中に、石づくりの記念塔があった。昭和の初期、この道路が完成したことを記念した塔である。塔のなかには水飲み場があったので、友だちと走っていって、水を飲むことを競うのもぼくらのささやかな遊びだった。</p>
<p>　記念塔のちょっと北側にトコロテン屋がある。西側に行くと学校。東側に歩くと、カトリック教会と向かいあって保健所があった。</p>
<p>　ある時、保健所の前でバキュームカーとスクーターがぶつかった。二台とも横転し、満載していた糞尿が道路いっぱいに広がった。大勢の人だかりの隙間から現場を覗くと、石灰がまかれている。始めて見た交通事故にぼくはドキドキする。頭の上で大人たちの会話が聞こえる。保健所と糞尿の取り合わせを、どこかの大人が小さな声で笑う。するとまた他の誰かが、ひとり死んだんだと言った。スクーターのそばにこんもりした形が見え、死んだ人だろうと思った。</p>
<p>　ぼくは身体の弱い子どもで、しょっちゅうカゼをひいていた。熱もよくでた。肺炎になったため、レントゲン検査をすると胸に影が映るようになった。集団健診の間接撮影で異常があるとされたこどもは、呼び出されて、保健所のレントゲンの直接撮影を受けることになる。学年も別々の初対面の数人の生徒が授業を抜ける。先生は付き添わないので、年長の生徒が下級生を引率して、もくもくと保健所まで歩いた。</p>
<p>　保健所に行くと、ぼくはあの交通事故のことを必ず思い出した。糞尿と石灰。レントゲンを撮って、採血して血沈検査。薄暗い保健所の中に、検査の何本かのガラス管がならぶ。生徒たちは押し黙っている。保健所の帰り道また糞尿と石灰が頭に浮かぶ。ぼくは保健所がなんとなく好きだった。</p>
<p>　2年生の終わりごろ、ぼくの家族は引っ越して、2kmほど北に移った。ひと間で家族が暮らすにはとても狭くなったからだ。住宅地から、こんどは農業者が多い地域になる。大家さんは農業を営み、納屋だった家屋に手を入れ、ぼくたちはそこに住むことになった。家の前の通りは細かったが、古い街道筋。名物の追分ようかんの店も近い。</p>
<p>　風呂はなく大家さんの風呂を借りる。テレビを見せてもらった。月光仮面はそこで見た。家の脇にくみ取り便所があり、大家さんが汲んでくれる。家の半分は納屋のままで、脱穀機がしまわれていて殺虫剤の薬や噴霧器もあった。</p>
<p>　元納屋だけあって、家の中にクモやゴキブリがやたらに出る。ぼくは手のひら大のイエグモが出るたび、泣き喚いたが、家族の誰もぼくの苦しみを理解できず、えらく楽しそうに笑った。金曜日の夜には必ずクモが出ると信じていたし、望遠鏡で月を見ていたらゴキブリが飛んでくるので、それっきりぼくの天体観測は中断したままになった。</p>
<p>　家の中は暗く、布でおおわれた電線や碍子が、天井に露出していた。停電がよくあったし、ヒューズが飛んだ。部屋のあちこちに暗闇があったけど、天井の暗闇にクモがひそんでいる気がして、寝るときは天井は見ないようにしていた。</p>
<p>　上の写真は引っ越して間もない頃、キサブロウ君が引越先に遊びに来たときのスナップ。二人が家の裏で遊んでいる。兄が撮った写真だろう。二人の足元にはワラや草をまとめた小さな山があるけど、そのちょっと向こうはぼくたち家族のゴミ捨て場だった。流れるドブには赤ミミズがいて、カエルもたくさんいた。</p>
<p>　3年生になるとキサブロウ君といっしょに遊ばなくなった。違うクラスになり別々の友だちと遊ぶようになった。5年生頃には裏の畑もだんだん開発される。中学校にまた引っ越して、北にもう2km移る。もっと畑が広がる場所の、2軒長屋。家専用の建物で新築が誇らしかった。「道路の虎さん」こと、佐藤虎次郎氏が市長になると、さらに道路建設がすすんだ。</p>
<p>　町には道路も車も増え、停電はなくなり、新幹線が通り、山側に高速道路が走るようになる。そして、いつの間にかクモも暗闇も糞尿も見えなくなった。それらを人の暮らしから遠ざけて、仕舞む装置をつくったのが高度経済成長だ。</p>
<p>　あれから50年、きれいに整った部屋、IT化された日常、通販とオークションで安く何でも買える暮らしがぼくの周りにある。そこらじゅうにあったはずの世界の切れ目、暗闇、消え去ることのできない影は見えなくなった。でもそのようなものがなくなるはずがない。それは人間がつくっているものだからだ。いまは、どんなかたちで、町と暮らしのなかに棲みついているのだろう。あるいはずんずん人の心のなかに入り込んでいるのかもしれない。</p>
<p>　見えにくいところでしっかりと暗闇は存在し、そこでクモは目を光らせている。誰もがその予感をもっている。なのに、口はせず、黙っている。だから誰もが不機嫌なのだろう。それを声にする者が現れたらどうなるのか。その人は詩人なのだろうか。</p>
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		<title>フィルターバブル</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Apr 2012 06:18:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1899</guid>
		<description><![CDATA[　インターネットで検索していて何かが違ってきている、そんなふうに思うようになったのはこの１年くらいだろうか。単純な機械的結果ではなくて、作為めいたものを感じるようになっていた。
『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』（イーライ・パリサー、2011年、訳2012年、井口耕二、早川書房）　
　原題は、THE　FILTER　BUBBLE：What the Internet is hiding from you。訳は「フィルターバブル、インターネットがあなたから隠しているもの」。 
　この本は、インターネットで生じているが、人知れず進行しているある種の変化について書かれている。著者は1980年生まれ。在野の若い人だが、ずいぶん深く探求している。訳者が本の意図をわかりやすくまとめている。
　――インターネットにおける検索の結果や各種サイトで提示されるニュースなどは、ユーザー個人の嗜好や興味関心とは関係ないと考えるのが普通だろう…辞書を引いたり新聞を読んだりするのと同じであり、同じ結果が得られるはずだと。これはインターネットを創った人びとが夢見ていたウェブのイメージでもある。
　ところが最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味をもっていることや自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつあるらしい…（インターネットの）情報と我々とのあいだにフィルターが置かれ、そのフィルターを通過できる一部の情報だけが我々に届く状態になってきているのだ。つまり、いま、我々が見るインターネットは一人ひとり違っていることになる。
　本書の著者は、これを「フィルターバブルに包まれている」と表現する。一人ひとりがフィルターでできた泡（バブル）に包まれ、インターネットのあちこちに浮かんでいるイメージだ。フィルターバブルの登場でインターネットの体験は大きく変化した。まず、自分の興味関心に関連のある情報が得やすくなったことが挙げられる。
　「おお、それはいい」と思った人はちょっと待ってほしい。うまい話には落とし穴があるというのが世の中の常識である。フィルターバブルも例外ではない――（ｐ297-298）
 　こう述べ、この「落とし穴」について書かれたのが、この本である。フィルターバブルをつくるのはグーグルなどの企業。追跡用のクッキーやビーコンがコンピュータにインストールされ、企業はユーザーのＩＰアドレスごとに（情報端末の）検索履歴を蓄積する。膨大な情報を処理しつつ、情報間のつながりを見いだすプログラムが作動する。しかし、蓄積した情報も、情報を縦横無尽に操作するプログラムも、アウトプットされるフィルターバブルも企業秘密。
　われわれが見ているディスプレイの向こう側に、きれいにまるめられて、見えないところに仕舞われているのだ。
　フィルターバブルにいる個々人は、自分の興味関心に包まれる。それは確かに便利だが、それ以外のものに関心をもたなくなる。つまり、気の利いたたくさんの召使に囲まれた王様のように、わがままに満足して、自己充足するのだ。
　フィルターバブルは、パーソナライズ（サービスの個別化）の結果である。個別化に向かう理由、それはそこには市場（利益）が生まれるからだ。より気の利いた召使や取り巻きは王様に愛されるし、ときにはラスプーチンのように王を操るかもしれない。パーソナライズされた情報は、パーソナライズされた宣伝とセットになって、ユーザーの目の前で展開される。
　だから、自己充足とパーソナライズされたフィルターバブルは、個々人から政治的な意識と能力（主体性）を奪い、奪った政治的な力を企業側が行使するようになるかもしれない。怖いことだ。
　しかし、インターネットは企業と自己充足した個人だけで成り立っているのではない。別のことを考え、活動する人間もいる。
　地域の人々が実際に顔を合わせて、集まることを支援するウェブサイト・ミートアップ（Meetup.com）を創設したハイファーマンは、かつて広告会社につとめていた。彼はインターネットの宣伝も含め、人々をバラバラにする市場主義に批判の目をむける。
　――「自分の才能をなにに注ぐべきなのか、自問せずに過ごす人が多いことを広告業界では学びました。人生はゲームのようなもので、皆、ゲームに勝ちたいと思っているわけです。では、どういうゲームをしているのでしょうか。アプリのダウンロードを増やすというゲームをしているなら…これ以上、モノはいりませんよ。魔法のような魅力ならiPadよりも人の方が強いのです。人々との関係は媒体ではありません。友情も媒体ではありません。愛情も媒体ではありません」。――（P229）
 　彼は、個々人の力を結集して「便利な」フィルターバブルを変えようとするなら、“人との関係・友情・愛情”への関心をもっと強まらなければならないといっている。
　しかし、企業もまた変わらなければならない。そもそもフィルターバブルをつくっているのが企業だからだ。著者のパリサーはこう企業に注文する。
　――市民が十分な情報をもって活発に活動できるようにすること、自分たちの生活だけでなく、コミュニティや社会をうまく動かせるようなツールを人々の手に渡すことは、エンジニアリング的な観点からとても重要で魅力的な課題だと思う…そのためには、グーグルの有名なスローガン、「邪悪になるな」の先をゆくプログラマーが必要だ。善を為すエンジニアが必要なのだ。――（230）
　情報操作。他者支配。強欲と冷淡。無関心と自己撞着。このような個人と企業を変えなければならない。彼は、関係と愛を軸に人と企業が変わることで世界も変わる、といっている。
　このような共同戦線がととのうまでは、フィルターバブルによって人も企業も知らず知らずのうちに影響され続ける。だから、この本は、現在進行しているネット世界の大きな曲がり角を示し、やがては多くの人が「あのときに世界は変容した」と思う目印になる道標だと思う。
　かつて、インターネットは情報の大陸であった。19世紀のアメリカ西部開拓のように幌馬車で「自由な」新天地を求めた。ところがいまや、釈迦の手のひらを飛んでいた孫悟空に成り下がった。しかもその「お釈迦様」がプログラムと市場でつくられているというのだから、がっかりする。
　インターネットを再生するために、人としての関係と愛を再生するところから始まる、それは逆説めいて面白い。しかし、だからこそインターネット上の人間のよき未来が、これから生まれるのかもしれない…。だって、もうずいんぶんネットで時間をついやしたのだから。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1898" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/04/こぶし咲く北国の春.jpg"><img class="size-medium wp-image-1898 " title="こぶし咲く北国の春" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/04/こぶし咲く北国の春-300x241.jpg" alt="青森にも花の季節が" width="300" height="241" /></a><p class="wp-caption-text">青森にも花の季節が</p></div>
<p align="left">　インターネットで検索していて何かが違ってきている、そんなふうに思うようになったのはこの１年くらいだろうか。単純な機械的結果ではなくて、作為めいたものを感じるようになっていた。</p>
<p align="left"><strong>『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』（イーライ・パリサー、2011年、訳2012年、井口耕二、早川書房）</strong>　</p>
<p align="left"><strong>　原題は、THE　FILTER　BUBBLE：What the Internet is hiding from you。訳は「フィルターバブル、インターネットがあなたから隠しているもの」。<span id="_marker"> </span></strong></p>
<p align="left">　この本は、インターネットで生じているが、人知れず進行しているある種の変化について書かれている。著者は1980年生まれ。在野の若い人だが、ずいぶん深く探求している。訳者が本の意図をわかりやすくまとめている。</p>
<p align="left">　――インターネットにおける検索の結果や各種サイトで提示されるニュースなどは、ユーザー個人の嗜好や興味関心とは関係ないと考えるのが普通だろう…辞書を引いたり新聞を読んだりするのと同じであり、同じ結果が得られるはずだと。これはインターネットを創った人びとが夢見ていたウェブのイメージでもある。</p>
<p align="left">　ところが最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味をもっていることや自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつあるらしい…（インターネットの）情報と我々とのあいだにフィルターが置かれ、そのフィルターを通過できる一部の情報だけが我々に届く状態になってきているのだ。つまり、いま、我々が見るインターネットは一人ひとり違っていることになる。</p>
<p align="left">　本書の著者は、これを「フィルターバブルに包まれている」と表現する。一人ひとりがフィルターでできた泡（バブル）に包まれ、インターネットのあちこちに浮かんでいるイメージだ。フィルターバブルの登場でインターネットの体験は大きく変化した。まず、自分の興味関心に関連のある情報が得やすくなったことが挙げられる。</p>
<p align="left">　「おお、それはいい」と思った人はちょっと待ってほしい。うまい話には落とし穴があるというのが世の中の常識である。フィルターバブルも例外ではない――（ｐ297-298）</p>
<p align="left"> 　こう述べ、この「落とし穴」について書かれたのが、この本である。フィルターバブルをつくるのはグーグルなどの企業。追跡用のクッキーやビーコンがコンピュータにインストールされ、企業はユーザーのＩＰアドレスごとに（情報端末の）検索履歴を蓄積する。膨大な情報を処理しつつ、情報間のつながりを見いだすプログラムが作動する。しかし、蓄積した情報も、情報を縦横無尽に操作するプログラムも、アウトプットされるフィルターバブルも企業秘密。</p>
<p align="left">　われわれが見ているディスプレイの向こう側に、きれいにまるめられて、見えないところに仕舞われているのだ。</p>
<p align="left">　フィルターバブルにいる個々人は、自分の興味関心に包まれる。それは確かに便利だが、それ以外のものに関心をもたなくなる。つまり、気の利いたたくさんの召使に囲まれた王様のように、わがままに満足して、自己充足するのだ。</p>
<p align="left">　フィルターバブルは、パーソナライズ（サービスの個別化）の結果である。個別化に向かう理由、それはそこには市場（利益）が生まれるからだ。より気の利いた召使や取り巻きは王様に愛されるし、ときにはラスプーチンのように王を操るかもしれない。パーソナライズされた情報は、パーソナライズされた宣伝とセットになって、ユーザーの目の前で展開される。</p>
<p align="left">　だから、自己充足とパーソナライズされたフィルターバブルは、個々人から政治的な意識と能力（主体性）を奪い、奪った政治的な力を企業側が行使するようになるかもしれない。怖いことだ。</p>
<p align="left">　しかし、インターネットは企業と自己充足した個人だけで成り立っているのではない。別のことを考え、活動する人間もいる。</p>
<p align="left">　地域の人々が実際に顔を合わせて、集まることを支援するウェブサイト・ミートアップ（Meetup.com）を創設したハイファーマンは、かつて広告会社につとめていた。彼はインターネットの宣伝も含め、人々をバラバラにする市場主義に批判の目をむける。</p>
<p align="left">　――「自分の才能をなにに注ぐべきなのか、自問せずに過ごす人が多いことを広告業界では学びました。人生はゲームのようなもので、皆、ゲームに勝ちたいと思っているわけです。では、どういうゲームをしているのでしょうか。アプリのダウンロードを増やすというゲームをしているなら…これ以上、モノはいりませんよ。魔法のような魅力ならiPadよりも人の方が強いのです。人々との関係は媒体ではありません。友情も媒体ではありません。愛情も媒体ではありません」。――（P229）</p>
<p align="left"> 　彼は、個々人の力を結集して「便利な」フィルターバブルを変えようとするなら、“人との関係・友情・愛情”への関心をもっと強まらなければならないといっている。</p>
<p align="left">　しかし、企業もまた変わらなければならない。そもそもフィルターバブルをつくっているのが企業だからだ。著者のパリサーはこう企業に注文する。</p>
<p align="left">　――市民が十分な情報をもって活発に活動できるようにすること、自分たちの生活だけでなく、コミュニティや社会をうまく動かせるようなツールを人々の手に渡すことは、エンジニアリング的な観点からとても重要で魅力的な課題だと思う…そのためには、グーグルの有名なスローガン、「邪悪になるな」の先をゆくプログラマーが必要だ。善を為すエンジニアが必要なのだ。――（230）</p>
<p align="left">　情報操作。他者支配。強欲と冷淡。無関心と自己撞着。このような個人と企業を変えなければならない。彼は、関係と愛を軸に人と企業が変わることで世界も変わる、といっている。</p>
<p>　このような共同戦線がととのうまでは、フィルターバブルによって人も企業も知らず知らずのうちに影響され続ける。だから、この本は、現在進行しているネット世界の大きな曲がり角を示し、やがては多くの人が「あのときに世界は変容した」と思う目印になる道標だと思う。</p>
<p>　かつて、インターネットは情報の大陸であった。19世紀のアメリカ西部開拓のように幌馬車で「自由な」新天地を求めた。ところがいまや、釈迦の手のひらを飛んでいた孫悟空に成り下がった。しかもその「お釈迦様」がプログラムと市場でつくられているというのだから、がっかりする。</p>
<p>　インターネットを再生するために、人としての関係と愛を再生するところから始まる、それは逆説めいて面白い。しかし、だからこそインターネット上の人間のよき未来が、<strong>これから</strong>生まれるのかもしれない…。だって、もうずいんぶんネットで時間をついやしたのだから。</p>
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		<title>現実にむかって退却</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 09:08:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[

　大澤真幸著、『夢より深い覚醒へ――3・11後の哲学』（岩波新書、2012年）を読みました。テーマがテーマだけに、力をこめた著作だと思いました。
　ぼくは夢の話に興味がそそられました。そのことです。
　現実を結びつけている結び目は、夢のなかで、ゆるみ、ほどけます。
　現実は断片となり、拡散し、隠されていた本質は抽象化します。そして、強い風にちぎれる雲のように、夢の形はどんどん変わります。
　ぼんやりと揺れ動く影がかろうじて端（エッジ）がはっきりしてきたかとおもうと、再びぼんやりして、闇に消えます。突然、見知らぬシーンが立ちあがったと思うと、忘却していたはずのものがそこに端然とある、という具合です。
　見誤った幸福が突然の悪夢に変身したので、うなされたかと思った瞬間、現（うつつ）の隙間にひそんでいた予兆が尊大にそこらを喜び回っているので、がっかりするのです。　いつものドアを開けると、見知らぬ世界からの罠だと知って、驚いて目を覚ます…。
　夢には規則などないように思うのですが、夢を精神分析で着目したのがフロイト。大澤真幸氏は、パリ・フロイト派のジャック・ラカンの夢の解釈を、この本の最初で提示します。
　ラカンは、夢の内在的な力によって、人を覚醒に追いやると解釈しているそうです。夢で再構成された現実の本質の荒々しさは、耐えがたい圧力であり、夢見ている人はやむを得ず現実へと退却すると。
　「はじめは現実から逃避するために夢のなかに入った。しかし、夢の中で、彼はもっと恐ろしい、自分が普段は否認していた――十分に意識していなかった――真実に出会い、今度はそこから現実の方へと逃避したのである」（P6）
　現実の中で隠された「真実」は、夢のなかで再帰する第2の「真実」となるが、それに耐えかねて現実に戻れば、もとの「真実」の影がふたたび立ちすくんでいる。
　　　現実／夢
　　　現実（リアル）／虚構（バーチャル）
　　　正気／狂気
　対立しているかにみえる二つの位相は、互いに情報をやり取りし、別のスタイルで情報を展開している。片側でとらえきれない情報はもう一方の側に送り込み、ストックして、相互に便宜的に依存しあっている。この解釈は深いと思います。
　「真実」は、ほんとうのところ、二つのどちらの側にもないということになります。本当に「真実」を知りたいと願うなら、現実／夢の対立軸を越えて、より深い覚醒へ向かわなければならない、これがこの本の通奏低音です。
　大澤氏は、3・11であらわになった原発の問題は、原発依存から脱却することでしか解決できないはずという主張を、この現実／夢の枠組みの中で、つまり現実と夢（理想）が解体された現実社会にむかいながら、縦横に問題化しています。ぼくには刺激的でした。
　しかし、大澤氏の原発問題はひとまず脇におき、二つの位相が互いに補いあい、依存しているというこのラカン・大澤の考えから触発されたことを書きたいと思います。
　おそらくほとんどの人は、夢のような現実と、現実のような夢を行き来しながら、真実から目をそむけているのでしょうが、そうだとしても、その二つの世界をつくりだすことによって本人を耐えがさから守っているという面があると思います。真実を欺く防御システムではあるのですが、二項対立を超えるために二項の存在があると考えて、世界は人それ自身より深いと理解したらどうでしょう。これはぼくのひとり言ですが…。
　しかし、現代的な問題は、そんな牧歌的な二項対立のことではありません。現実（リアル）／虚構（バーチャル）／虚構の虚構／虚構の虚構の…、というふうに枝分かれするあり方の問題の場合もあります。これは真実の先送りシステムといえます。もっと問題だと思うのは、現実A＝暴力／現実B＝虚構というふうに、現実が分離して、犯罪にいたる場合です。この場合は、真実を消去するシステムといえるかもしれません。
 
　さて、たぶん、深い覚醒に向かうための道筋として（だと思うのですが）、この本の最後で、大澤は「垂直的な関係を基底においた集合的な意思決定」というものを提案していて、これが面白いのです。ラカンの実践をふまえたアイディアのようです。
　未来のある集団には指導的な委員会が存在するのですが、この委員会は、委員会に上がってくる意見を判断することが大きな役割なのです。状況を分析して、すすむべき道を提示し、構成員にペナルティを課すような、よくある指導部ではありません。ひたすら耳を傾け、質問をして、やがてその意見を受け入れるか否かを決定するという委員会です。（ぼくはミヒャエルエンデの「はてしない物語」のお姫様＝幼心の君が、ちょっと近代化して、委員会になったようなイメージをもちました。大澤氏はソクラテスの委員会版として語っていますけど…。）
　委員会に、意見を述べる人は、意見をもっている人自身ではありません。裁判の弁護士のような立場の人、媒介者Mがいます。意見を提起したいAが媒介者Mに話します。MはAの意見を中立的な立場で聞き、よく理解し、やがて委員会に伝える機会を得ます。
　意見をもっているAは、この仕組みを理解し、よりよく伝わるようにMにしっかり話さねばなりません。Aは委員会に自分の意見を受け入れてほしいのですから、媒介者Mというハードルを越える、強い説得力をもつ必要があります。
　（いまの世ではあまたあることですが、委員会の意見が出るのをまって出たあとにあれこれ評論する、受け入れられない理由を100も並べる、あるいは先制攻撃的に意見を出せと委員会に圧力をかけるなどの手法は使えないということです。）
　委員会のイメージはいいと思います。もし、ぼくが意見を言いたいAであれば、時に挑戦的な質問者であるMと向き合い、こうしたい、こうありたいと心からの意見を一生懸命に話します。その努力を傾けているとき、それは、きっと、夢より深い覚醒に向かうための鍛錬そのものだと思えるからです。
　考えてみると、いまの日本社会で跋扈するのは「あと出しじゃんけん」です。高飛車にもの申したり、クレーマーも。見てみぬ振りだったり、沈黙だったり。人間的な真実は（現実／夢・虚構）のどこかにストックされたままで、何かが起きたら（あるいは起こすように仕向けてから）、あと出しじゃんけん。
　だから、あと出しはやめましょう、あなたの思う真実をまず語りましょう。私は聞きますよ。という小さなシステムをつくり、そこで語り合って、現実／夢の境を超えていきましょう。…そんなふうに思えてきます。
　「ここに提案した方法で機能する委員会は、未来の他者を、ここに、現在に呼び寄せる一つの方法である」（P261）。未来の他者…これも魅力的な言葉ですが、これはまた別の話です。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1852" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/04/青森にも春が.jpg"><img class="size-medium wp-image-1852 " title="青森にも春が" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/04/青森にも春が-300x246.jpg" alt="古川1丁目" width="300" height="246" /></a><p class="wp-caption-text">古川1丁目</p></div>
</div>
<p>　大澤真幸著、『夢より深い覚醒へ――3・11後の哲学』（岩波新書、2012年）を読みました。テーマがテーマだけに、力をこめた著作だと思いました。</p>
<p>　ぼくは夢の話に興味がそそられました。そのことです。</p>
<p>　現実を結びつけている結び目は、夢のなかで、ゆるみ、ほどけます。</p>
<p>　現実は断片となり、拡散し、隠されていた本質は抽象化します。そして、強い風にちぎれる雲のように、夢の形はどんどん変わります。</p>
<p>　ぼんやりと揺れ動く影がかろうじて端（エッジ）がはっきりしてきたかとおもうと、再びぼんやりして、闇に消えます。突然、見知らぬシーンが立ちあがったと思うと、忘却していたはずのものがそこに端然とある、という具合です。</p>
<p>　見誤った幸福が突然の悪夢に変身したので、うなされたかと思った瞬間、現（うつつ）の隙間にひそんでいた予兆が尊大にそこらを喜び回っているので、がっかりするのです。　いつものドアを開けると、見知らぬ世界からの罠だと知って、驚いて目を覚ます…。</p>
<p>　夢には規則などないように思うのですが、夢を精神分析で着目したのがフロイト。大澤真幸氏は、パリ・フロイト派のジャック・ラカンの夢の解釈を、この本の最初で提示します。</p>
<p>　ラカンは、夢の内在的な力によって、人を覚醒に追いやると解釈しているそうです。夢で再構成された現実の本質の荒々しさは、耐えがたい圧力であり、夢見ている人はやむを得ず現実へと退却すると。</p>
<p>　「はじめは現実から逃避するために夢のなかに入った。しかし、夢の中で、彼はもっと恐ろしい、自分が普段は否認していた――十分に意識していなかった――真実に出会い、今度はそこから現実の方へと逃避したのである」（P6）</p>
<p>　現実の中で隠された「真実」は、夢のなかで再帰する第2の「真実」となるが、それに耐えかねて現実に戻れば、もとの「真実」の影がふたたび立ちすくんでいる。</p>
<p>　　　現実／夢</p>
<p>　　　現実（リアル）／虚構（バーチャル）</p>
<p>　　　正気／狂気</p>
<p>　対立しているかにみえる二つの位相は、互いに情報をやり取りし、別のスタイルで情報を展開している。片側でとらえきれない情報はもう一方の側に送り込み、ストックして、相互に便宜的に依存しあっている。この解釈は深いと思います。</p>
<p>　「真実」は、ほんとうのところ、二つのどちらの側にもないということになります。本当に「真実」を知りたいと願うなら、現実／夢の対立軸を越えて、より深い覚醒へ向かわなければならない、これがこの本の通奏低音です。</p>
<p>　大澤氏は、3・11であらわになった原発の問題は、原発依存から脱却することでしか解決できないはずという主張を、この現実／夢の枠組みの中で、つまり現実と夢（理想）が解体された現実社会にむかいながら、縦横に問題化しています。ぼくには刺激的でした。</p>
<p>　しかし、大澤氏の原発問題はひとまず脇におき、二つの位相が互いに補いあい、依存しているというこのラカン・大澤の考えから触発されたことを書きたいと思います。</p>
<p>　おそらくほとんどの人は、夢のような現実と、現実のような夢を行き来しながら、真実から目をそむけているのでしょうが、そうだとしても、その二つの世界をつくりだすことによって本人を耐えがさから守っているという面があると思います。真実を欺く防御システムではあるのですが、二項対立を超えるために二項の存在があると考えて、世界は人それ自身より深いと理解したらどうでしょう。これはぼくのひとり言ですが…。</p>
<p>　しかし、現代的な問題は、そんな牧歌的な二項対立のことではありません。現実（リアル）／虚構（バーチャル）／虚構の虚構／虚構の虚構の…、というふうに枝分かれするあり方の問題の場合もあります。これは真実の先送りシステムといえます。もっと問題だと思うのは、現実A＝暴力／現実B＝虚構というふうに、現実が分離して、犯罪にいたる場合です。この場合は、真実を消去するシステムといえるかもしれません。</p>
<p> </p>
<p>　さて、たぶん、深い覚醒に向かうための道筋として（だと思うのですが）、この本の最後で、大澤は「垂直的な関係を基底においた集合的な意思決定」というものを提案していて、これが面白いのです。ラカンの実践をふまえたアイディアのようです。</p>
<p>　未来のある集団には指導的な委員会が存在するのですが、この委員会は、委員会に上がってくる意見を判断することが大きな役割なのです。状況を分析して、すすむべき道を提示し、構成員にペナルティを課すような、よくある指導部ではありません。ひたすら耳を傾け、質問をして、やがてその意見を受け入れるか否かを決定するという委員会です。（ぼくはミヒャエルエンデの「はてしない物語」のお姫様＝幼心の君が、ちょっと近代化して、委員会になったようなイメージをもちました。大澤氏はソクラテスの委員会版として語っていますけど…。）</p>
<p>　委員会に、意見を述べる人は、意見をもっている人自身ではありません。裁判の弁護士のような立場の人、媒介者Mがいます。意見を提起したいAが媒介者Mに話します。MはAの意見を中立的な立場で聞き、よく理解し、やがて委員会に伝える機会を得ます。</p>
<p>　意見をもっているAは、この仕組みを理解し、よりよく伝わるようにMにしっかり話さねばなりません。Aは委員会に自分の意見を受け入れてほしいのですから、媒介者Mというハードルを越える、強い説得力をもつ必要があります。</p>
<p>　（いまの世ではあまたあることですが、委員会の意見が出るのをまって出たあとにあれこれ評論する、受け入れられない理由を100も並べる、あるいは先制攻撃的に意見を出せと委員会に圧力をかけるなどの手法は使えないということです。）</p>
<p>　委員会のイメージはいいと思います。もし、ぼくが意見を言いたいAであれば、時に挑戦的な質問者であるMと向き合い、こうしたい、こうありたいと心からの意見を一生懸命に話します。その努力を傾けているとき、それは、きっと、夢より深い覚醒に向かうための鍛錬そのものだと思えるからです。</p>
<p>　考えてみると、いまの日本社会で跋扈するのは「あと出しじゃんけん」です。高飛車にもの申したり、クレーマーも。見てみぬ振りだったり、沈黙だったり。人間的な真実は（現実／夢・虚構）のどこかにストックされたままで、何かが起きたら（あるいは起こすように仕向けてから）、あと出しじゃんけん。</p>
<p>　だから、あと出しはやめましょう、あなたの思う真実をまず語りましょう。私は聞きますよ。という小さなシステムをつくり、そこで語り合って、現実／夢の境を超えていきましょう。…そんなふうに思えてきます。</p>
<p>　「ここに提案した方法で機能する委員会は、未来の他者を、ここに、現在に呼び寄せる一つの方法である」（P261）。未来の他者…これも魅力的な言葉ですが、これはまた別の話です。</p>
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		<title>ちくま新書を読んで №2</title>
		<link>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1821</link>
		<comments>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1821#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 08:06:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[
■此岸
　思想家、評論家の吉本隆明さんが3月16日に逝去しました。享年87歳。早稲田大学教授・加藤典洋は彼を悼んで、「此岸に立ち続けた思想」という文を共同通信に載せています（東奥日報3月24日）。
　――（吉本さんは19）64年には、「井の中の蛙（かわず）」は外に虚像を夢見る限りは「井の中の蛙大海を知らず」のままだが、もしそのことに抵抗できて「井の外」に虚像を見なければ、そのときには「井の中にいる」ことが「井の外」とつながっている、内にあっても「大海」に通じる思想をつくることは可能だ、という名高い主張を行った。
　でもそれは、「此岸」にあっても「彼岸」に行けるということではなく「此岸」（国内体験）に立たない限り、「彼岸」（世界思想）には立てないぞ、ということなのだ――加藤氏はこう書いていました。
 　《いま、ここ》に身の丈サイズの暮らしがあり、俗的な悩みをもつ私がいて、苦しみをもつあなたと向かい、笑い、語らっている…という「此岸」（俗・娑婆）にしっかり立つことなく、理想、世界思想、真理にいたるのはむずかしいことだ、というのです。しかしちょっと考えてみると、これは、当たり前なこと。でも、当たり前なことに多くの努力を傾けなければならないからこそ、人間存在に深い問題があるのです。
 　私たちは、なぜか、《いま、ここ》ではなくて、《あちらの》虚像に魅かれます。誰でも「隣の芝生は青い」と嫉妬し、うらやみます。これを食べるか、あれを先に食べるか、迷いバシは日常。何かを手に入れた途端にまた別のものが欲しくて、視線はキョロキョロさまよいます。禅で言うところの「仏に会う」という虚妄もあります。願望は「仏」すら創り出すというのですから根は深い。
 　都会の街にはＬＥＤ掲示板のニュースやデモ画像で「どこかの誰かのことを」流し、監視カメラは行き来する人を「誰かがいつか見るために」記録します。電車に座った人は横に並びながら、ケータイを眺めては「どこかの誰かと」交信。誰もが、いつも《いま、ここ》ではない「どこか」を浮遊するのがこの「フツウ」の社会。
 　受託資産1500億を消失させたＡＩＪの浅川社長は、「あと100億あれば取り戻させる」といいました。彼も《いま、ここ》ではないどこかの「金の世界」を生きています。目だないのですが、ことさら悲観的未来、悪趣味の世界を描く人もいますし、《いま、ここ》の存在すら確信できない人もいます（私は、後者はちょっと怖いし、苦手だなあ）。
 　《いま、ここ》にいることは、ほんとうにむずかしいことなのでしょうか。私たちの社会は、夢見るあまたの蛙で満たされているのでしょうか。だから、吉本隆明は「思想界の巨人」なのでしょうか？…問題は深いようです。
　ともかく、暮らしあう世界と思想世界、頭の世界とは重なり合いつつも、まったく別ものなのです…。
■子どもを産み、育てない地域
　車でわずかばかりの市街地を抜けて、八甲田の山裾、陸奥湾の海辺をドライブし、小さな集落を通りぬけると、人々の暮らしがダイレクトに感じられる空間がずっと広がります。車を走らせるほどに道行く人は少なく、コンビニも、電光掲示板もない。あるのはホタテ、リンゴの看板。農地の軽トラにのせられた野菜のコンテナ。海辺の作業小屋に積まれたホタテのアミ。林のなかのサイロ。
　まるで止まったような風景が見えてくるけど、それは、誰かを待っている土地。思わず実家に帰るような懐かしさが胸のなかにこみ上げます。風景の奥から、そこで暮らす見も知らぬ人々の息づかいや心拍が、通りすがりの私にもはっきりと伝わるのです。
 　『限界集落の真実――過疎の村は消えるか？』（山下祐介、2012、ちくま新書）。著者の山下氏は昨年度まで弘前大学の准教授でした。本のなかには青森の各地が取り上げられています。鯵ケ沢、旧相馬村、旧碇ヶ関村、下北半島。もちろん県外も。東北地方のほか、京都、高知、島根、鹿児島。
 　この本の山下氏の話で、《いま、ここ》の問題にひきつけて興味深かったことが二つありました。
 　一つは、「限界集落」という言葉につきまとう、日本のどこかの集落が、ひとつまたひとつと消えていているというイメージのことについてです。この言葉が、学問レベルで生まれたのは1990年代初めです。国交省がこの問題を取り上げたのが2007年で、この年をきっかけに広く世に知られるようになりました。
 　ところが、この間、「自然に」消滅した事例はまだなく、開拓集落が第1次産業の衰退に伴い、元の集落に吸収されたとか、ダム工事などで立ち退いたなどの事例以外に消滅した集落はないと山下氏は主張しています。これは驚きです。
 　「限界集落」といわれる過疎地を支えたのは、昭和一ケタ世代です。高度経済成長期にはいり、大都市圏は強力な吸収力で、全国各地の村から労働力を吸い寄せました。村を出た若者たちの上の世代、昭和一ケタ世代が村に残り、彼らが子どもを育て、村を支えたのです。彼らが80歳代になる現在、「限界集落」はもちろん喫緊な課題ではあるのですが、彼らがつくってきたネットワークが集落の消滅をしぶとく防いできたのです。そこに注目してほしいと、山下氏は指摘しています。これはだいじなことです。
　人の暮らしは理屈どおりにはつぶされない、強さと切実さがある、これは人の世に関するリアルな描き方だと思うのです。頭で描いた架空な理屈は、かえってそこに暮らす人々の足を引っ張るのですから。
 　二つ目は、以下は人を吸い上げた側の大都市圏の性格についての記述です。これがえらいことです。
　――人口増加型大都市圏社会は、その合計特殊出生率を見ると全国47都道府県のなかでも最下位の方に位置する都道府県ばかりであり、人口再生能力がとくに低い地帯でもある…現地点においてもなお、周辺地帯の方が、人口再生産能力は相対的に高い状況にあり、要するに人口増加地帯は、人口を吸収するだけで、子供を産む力の極端に弱い場なのである――（P266-267）
　過疎地、限界集落では、ある世代が防波堤のようになって、大都市圏からの吸収力を防ぎ、人を育て、ネットワークを維持してきました。しかし、その一方の大都市圏は自らが人間を育てるより、過疎地、限界集落に人材を吸収し続けることに関心をもってきたのです。
　こんな自分勝手の大都市圏、いびつな中央―地方関係が、近代・戦後社会の先端モデルになってきたのですね。知りませんでした。
　この指摘はすごいですね。ということは、私たちが《いま、ここ》を探そうと思うならば、むしろ過疎地、限界集落といわれるようなところにいかなければならない、ということになりかねないのですから。わたしたちは何か、いままで、方向を180度ちがっていたのかもしれません。
　都会は、労働力を吸い上げただけでなく、《いま、ここ》がもっているエネルギーを吸い上げることによって肥大してきたのです。都会に、《いま、ここ》ではないものがあふれているのは、しかたがないということになります。
　なぜか、人の少ない土地に人間の生活と暮らしが感じられる。それは、山下氏のこの二点の指摘にわけがあるのです。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1822" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/03/春よ来い.jpg"><img class="size-medium wp-image-1822 " title="春よ来い" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/03/春よ来い-300x225.jpg" alt="青森の空" width="300" height="225" /></a><p class="wp-caption-text">青森の空</p></div>
<p align="left">■此岸</p>
<p align="left">　思想家、評論家の吉本隆明さんが3月16日に逝去しました。享年87歳。早稲田大学教授・加藤典洋は彼を悼んで、「此岸に立ち続けた思想」という文を共同通信に載せています（東奥日報3月24日）。</p>
<p style="padding-left: 60px;" align="left">　――（吉本さんは19）64年には、「井の中の蛙（かわず）」は外に虚像を夢見る限りは「井の中の蛙大海を知らず」のままだが、もしそのことに抵抗できて「井の外」に虚像を見なければ、そのときには「井の中にいる」ことが「井の外」とつながっている、内にあっても「大海」に通じる思想をつくることは可能だ、という名高い主張を行った。</p>
<p style="padding-left: 60px;" align="left">　でもそれは、「此岸」にあっても「彼岸」に行けるということではなく「此岸」（国内体験）に立たない限り、「彼岸」（世界思想）には立てないぞ、ということなのだ――加藤氏はこう書いていました。</p>
<p align="left"> 　《いま、ここ》に身の丈サイズの暮らしがあり、俗的な悩みをもつ私がいて、苦しみをもつあなたと向かい、笑い、語らっている…という「此岸」（俗・娑婆）にしっかり立つことなく、理想、世界思想、真理にいたるのはむずかしいことだ、というのです。しかしちょっと考えてみると、これは、当たり前なこと。でも、当たり前なことに多くの努力を傾けなければならないからこそ、人間存在に深い問題があるのです。</p>
<p align="left"> 　私たちは、なぜか、《いま、ここ》ではなくて、《あちらの》虚像に魅かれます。誰でも「隣の芝生は青い」と嫉妬し、うらやみます。これを食べるか、あれを先に食べるか、迷いバシは日常。何かを手に入れた途端にまた別のものが欲しくて、視線はキョロキョロさまよいます。禅で言うところの「仏に会う」という虚妄もあります。願望は「仏」すら創り出すというのですから根は深い。</p>
<p align="left"> 　都会の街にはＬＥＤ掲示板のニュースやデモ画像で「どこかの誰かのことを」流し、監視カメラは行き来する人を「誰かがいつか見るために」記録します。電車に座った人は横に並びながら、ケータイを眺めては「どこかの誰かと」交信。誰もが、いつも《いま、ここ》ではない「どこか」を浮遊するのがこの「フツウ」の社会。</p>
<p align="left"> 　受託資産1500億を消失させたＡＩＪの浅川社長は、「あと100億あれば取り戻させる」といいました。彼も《いま、ここ》ではないどこかの「金の世界」を生きています。目だないのですが、ことさら悲観的未来、悪趣味の世界を描く人もいますし、《いま、ここ》の存在すら確信できない人もいます（私は、後者はちょっと怖いし、苦手だなあ）。</p>
<p align="left"> 　《いま、ここ》にいることは、ほんとうにむずかしいことなのでしょうか。私たちの社会は、夢見るあまたの蛙で満たされているのでしょうか。だから、吉本隆明は「思想界の巨人」なのでしょうか？…問題は深いようです。</p>
<p align="left">　ともかく、暮らしあう世界と思想世界、頭の世界とは重なり合いつつも、まったく別ものなのです…。</p>
<p align="left">■子どもを産み、育てない地域</p>
<p align="left">　車でわずかばかりの市街地を抜けて、八甲田の山裾、陸奥湾の海辺をドライブし、小さな集落を通りぬけると、人々の暮らしがダイレクトに感じられる空間がずっと広がります。車を走らせるほどに道行く人は少なく、コンビニも、電光掲示板もない。あるのはホタテ、リンゴの看板。農地の軽トラにのせられた野菜のコンテナ。海辺の作業小屋に積まれたホタテのアミ。林のなかのサイロ。</p>
<p align="left">　まるで止まったような風景が見えてくるけど、それは、誰かを待っている土地。思わず実家に帰るような懐かしさが胸のなかにこみ上げます。風景の奥から、そこで暮らす見も知らぬ人々の息づかいや心拍が、通りすがりの私にもはっきりと伝わるのです。</p>
<p align="left"> 　『限界集落の真実――過疎の村は消えるか？』（山下祐介、2012、ちくま新書）。著者の山下氏は昨年度まで弘前大学の准教授でした。本のなかには青森の各地が取り上げられています。鯵ケ沢、旧相馬村、旧碇ヶ関村、下北半島。もちろん県外も。東北地方のほか、京都、高知、島根、鹿児島。</p>
<p align="left"> 　この本の山下氏の話で、《いま、ここ》の問題にひきつけて興味深かったことが二つありました。</p>
<p align="left"> 　一つは、「限界集落」という言葉につきまとう、日本のどこかの集落が、ひとつまたひとつと消えていているというイメージのことについてです。この言葉が、学問レベルで生まれたのは1990年代初めです。国交省がこの問題を取り上げたのが2007年で、この年をきっかけに広く世に知られるようになりました。</p>
<p align="left"> 　ところが、この間、「自然に」消滅した事例はまだなく、開拓集落が第1次産業の衰退に伴い、元の集落に吸収されたとか、ダム工事などで立ち退いたなどの事例以外に消滅した集落はないと山下氏は主張しています。これは驚きです。</p>
<p align="left"> 　「限界集落」といわれる過疎地を支えたのは、昭和一ケタ世代です。高度経済成長期にはいり、大都市圏は強力な吸収力で、全国各地の村から労働力を吸い寄せました。村を出た若者たちの上の世代、昭和一ケタ世代が村に残り、彼らが子どもを育て、村を支えたのです。彼らが80歳代になる現在、「限界集落」はもちろん喫緊な課題ではあるのですが、彼らがつくってきたネットワークが集落の消滅をしぶとく防いできたのです。そこに注目してほしいと、山下氏は指摘しています。これはだいじなことです。</p>
<p align="left">　人の暮らしは理屈どおりにはつぶされない、強さと切実さがある、これは人の世に関するリアルな描き方だと思うのです。頭で描いた架空な理屈は、かえってそこに暮らす人々の足を引っ張るのですから。</p>
<p align="left"> 　二つ目は、以下は人を吸い上げた側の大都市圏の性格についての記述です。これがえらいことです。</p>
<p style="padding-left: 60px;" align="left">　――人口増加型大都市圏社会は、その合計特殊出生率を見ると全国47都道府県のなかでも最下位の方に位置する都道府県ばかりであり、人口再生能力がとくに低い地帯でもある…現地点においてもなお、周辺地帯の方が、人口再生産能力は相対的に高い状況にあり、要するに人口増加地帯は、人口を吸収するだけで、子供を産む力の極端に弱い場なのである――（P266-267）</p>
<p align="left">　過疎地、限界集落では、ある世代が防波堤のようになって、大都市圏からの吸収力を防ぎ、人を育て、ネットワークを維持してきました。しかし、その一方の大都市圏は自らが人間を育てるより、過疎地、限界集落に人材を吸収し続けることに関心をもってきたのです。</p>
<p align="left">　こんな自分勝手の大都市圏、いびつな中央―地方関係が、近代・戦後社会の先端モデルになってきたのですね。知りませんでした。</p>
<p align="left">　この指摘はすごいですね。ということは、私たちが《いま、ここ》を探そうと思うならば、むしろ過疎地、限界集落といわれるようなところにいかなければならない、ということになりかねないのですから。わたしたちは何か、いままで、方向を180度ちがっていたのかもしれません。</p>
<p align="left">　都会は、労働力を吸い上げただけでなく、《いま、ここ》がもっているエネルギーを吸い上げることによって肥大してきたのです。都会に、《いま、ここ》ではないものがあふれているのは、しかたがないということになります。</p>
<p align="left">　なぜか、人の少ない土地に人間の生活と暮らしが感じられる。それは、山下氏のこの二点の指摘にわけがあるのです。</p>
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		<pubDate>Sat, 17 Mar 2012 08:20:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[


　推理小説『八百万の死にざま』（1982年、早川書房）の主人公はマンハッタンで活動するアルコール依存症の探偵だった。
　彼の生活は常に飲酒との闘いのなか。あるとき、どうしようもない飲酒の願望が押し寄せた。いまにもスリップしそうになり、真夜中でも開いているＡＡミーティング（アルコール依存症の回復者のつどい）に駆け込む場面があった。
　ニューヨークには真夜中ミーティングすらあるのかとびっくりしたものだった。
　陰惨な事件、残酷な現場をたどる推理小説の魅力は、真実に近づきながらハラハラドキドキするストーリーだけでなく、主人公の人間臭さ、個人の日常生活がもう一つの魅力だ。
　新聞の本のコーナーで、『シンドロームＥ』（フランク・ティリエ、2011年、早川文庫）が紹介されていた。この小説に統合失調症の刑事がでるそうだ。ぼくは思わず書店に駆け込んだ。彼にはどんな魅力が描かれているのだろうと。
　フランコ・シャルコ、50歳を越えてしまった刑事、心理分析官。いかつい身体と推理力、別名シャーク。しかし、かかわった事件が契機になり、奥さんと娘を亡くしてしまった。暗い過去以来、彼と会った誰もが、彼に孤独を感じ取る。彼はくすんだ部署に移り、統合失調症を病み、彼の世界には妄想の少女ユジェニーが棲みついた。
　妄想少女・ユジェニーは青いワンピースとバックル止めの赤い靴を身につける。ブロンドの巻き毛をゴムで束ね、カクテルソースとマロングラッセが好み。ところが、シャルコは彼女の悪口雑言に悩み続けている。彼がユジェニーの言うことを聞かないと、娘と妻が死んだのはシャルコのせいだと言いたてて、心底傷つけるずる賢い少女だ。
　バカンスが始まる7月、猟奇的事件が起た。以前の上司が、資料室務めのシャルコを現場に呼び戻す。心理分析が必要だからだ。シャルコの生活はしばらくぶりの事件で、一変。静かな時間を奪われ、ユジェニーは苛立つ。
「ねぇシャルコ、仕事なんかして欲しくないわ。骸骨とか死体だとか、そんなの怖くていや。あなたの娘エロイーズだって怖がっているわよ。なのにどうしてまた仕事を始めて、私を苦しめるの？」
「黙れ。エロイーズのことを言うのはやめろ。おまえなんか、治療でいなくなっているはずなんだ。とっくに消えているはずで…」
「いいからすぐにパリへ帰りましょう。汽車で遊びたいの。私に意地悪して骸骨なんか見に行くと、とんでもないことになるわよ」
　ずいぶん、自己主張する妄想少女だ。ユジェニーのあれこれの罵倒に耐えながら、事件を追うと、手がかりはベルギーに、エジプトにと広がる。エジプトに飛んだシャルコが殺されかかった時ですら、ユジェニーは辛辣だ。
グルグル巻きにされ砂漠のなかに連れて行かれ、シャルコは椅子に縛り付けられたまま焼き殺されそうになる。
「ねえ、フランク、こんなところで何しているのよ？　ほかに道はあったはずよ」
縛られたまま頭突きで殺人者を突き飛ばすと、形勢逆転。なんとか窮地を脱する。ところがユジェニーは
「いつだってこうなんだわ、あなたの人生は。死と恐怖と苦しみと…私は十歳にもなっていないのよ、フランク。なのに、ここ何年も、あなたが用意する光景を拝まされて。胸が悪くなりそう」
　ほんとうにユジェニーには参ってしまう。
　シャルコの追う事件とは別に、謎の映画をめぐる殺人事件を、リューシー・エヌベル女性刑事が追っていた。エヌベルは双子の娘をもつシングルマザーで、困難な事件であっても、立ち向かおうとする気性の激しい人だ。
　エヌベルとシャルコとの事件が結びつく。事件の源はカナダ、しかも1950年代の精神病院だった。精神病院というものの、それはある種の実験室だった。二人は事件の核心に近づくほどに、危険に遭遇。しかし、ひるまずに突き進むうちに、互いに魅かれあう。
　やがて二人は愛し合う。それは、シャルコにとっては妄想少女ユジェニーとの別れでもあった。
…ユジェニーはまだそこにいた。両足をそろえて立ち、手を太腿のあたりにぴったりくっつけて。
シャルコは彼女が泣くのを始めて見た。
その一瞬が永遠に続くかと思われた。今度はシャルコの目が涙で曇った。
　少女はシャルコに微笑んだ。そして小さな手をあげると、親しげな合図を送った。シャルコは目に涙をため、同じように手をあげて応えた。次の瞬間、ジェニーは部屋を出ていった。一度もふり返らずに。
　美しい別れだ。シャルコの絶望と孤独の世界に入り込んだ妄想少女ユジェニーは、長い期間を彼とともに過ごし、やがて新しい愛の世界が訪れた時、微笑みながら別れたのだった。
　映画『ビューティフルマインド』にも妄想少女が出ていたが、こんな整った病気のストーリーは、フランスでも現実ではなく小説だからだろう。
　推理小説なので詳しくは書けないけど、『シンドロームＥ』には「怒りという狂気」がテーマの一つだ。狂気からではなく、正気から生まれる真に暴力的な怒り、凶暴さ。残虐で、容赦なく、徹底した異常な怒り。それをコントロールしようとする医療、映像。そして怒りの伝播とジェノサイド。これらが絡みあう。著者は、現代が怒り（凶暴さ）の時代であり、人類は自らのジェノサイドにつき進んでいるのではないかとも示唆する。
　シャルコが統合失調症であるという設定にしたのは、いくつか理由があるようだが、もしかしたらこの種の怒りから遠い存在だからかもしれない。ユジェニーは部屋の中の汽車遊びとマロングラッセがお気に入りだった。しかし、凶暴さはそんなものには目もくれず、獰猛に他者に向かう何かなのだから。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1817" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/03/しん1.jpg"><img class="size-medium wp-image-1817 " title="しん" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/03/しん1-300x222.jpg" alt="土曜の雨降り" width="300" height="222" /></a><p class="wp-caption-text">土曜の雨降り</p></div>
</div>
<p>　推理小説『八百万の死にざま』（1982年、早川書房）の主人公はマンハッタンで活動するアルコール依存症の探偵だった。</p>
<p>　彼の生活は常に飲酒との闘いのなか。あるとき、どうしようもない飲酒の願望が押し寄せた。いまにもスリップしそうになり、真夜中でも開いているＡＡミーティング（アルコール依存症の回復者のつどい）に駆け込む場面があった。</p>
<p>　ニューヨークには真夜中ミーティングすらあるのかとびっくりしたものだった。</p>
<p>　陰惨な事件、残酷な現場をたどる推理小説の魅力は、真実に近づきながらハラハラドキドキするストーリーだけでなく、主人公の人間臭さ、個人の日常生活がもう一つの魅力だ。</p>
<p>　新聞の本のコーナーで、『シンドロームＥ』（フランク・ティリエ、2011年、早川文庫）が紹介されていた。この小説に統合失調症の刑事がでるそうだ。ぼくは思わず書店に駆け込んだ。彼にはどんな魅力が描かれているのだろうと。</p>
<p>　フランコ・シャルコ、50歳を越えてしまった刑事、心理分析官。いかつい身体と推理力、別名シャーク。しかし、かかわった事件が契機になり、奥さんと娘を亡くしてしまった。暗い過去以来、彼と会った誰もが、彼に孤独を感じ取る。彼はくすんだ部署に移り、統合失調症を病み、彼の世界には妄想の少女ユジェニーが棲みついた。</p>
<p>　妄想少女・ユジェニーは青いワンピースとバックル止めの赤い靴を身につける。ブロンドの巻き毛をゴムで束ね、カクテルソースとマロングラッセが好み。ところが、シャルコは彼女の悪口雑言に悩み続けている。彼がユジェニーの言うことを聞かないと、娘と妻が死んだのはシャルコのせいだと言いたてて、心底傷つけるずる賢い少女だ。</p>
<p>　バカンスが始まる7月、猟奇的事件が起た。以前の上司が、資料室務めのシャルコを現場に呼び戻す。心理分析が必要だからだ。シャルコの生活はしばらくぶりの事件で、一変。静かな時間を奪われ、ユジェニーは苛立つ。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「ねぇシャルコ、仕事なんかして欲しくないわ。骸骨とか死体だとか、そんなの怖くていや。あなたの娘エロイーズだって怖がっているわよ。なのにどうしてまた仕事を始めて、私を苦しめるの？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">「黙れ。エロイーズのことを言うのはやめろ。おまえなんか、治療でいなくなっているはずなんだ。とっくに消えているはずで…」</p>
<p style="padding-left: 30px;">「いいからすぐにパリへ帰りましょう。汽車で遊びたいの。私に意地悪して骸骨なんか見に行くと、とんでもないことになるわよ」</p>
<p>　ずいぶん、自己主張する妄想少女だ。ユジェニーのあれこれの罵倒に耐えながら、事件を追うと、手がかりはベルギーに、エジプトにと広がる。エジプトに飛んだシャルコが殺されかかった時ですら、ユジェニーは辛辣だ。</p>
<p>グルグル巻きにされ砂漠のなかに連れて行かれ、シャルコは椅子に縛り付けられたまま焼き殺されそうになる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「ねえ、フランク、こんなところで何しているのよ？　ほかに道はあったはずよ」</p>
<p>縛られたまま頭突きで殺人者を突き飛ばすと、形勢逆転。なんとか窮地を脱する。ところがユジェニーは</p>
<p style="padding-left: 30px;">「いつだってこうなんだわ、あなたの人生は。死と恐怖と苦しみと…私は十歳にもなっていないのよ、フランク。なのに、ここ何年も、あなたが用意する光景を拝まされて。胸が悪くなりそう」</p>
<p>　ほんとうにユジェニーには参ってしまう。</p>
<p>　シャルコの追う事件とは別に、謎の映画をめぐる殺人事件を、リューシー・エヌベル女性刑事が追っていた。エヌベルは双子の娘をもつシングルマザーで、困難な事件であっても、立ち向かおうとする気性の激しい人だ。</p>
<p>　エヌベルとシャルコとの事件が結びつく。事件の源はカナダ、しかも1950年代の精神病院だった。精神病院というものの、それはある種の実験室だった。二人は事件の核心に近づくほどに、危険に遭遇。しかし、ひるまずに突き進むうちに、互いに魅かれあう。</p>
<p>　やがて二人は愛し合う。それは、シャルコにとっては妄想少女ユジェニーとの別れでもあった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">…ユジェニーはまだそこにいた。両足をそろえて立ち、手を太腿のあたりにぴったりくっつけて。</p>
<p style="padding-left: 30px;">シャルコは彼女が泣くのを始めて見た。</p>
<p style="padding-left: 30px;">その一瞬が永遠に続くかと思われた。今度はシャルコの目が涙で曇った。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　少女はシャルコに微笑んだ。そして小さな手をあげると、親しげな合図を送った。シャルコは目に涙をため、同じように手をあげて応えた。次の瞬間、ジェニーは部屋を出ていった。一度もふり返らずに。</p>
<p>　美しい別れだ。シャルコの絶望と孤独の世界に入り込んだ妄想少女ユジェニーは、長い期間を彼とともに過ごし、やがて新しい愛の世界が訪れた時、微笑みながら別れたのだった。</p>
<p>　映画『ビューティフルマインド』にも妄想少女が出ていたが、こんな整った病気のストーリーは、フランスでも現実ではなく小説だからだろう。</p>
<p>　推理小説なので詳しくは書けないけど、『シンドロームＥ』には「怒りという狂気」がテーマの一つだ。狂気からではなく、正気から生まれる真に暴力的な怒り、凶暴さ。残虐で、容赦なく、徹底した異常な怒り。それをコントロールしようとする医療、映像。そして怒りの伝播とジェノサイド。これらが絡みあう。著者は、現代が怒り（凶暴さ）の時代であり、人類は自らのジェノサイドにつき進んでいるのではないかとも示唆する。</p>
<p>　シャルコが統合失調症であるという設定にしたのは、いくつか理由があるようだが、もしかしたらこの種の怒りから遠い存在だからかもしれない。ユジェニーは部屋の中の汽車遊びとマロングラッセがお気に入りだった。しかし、凶暴さはそんなものには目もくれず、獰猛に他者に向かう何かなのだから。</p></div>
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		<title>ちくま新書を読んで　№1</title>
		<link>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1794</link>
		<comments>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1794#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 20 Feb 2012 09:46:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1794</guid>
		<description><![CDATA[　『タブーの正体！――マスコミが「あのこと」に触れない理由』（ちくま新書、2012年）。著者は、2004年に休刊となった『噂の真相』の元副編集長・川端幹人。ぼくは筑摩書房のＰＲ紙でこの本を知り、読んだ。
　　『噂の真相』は文芸雑誌というジャンルで、文藝春秋についで売れていたそうだが、この種に興味のないぼくは本屋で手にすることもなかった。
　「タブーなき反権力ジャーナリズム」がうたい文句のスキャンダル雑誌だったという。ずいぶん前、1980年代の初め頃、誰からか冤罪事件の資料をもらって、それが『噂の真相』の記事のコピーだった（と思う）。異様な誌名と冤罪事件の取り合わせが、強い印象となり、誌名だけがぼくの記憶に残っていた。
　川端氏はこの本でたくさんのタブー事例について丁寧に書いている。
　皇室、右翼、ナショナリズム、拉致問題、宗教や同和の問題、自民党と官僚機構、ポピュリズム、検察、大企業と宣伝、JR、電通、芸能プロダクション…。
　ある者はマスコミなどに叩かれ、ある者はスルーし、隠蔽される。彼がこの本であぶり出そうとしているのは、タブーを生み出す“パラダイム”ということが次第にわかってくる。
　権力、暴力、利害が絡み合い、小さなものから国際的なネットワークまで、増殖するタブー。
　「パラダイムそのものを変えるというのはひとりでは無理だが、『タブーを破る』というのは、例外状態をつくりだす行為であり、たったひとつのメディアでも、たったひとりのジャーナリストでもそれを行うことができ」る（P258）。彼はそういう。
　「タブーを破る」ことで、権力と暴力のネットワークに一瞬だが風穴があく。スキャンダル報道を、川端氏は「知る権利」「報道の自由」と取り澄ました言い方で擁護しているのではなく、たった一瞬でも、たったひとりでもできる「タブー破り」がどんどんできなくなっている現状に危機感をもっている。
　ぼくは、スキャンダル報道、タブーを扱う記事は増えていると思っていた。ネットや新聞広告を見ていて漠然とそう思っていた。しかし、目にするスキャンダル報道の裏には、ある部分を叩き、ある部分は隠す「タブー・パラダイム」があり、この10年、とくにこの数年、驚くほど広がっているという。しかも、当のジャーナリストがなぜタブーなのかその理由もわからないまま、増え続けているという。それでは自己増殖だ。
　2001年からの名誉棄損裁判の損害賠償額の高額化、小泉内閣の成立とその後の右傾化、自民党のメディア規制と個人情報保護法の施行（2005年）、ポピュリズムと市場原理…このような社会的な背景があるのだが、ジャーナリスト自身が「真実よりもコスト」（P254）を考えるようになっているという。この現実こ何とかかかわりたいと川端氏はこの本を書いた。この彼の意志はぼくには感銘的だった。
　彼は2000年に右翼に襲撃された経験をもつ。1行記事に、女性皇族の表記に敬称がついていないことを理由に、抗議にきた二人の右翼が、編集部で大立ち回りをする。編集長は全治40日、川端氏は全治3週間のけがを負う。襲撃事件を記録していた部屋の防犯ビデオは、彼の「へっぴり腰」を映し出していた。そのことが彼のこの本を書くことになるみじめな出発だが、意味あるメッセージを含んでいた。
――右翼のひとりがナイフを構えて（編集長の）岡留（安則）ににじり寄ろうとしている…岡留は頭から血を流しながら椅子を振りかざして闘っているというのに、私はというと、「へっぴり腰」という表現がぴったりの姿で、何もできず立ちすくんでいる－－。映像の中の情けない姿を眺めるうち、私は自覚した…あの「へっぴり腰」は私のジャーナリストとしての姿勢そのものなのだ。
――暴力に直面すればへなへなとくずれおち、危険が迫れば逃げることばかり考える。そんな人間が自らの体験と向き合い、心理構造を直視することで、もしかしたら、このどんづまりのメディア状況に出口を見つけることができるかもしれない、今もわずかに残っている、無言の圧力に抗いたいと思っている人たちに勇気を与えられるかもしれない。そして、一人でも多くの人が、無様な敗北を繰り返してもなお、タブーに迫ろうとすることの意味を見いだしてくれれば――そんな思いでこの本を書いた。
　彼はジャン=リュック・ゴダールの「地球的、抽象的な圧政に、私は逃げ腰で対立する」という言葉に重ね合わせ、「ここからもう一度、「へっぴり腰の闘い」を始めてみたいと思っている」と書いて、あとがきを結んだ。
　まじめで、いい文章だと思う。同じく「へっぴり腰」のぼくに彼の勇気がじんと伝わってきた。この本を読み終えた夜、ぼくも何かを始めなければと、ちょっとうれしくなりながら、そう思った。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1795" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/02/雨水の昼さがり.jpg"><img class="size-medium wp-image-1795 " title="雨水の昼さがり" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/02/雨水の昼さがり-300x224.jpg" alt="まちどおしいもの" width="300" height="224" /></a><p class="wp-caption-text">まちどおしいもの</p></div>
<p>　『タブーの正体！――マスコミが「あのこと」に触れない理由』（ちくま新書、2012年）。著者は、2004年に休刊となった『噂の真相』の元副編集長・川端幹人。ぼくは筑摩書房のＰＲ紙でこの本を知り、読んだ。</p>
<p>　　『噂の真相』は文芸雑誌というジャンルで、文藝春秋についで売れていたそうだが、この種に興味のないぼくは本屋で手にすることもなかった。</p>
<p>　「タブーなき反権力ジャーナリズム」がうたい文句のスキャンダル雑誌だったという。ずいぶん前、1980年代の初め頃、誰からか冤罪事件の資料をもらって、それが『噂の真相』の記事のコピーだった（と思う）。異様な誌名と冤罪事件の取り合わせが、強い印象となり、誌名だけがぼくの記憶に残っていた。</p>
<p>　川端氏はこの本でたくさんのタブー事例について丁寧に書いている。</p>
<p>　皇室、右翼、ナショナリズム、拉致問題、宗教や同和の問題、自民党と官僚機構、ポピュリズム、検察、大企業と宣伝、JR、電通、芸能プロダクション…。</p>
<p>　ある者はマスコミなどに叩かれ、ある者はスルーし、隠蔽される。彼がこの本であぶり出そうとしているのは、タブーを生み出す“パラダイム”ということが次第にわかってくる。</p>
<p>　権力、暴力、利害が絡み合い、小さなものから国際的なネットワークまで、増殖するタブー。</p>
<p>　「パラダイムそのものを変えるというのはひとりでは無理だが、『タブーを破る』というのは、例外状態をつくりだす行為であり、たったひとつのメディアでも、たったひとりのジャーナリストでもそれを行うことができ」る（P258）。彼はそういう。</p>
<p>　「タブーを破る」ことで、権力と暴力のネットワークに一瞬だが風穴があく。スキャンダル報道を、川端氏は「知る権利」「報道の自由」と取り澄ました言い方で擁護しているのではなく、たった一瞬でも、たったひとりでもできる「タブー破り」がどんどんできなくなっている現状に危機感をもっている。</p>
<p>　ぼくは、スキャンダル報道、タブーを扱う記事は増えていると思っていた。ネットや新聞広告を見ていて漠然とそう思っていた。しかし、目にするスキャンダル報道の裏には、ある部分を叩き、ある部分は隠す「タブー・パラダイム」があり、この10年、とくにこの数年、驚くほど広がっているという。しかも、当のジャーナリストがなぜタブーなのかその理由もわからないまま、増え続けているという。それでは自己増殖だ。</p>
<p>　2001年からの名誉棄損裁判の損害賠償額の高額化、小泉内閣の成立とその後の右傾化、自民党のメディア規制と個人情報保護法の施行（2005年）、ポピュリズムと市場原理…このような社会的な背景があるのだが、ジャーナリスト自身が「真実よりもコスト」（P254）を考えるようになっているという。この現実こ何とかかかわりたいと川端氏はこの本を書いた。この彼の意志はぼくには感銘的だった。</p>
<p>　彼は2000年に右翼に襲撃された経験をもつ。1行記事に、女性皇族の表記に敬称がついていないことを理由に、抗議にきた二人の右翼が、編集部で大立ち回りをする。編集長は全治40日、川端氏は全治3週間のけがを負う。襲撃事件を記録していた部屋の防犯ビデオは、彼の「へっぴり腰」を映し出していた。そのことが彼のこの本を書くことになるみじめな出発だが、意味あるメッセージを含んでいた。</p>
<p>――右翼のひとりがナイフを構えて（編集長の）岡留（安則）ににじり寄ろうとしている…岡留は頭から血を流しながら椅子を振りかざして闘っているというのに、私はというと、「へっぴり腰」という表現がぴったりの姿で、何もできず立ちすくんでいる－－。映像の中の情けない姿を眺めるうち、私は自覚した…あの「へっぴり腰」は私のジャーナリストとしての姿勢そのものなのだ。</p>
<p>――暴力に直面すればへなへなとくずれおち、危険が迫れば逃げることばかり考える。そんな人間が自らの体験と向き合い、心理構造を直視することで、もしかしたら、このどんづまりのメディア状況に出口を見つけることができるかもしれない、今もわずかに残っている、無言の圧力に抗いたいと思っている人たちに勇気を与えられるかもしれない。そして、一人でも多くの人が、無様な敗北を繰り返してもなお、タブーに迫ろうとすることの意味を見いだしてくれれば――そんな思いでこの本を書いた。</p>
<p>　彼はジャン=リュック・ゴダールの「地球的、抽象的な圧政に、私は逃げ腰で対立する」という言葉に重ね合わせ、「ここからもう一度、「へっぴり腰の闘い」を始めてみたいと思っている」と書いて、あとがきを結んだ。</p>
<p>　まじめで、いい文章だと思う。同じく「へっぴり腰」のぼくに彼の勇気がじんと伝わってきた。この本を読み終えた夜、ぼくも何かを始めなければと、ちょっとうれしくなりながら、そう思った。</p>
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		<item>
		<title>無名性</title>
		<link>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1779</link>
		<comments>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1779#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 09:36:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[■レスポンス
　1月14日「引き裂く／引き裂かれる・自己」の記事に、何人かの方から質問や意見をいただきました。「加藤青年は精神病だったのではないか、自分と彼とどこが違うのか」あるいは「引きこもり、ネット依存、女性への憧れ…それは自分も経験してよくわかる」。このような意見です。
　派遣（ハケン）、秋葉原（アキバ）、ネット、ケータイ（携帯）、負け組…加藤青年をめぐって現代的なキーワードと断片的情報が流れ、多くの人の関心や共感をひきよせた事件でした。
　それで、「普通」の若者の日常と地続きの事件という印象が生まれた側面があります。
　加藤青年は事件の2年前、母親に精神科に受診しようかと話したことがあります。しかし、受診したことはないようです。彼は公判において「私が起こした事件と同じような事件が将来起こらないように参考になることを話しができたらいい」と述べて、事件の原因として3つをあげています。
　一つ、問題があった時、言葉で表現しないで（暴力的）行動を起こしてしまうという「ものの考え方」。
　この「行動パターン」は、母の育て方（虐待）にあると、多くの識者が指摘しています。（芹沢俊介氏は「教育家族による子殺しというとらえ方」を無視してこの事件の本質は見えてこない、彼が起こした無差別殺人の前に、彼自身が深いところで殺されていたと述べています（『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』P123）。確かに行動パターンが彼にとっての原因かもしれませんが、それであの大きな被害を説明できるわけではありません。
　二つ目、彼は、掲示板に現れた「嫌がらせ」が大きいと述べます。
　しかし…事件の5日前にはもう、荒らしやなりすましの嫌がらせはなくなっていました。荒らしの出現の結果、誰も来なくなった掲示板の孤独が大きかったのかもしれません。孤独が原因なのでしょうか。
　三つ目は、掲示板ばかりに依存していた生活のあり方が問題だったと彼は言います。
　中島岳志氏はこの点について「なぜ友達がいたのに孤独だったか」（『秋葉原事件　加藤智大の軌跡』）と、疑問を投げかけます。加藤青年の生活は引きこもりとはいえませんでした。中島氏はこのように述べています。
　「意外なことに、加藤は現実生活に思いのほか多くの友人がいた。私は…彼の足取りをたどり、各地を歩き回った。すると、その過程で彼と仲のよかった友人が次々と現れた。…しかし…現実の友人では、（加藤には）どうしても透明な関係を結べない。真の自分を承認してもらえない…ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。――現実は「建前」で、掲示板は「本音」。そう語った加藤の言葉にこそ、この事件と現代社会を読み解く重要なカギがある」と。（p15-16）
　中島氏は事件の原因や加藤青年の問題の「答えを急いではいけない」と警告します。私も同感します。
　彼から事件を考えると3つの問題が見え、それで説明しようとする。しかし、私たちの立場からすると、それで事件を説明しているようには見えない。彼には見えて、私たちには見えない。おそらく、もっと彼と世界の内側、3つの問題の焦点が結ばれる暗闇で、問題は静かに存在しているのではないでしょうか。
■無名性とともに
　ネットの匿名性が人々の心をむしばんでいるのではないかとつねづね思っていました。
　匿名性に守られることで自分の胸の奥深くに秘めていた本心を語る、ということがあります。この場合、何を語りたいのか、方向はその人の心的世界の一点に向かおうとします。
　しかし、匿名性のなかだからと、多様な「自分」を創作することがあります。ネットのなかでなりたい自分を装う。あるいは、誰かの反応を期待して、偽りの人物になる。しかし、いずれにしても、他者が問題です。語ろうとするベクトルは他者が存在する外をめざし、あらゆる方向に拡散します。生まれた「自分」は次々に分岐し、跳び、肥大し、たくさんの「自分」が絡み合い、大きな森のようになっていきます。真っ暗な森のなかではどこがどこかがわからないように、元の自分がどこにあるか、もう見分けることはできません。
　加藤青年の問題も、ネットの匿名性の負の力のなかに、自分を見いだそうとしたため、迷い道をさまようはめになった気がしてなりません。
　そんなおり、ある記事に目が引かれました。1月22日付東奥日報（青森県の地方紙、共同通信系の記事）東京都現代美術館のチーフキュレーター（学芸員）長谷川祐子さんの「『なぜ？』から始める現代アート」（NHK出版新書、2011年）の本の紹介が、それです。
　20年前、駆け出しの学芸員だった長谷川さん。フランスの女性アーティストが、生まれつき目が見えない人々から聞き出した美のイメージを写真で展示するという、「見ること」を根源から問う作品を制作していました。展覧会で彼女の作品を取りあげたとき、ある評論家は「僕は知らないから」と会場に来なかったそうです。
　「このとき、現代アートの“無名性”とともに生きようと決めた」。長谷川さんはその時、そう決心します。おそらく、この逸話には、女性アーティスト・女性キュレーターを軽んじた大御所の男性評論家という話もあると思います。
　ところが、この評論家の無視ということを、「男性：女性」という土俵ではなく、より高次の「有名：無名」「評価：可能性」「既知：出会い」という土俵に押し上げていった長谷川さんの度量。これがすごいと思います。何度も読み返し、ジワッといい気分にさせられました。
　そういえば、無名でいることの勇気、無名であることの誇り、そんなことも、今の時代、忘れられつつあります。ずいぶん力をこめたこの無署名の記事（いい文章だと思いますが）、書いた人は女性記者のような気がします。記事はこう結ばれます。
　――現代アートの作品は、見る人の創造性が加わって、はじめて完成するという。「アーティストは、自分の作品を待っている人が必ずいると思ってつくっています」。橋渡しするキュレーターもまた、見知らぬ誰かを信じ、待つ仕事なのだ。――
　そうですね。…だから、無名性には信じる、待つという力もあるのかもしれませんね。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1780" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><img class="size-medium wp-image-1780" title="冬のニコニコ通り" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/01/冬のニコニコ通り-300x228.jpg" alt="おばんです" width="300" height="228" /><p class="wp-caption-text">おばんです</p></div>
<p>■レスポンス</p>
<p>　1月14日「引き裂く／引き裂かれる・自己」の記事に、何人かの方から質問や意見をいただきました。「加藤青年は精神病だったのではないか、自分と彼とどこが違うのか」あるいは「引きこもり、ネット依存、女性への憧れ…それは自分も経験してよくわかる」。このような意見です。</p>
<p>　派遣（ハケン）、秋葉原（アキバ）、ネット、ケータイ（携帯）、負け組…加藤青年をめぐって現代的なキーワードと断片的情報が流れ、多くの人の関心や共感をひきよせた事件でした。</p>
<p>　それで、「普通」の若者の日常と地続きの事件という印象が生まれた側面があります。</p>
<p>　加藤青年は事件の2年前、母親に精神科に受診しようかと話したことがあります。しかし、受診したことはないようです。彼は公判において「私が起こした事件と同じような事件が将来起こらないように参考になることを話しができたらいい」と述べて、事件の原因として3つをあげています。</p>
<p>　一つ、問題があった時、言葉で表現しないで（暴力的）行動を起こしてしまうという「ものの考え方」。</p>
<p>　この「行動パターン」は、母の育て方（虐待）にあると、多くの識者が指摘しています。（芹沢俊介氏は「教育家族による子殺しというとらえ方」を無視してこの事件の本質は見えてこない、彼が起こした無差別殺人の前に、彼自身が深いところで殺されていたと述べています（『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』P123）。確かに行動パターンが彼にとっての原因かもしれませんが、それであの大きな被害を説明できるわけではありません。</p>
<p>　二つ目、彼は、掲示板に現れた「嫌がらせ」が大きいと述べます。</p>
<p>　しかし…事件の5日前にはもう、荒らしやなりすましの嫌がらせはなくなっていました。荒らしの出現の結果、誰も来なくなった掲示板の孤独が大きかったのかもしれません。孤独が原因なのでしょうか。</p>
<p>　三つ目は、掲示板ばかりに依存していた生活のあり方が問題だったと彼は言います。</p>
<p>　中島岳志氏はこの点について「なぜ友達がいたのに孤独だったか」（『秋葉原事件　加藤智大の軌跡』）と、疑問を投げかけます。加藤青年の生活は引きこもりとはいえませんでした。中島氏はこのように述べています。</p>
<p>　「意外なことに、加藤は現実生活に思いのほか多くの友人がいた。私は…彼の足取りをたどり、各地を歩き回った。すると、その過程で彼と仲のよかった友人が次々と現れた。…しかし…現実の友人では、（加藤には）どうしても透明な関係を結べない。真の自分を承認してもらえない…ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。――現実は「建前」で、掲示板は「本音」。そう語った加藤の言葉にこそ、この事件と現代社会を読み解く重要なカギがある」と。（p15-16）</p>
<p>　中島氏は事件の原因や加藤青年の問題の「答えを急いではいけない」と警告します。私も同感します。</p>
<p>　彼から事件を考えると3つの問題が見え、それで説明しようとする。しかし、私たちの立場からすると、それで事件を説明しているようには見えない。彼には見えて、私たちには見えない。おそらく、もっと彼と世界の内側、3つの問題の焦点が結ばれる暗闇で、問題は静かに存在しているのではないでしょうか。</p>
<p>■無名性とともに</p>
<p>　ネットの匿名性が人々の心をむしばんでいるのではないかとつねづね思っていました。</p>
<p>　匿名性に守られることで自分の胸の奥深くに秘めていた本心を語る、ということがあります。この場合、何を語りたいのか、方向はその人の心的世界の一点に向かおうとします。</p>
<p>　しかし、匿名性のなかだからと、多様な「自分」を創作することがあります。ネットのなかでなりたい自分を装う。あるいは、誰かの反応を期待して、偽りの人物になる。しかし、いずれにしても、他者が問題です。語ろうとするベクトルは他者が存在する外をめざし、あらゆる方向に拡散します。生まれた「自分」は次々に分岐し、跳び、肥大し、たくさんの「自分」が絡み合い、大きな森のようになっていきます。真っ暗な森のなかではどこがどこかがわからないように、元の自分がどこにあるか、もう見分けることはできません。</p>
<p>　加藤青年の問題も、ネットの匿名性の負の力のなかに、自分を見いだそうとしたため、迷い道をさまようはめになった気がしてなりません。</p>
<p>　そんなおり、ある記事に目が引かれました。1月22日付東奥日報（青森県の地方紙、共同通信系の記事）東京都現代美術館のチーフキュレーター（学芸員）長谷川祐子さんの「『なぜ？』から始める現代アート」（NHK出版新書、2011年）の本の紹介が、それです。</p>
<p>　20年前、駆け出しの学芸員だった長谷川さん。フランスの女性アーティストが、生まれつき目が見えない人々から聞き出した美のイメージを写真で展示するという、「見ること」を根源から問う作品を制作していました。展覧会で彼女の作品を取りあげたとき、ある評論家は「僕は知らないから」と会場に来なかったそうです。</p>
<p>　「このとき、現代アートの“無名性”とともに生きようと決めた」。長谷川さんはその時、そう決心します。おそらく、この逸話には、女性アーティスト・女性キュレーターを軽んじた大御所の男性評論家という話もあると思います。</p>
<p>　ところが、この評論家の無視ということを、「男性：女性」という土俵ではなく、より高次の「有名：無名」「評価：可能性」「既知：出会い」という土俵に押し上げていった長谷川さんの度量。これがすごいと思います。何度も読み返し、ジワッといい気分にさせられました。</p>
<p>　そういえば、無名でいることの勇気、無名であることの誇り、そんなことも、今の時代、忘れられつつあります。ずいぶん力をこめたこの無署名の記事（いい文章だと思いますが）、書いた人は女性記者のような気がします。記事はこう結ばれます。</p>
<p>　――現代アートの作品は、見る人の創造性が加わって、はじめて完成するという。「アーティストは、自分の作品を待っている人が必ずいると思ってつくっています」。橋渡しするキュレーターもまた、見知らぬ誰かを信じ、待つ仕事なのだ。――</p>
<p>　そうですね。…だから、無名性には信じる、待つという力もあるのかもしれませんね。</p>
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		<title>引き裂く／引き裂かれる・自己</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Jan 2012 09:48:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[
■秋葉原事件・ナウシカに間に合うかしら
　2008年6月6日金曜日の午後だった。加藤青年は、北陸本線JR福井駅で特急に乗った。
　この日、彼は片道5時間以上をかけ、わざわざ静岡県から福井県まで来た。福井市内のショッピングセンターで買い物をすませ、静岡・裾野の派遣先宿舎に帰るところだった。
　電車内でケータイ掲示板をひらく。掲示板は彼にとっては、求め続けた“居場所”、自分が自分に帰れる“ところ”だが、今はおとずれる人がいない孤独な空間になった。彼が立ち上げていたスレッドに書き込む。このときの彼は機嫌よく、明るかった。
　「米原駅では『ナウシカ間に合うかしら』『上下線同時発車とかかっこいいじゃないか』と書き、浜名湖を通過する際には『浜名湖だ浜名湖』と無邪気に書きこんだ」（『秋葉原事件　加藤智大の軌跡』、中島岳志、2011年、朝日新聞出版、P206）
　午後3時をやや過ぎ、米原で東海道新幹線に乗り換え、「ナウシカに間に合うかしら」と書きこんだ。この日、夜9時から日本テレビ系列で、映画「風の谷のナウシカ」が放映されることになっていたが、この放映時間まで家に帰れるだろうか、という意味だ。ぼくはこれにひっかかりを感じた。
　このとき、加藤青年は、すでに秋葉原で事件を起こすことを決意している。福井行きはそのためだった。ミリタリーショップで買った6本のナイフを、もち帰るところだ。2日後、秋葉原が彼の想像通りになれば（そうなるのだが）、この書き込みが世に知れることになることも予想していた。その上での書き込みだ。あと宿舎まで4時間。テレビが始まる2時間前には戻る。2時間ほどの時間をどこかで使うつもりになっていた…。ぼくから見ると、この書き込みにはいくつもの矛盾があるように見えた。
　三島で新幹線から乗り替え、JRでひと駅、沼津駅に着くと、“予定通り”風俗店に入る。1時間ほどして、再び帰路についた。8時半に帰宅したが、「風の谷のナウシカ」を見たかどうかはわからない。（『秋葉原事件―』P210）
　ナイフを購入するため、わざわざ福井まで足を延ばしたのは、その店に感じのいい女性店員がいるというネットの評判で決めた。ショップの防犯カメラに映った加藤青年は手ぶり身振りを交え、女性店員に饒舌に語りかける姿が映っている。（秋葉原事件―』P206‐209）
　人恋しい、女性と話をしたい。この気持ちが、女性店員との会話になり、風俗店につながったのだろう。そしてその気持ちは「風の谷のナウシカ」とも重なったのだろう。しかし、侵略者と闘うナウシカと、ミリタリーショップの女性店員や風俗店の女性。状況と関係の違いを、彼のなかでは越えて、同一面上でむすばれる。これがぼくには不思議だ。
　さらにもう一つ、より大きな疑問。それは、世界を救い、村を救うことを願うナウシカの映画を見たいという“望み”と、2日後の惨状を想像しながら数本のナイフを所持している新幹線の自分という“現実”の同居だ。彼のいろいろな思いの雑居にめまいをおぼえる。自分がやろうとしていることの意味とアニメの世界の価値観の区別が、彼にはついていないのかもしれない。
　■タテマエと本心と本音と
　ぼくの違和感は、彼のそれぞれの断片的な思いを包摂するはずの「彼」を描こうとしても、それができないところにある。思いが滑り続けてすすめない地点への違和感だろう。
　〈世界を救うナウシカのアニメを見たい〉、〈人恋しい。この書き込みを誰かに読んでもらいたい〉、〈秋葉原で事件を起こしたい〉、〈事件後、この書き込みは公開されるだろう〉…。彼の思考の断片はただバラバラに外側にむけて放射され、ひたすら拡散しながら世界のはてにむかって孤独に疾走する。
　では、放射する中心、核、そこには何があるのだろうか。ただの寂寥な伽藍だろうか。
　精神科医の高岡健氏は、加藤青年の資料を精神分析学的に検討し、「原初的母性的没頭の部分が非常に荒れて」いるので、女性を取っかえ引っかえすることによってしか生きていけないかもしれないというようなことを述べている。（『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』、芹沢俊介・高岡健、2011年、批評社、P115）
　すさまじく別々のことなのに、それがどうして同一次元で語られるのかが、ぼくの「ナウシカ 間に合うかしら」の書き込みへの疑問だった。
　この疑問を、高岡氏の指摘を下敷きにして考えると、バラバラになりそうな自分を引きとめるために、だからこそ、女性（人）への依存するできごとがバラバラに生まれたのではないだろうか。さらに、そこに、本心と本音と本人を別々に使い分けられる掲示板（ネット・ケータイ）が絡まることで、さらに彼は幾重にも引き裂かれていったのだろうと思えてくる。
　…「ナウシカ」の書き込みは引き裂かれた裂け目そのものかもしれない。
　（高岡氏のいう「原初的没頭の非経験」（⇒自立不安）に現代性があるなら、それは、実に現代的な存在であるインターネットと並行した位置にあるのかもしれない。だから、自立不安をかかえた人にとって、ネットの諸特性である、匿名性、情報の断片性、大量情報の操作可能性といった諸特性は、人間の弱点を補い、「世界」との結びつきを再構成すると思われていたのだろう。たとえば、――ネットの匿名性は、自立不安の人々にとって「パーソナリティの形成」に寄与する。情報の断片性は即時取得性となり、即製されたパーソナリティ、簡便なペルソナ（仮面）獲得に連動する。大量情報の操作可能性は「社会への関与の強化、役割獲得の促進」である。したがって、自立不安をもつ人たちは、ネットにアクセスすることによって弱点を克服できる――と思われる面もあった。はたして、それでいいのだろうか。ネットの特徴は自立不安を直接「克服」しているわけではない。問題をかかえた人物がネットに依存することで、問題を覆い隠し、覆いが利点であるかのように見せかけただけかもしれない。『千と千尋の神隠し』のカオナシが飲み込んで肥大したものを吐き出してしまうと、再びか細くたたずむようになったように、問題の肥大化は問題の解決にはならないのだから。加藤青年（と被害者の苦しみから）から学ぶものはまだまだたくさんあると思う。） 
 
■引き裂かれた「世界」を受けとめる
　　死にてある蚯蚓（みみず）よく見れば疑問符の形をしてをリ鬼気たちてをり　　　田中峯子
　これは、昭和20年6月、学徒動員先の東京第1陸軍造兵廠（板橋区）作業課の謄写版印刷機でつくられた合同歌集『白埴』にある日本女子大の学生（国文科四年）の歌。
　「死んだままのミミズ。よく見てみると、疑問符の形をしていて、ぞっとするような恐ろしさを放っている」と詠む。（『短歌で読む　昭和感情史――日本人は戦争をどう生きたのか』、菅野匡夫、2011年、平凡社新書、P203-204）
　この頃、沖縄・東京は焼け野原、玉砕が続く。武器も食料も乏しいが、降伏するとは言えない、考えられない。このような人を引き裂いくような状況のもとで、死んだミミズを見つめ、地の奥から生まれる鬼気をとらえる。その「気」はこの世の邪悪をつつみこむかのようにむくむくと立ち上る。
　彼女の、あるいは人々が生み出す「鬼気」は、この世の強き人々にむけて何かを暗示している。悲惨な社会状況をつらぬく「己」がしっかりと存在し、引き裂かれた世界と揺らぎのぼる鬼気を結びつける通路なのだ。
　戦争末期にあって、このような歌集をつくったのは、どのような人々のどのような思いなのだろうと思う。ここには、時代をこえた人間の可能性が存在していると思う。
　おそらく、いま私たちが求めなければければならないのは、造兵廠のなかで反戦的な歌をつくるような営みではないか。人間の本質的な力を受けとめる作業をもっとも問題のある場から考え続けようとする営み、己をしっかりと束ねて表現にまで高める内なる力が必要とされている。
　掲示板やネットを力強く越えていかなければならない。そうでなければ、私たちの社会は人々の心のなかから崩れてしまう。無言のまま、そのように加藤青年は私たちに語る気がするのだが…。
　（明日、芹沢俊介氏が来青する。著書「孤独」から考える―と同じ演題で講演があるという。http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000111201050007）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1725" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/01/振りやまぬ雪.jpg"><img class="size-medium wp-image-1725 " title="振りやまぬ雪" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/01/振りやまぬ雪-300x232.jpg" alt="ブルーライト新町" width="300" height="232" /></a><p class="wp-caption-text">ブルーライト新町</p></div>
<p>■秋葉原事件・ナウシカに間に合うかしら</p>
<p>　2008年6月6日金曜日の午後だった。加藤青年は、北陸本線JR福井駅で特急に乗った。</p>
<p>　この日、彼は片道5時間以上をかけ、わざわざ静岡県から福井県まで来た。福井市内のショッピングセンターで買い物をすませ、静岡・裾野の派遣先宿舎に帰るところだった。</p>
<p>　電車内でケータイ掲示板をひらく。掲示板は彼にとっては、求め続けた“居場所”、自分が自分に帰れる“ところ”だが、今はおとずれる人がいない孤独な空間になった。彼が立ち上げていたスレッドに書き込む。このときの彼は機嫌よく、明るかった。</p>
<p>　「米原駅では『ナウシカ間に合うかしら』『上下線同時発車とかかっこいいじゃないか』と書き、浜名湖を通過する際には『浜名湖だ浜名湖』と無邪気に書きこんだ」（『秋葉原事件　加藤智大の軌跡』、中島岳志、2011年、朝日新聞出版、P206）</p>
<p>　午後3時をやや過ぎ、米原で東海道新幹線に乗り換え、「ナウシカに間に合うかしら」と書きこんだ。この日、夜9時から日本テレビ系列で、映画「風の谷のナウシカ」が放映されることになっていたが、この放映時間まで家に帰れるだろうか、という意味だ。ぼくはこれにひっかかりを感じた。</p>
<p>　このとき、加藤青年は、すでに秋葉原で事件を起こすことを決意している。福井行きはそのためだった。ミリタリーショップで買った6本のナイフを、もち帰るところだ。2日後、秋葉原が彼の想像通りになれば（そうなるのだが）、この書き込みが世に知れることになることも予想していた。その上での書き込みだ。あと宿舎まで4時間。テレビが始まる2時間前には戻る。2時間ほどの時間をどこかで使うつもりになっていた…。ぼくから見ると、この書き込みにはいくつもの矛盾があるように見えた。</p>
<p>　三島で新幹線から乗り替え、JRでひと駅、沼津駅に着くと、“予定通り”風俗店に入る。1時間ほどして、再び帰路についた。8時半に帰宅したが、「風の谷のナウシカ」を見たかどうかはわからない。（『秋葉原事件―』P210）</p>
<p>　ナイフを購入するため、わざわざ福井まで足を延ばしたのは、その店に感じのいい女性店員がいるというネットの評判で決めた。ショップの防犯カメラに映った加藤青年は手ぶり身振りを交え、女性店員に饒舌に語りかける姿が映っている。（秋葉原事件―』P206‐209）</p>
<p>　人恋しい、女性と話をしたい。この気持ちが、女性店員との会話になり、風俗店につながったのだろう。そしてその気持ちは「風の谷のナウシカ」とも重なったのだろう。しかし、侵略者と闘うナウシカと、ミリタリーショップの女性店員や風俗店の女性。状況と関係の違いを、彼のなかでは越えて、同一面上でむすばれる。これがぼくには不思議だ。</p>
<p>　さらにもう一つ、より大きな疑問。それは、世界を救い、村を救うことを願うナウシカの映画を見たいという“望み”と、2日後の惨状を想像しながら数本のナイフを所持している新幹線の自分という“現実”の同居だ。彼のいろいろな思いの雑居にめまいをおぼえる。自分がやろうとしていることの意味とアニメの世界の価値観の区別が、彼にはついていないのかもしれない。</p>
<p>　■タテマエと本心と本音と</p>
<p>　ぼくの違和感は、彼のそれぞれの断片的な思いを包摂するはずの「彼」を描こうとしても、それができないところにある。思いが滑り続けてすすめない地点への違和感だろう。</p>
<p>　〈世界を救うナウシカのアニメを見たい〉、〈人恋しい。この書き込みを誰かに読んでもらいたい〉、〈秋葉原で事件を起こしたい〉、〈事件後、この書き込みは公開されるだろう〉…。彼の思考の断片はただバラバラに外側にむけて放射され、ひたすら拡散しながら世界のはてにむかって孤独に疾走する。</p>
<p>　では、放射する中心、核、そこには何があるのだろうか。ただの寂寥な伽藍だろうか。</p>
<p>　精神科医の高岡健氏は、加藤青年の資料を精神分析学的に検討し、「原初的母性的没頭の部分が非常に荒れて」いるので、女性を取っかえ引っかえすることによってしか生きていけないかもしれないというようなことを述べている。（『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』、芹沢俊介・高岡健、2011年、批評社、P115）</p>
<p>　すさまじく別々のことなのに、それがどうして同一次元で語られるのかが、ぼくの「ナウシカ 間に合うかしら」の書き込みへの疑問だった。</p>
<p>　この疑問を、高岡氏の指摘を下敷きにして考えると、バラバラになりそうな自分を引きとめるために、だからこそ、女性（人）への依存するできごとがバラバラに生まれたのではないだろうか。さらに、そこに、本心と本音と本人を別々に使い分けられる掲示板（ネット・ケータイ）が絡まることで、さらに彼は幾重にも引き裂かれていったのだろうと思えてくる。</p>
<p>　…「ナウシカ」の書き込みは引き裂かれた裂け目そのものかもしれない。</p>
<p>　（高岡氏のいう「原初的没頭の非経験」（⇒自立不安）に現代性があるなら、それは、実に現代的な存在であるインターネットと並行した位置にあるのかもしれない。だから、自立不安をかかえた人にとって、ネットの諸特性である、匿名性、情報の断片性、大量情報の操作可能性といった諸特性は、人間の弱点を補い、「世界」との結びつきを再構成すると思われていたのだろう。たとえば、――ネットの匿名性は、自立不安の人々にとって「パーソナリティの形成」に寄与する。情報の断片性は即時取得性となり、即製されたパーソナリティ、簡便なペルソナ（仮面）獲得に連動する。大量情報の操作可能性は「社会への関与の強化、役割獲得の促進」である。したがって、自立不安をもつ人たちは、ネットにアクセスすることによって弱点を克服できる――と思われる面もあった。はたして、それでいいのだろうか。ネットの特徴は自立不安を直接「克服」しているわけではない。問題をかかえた人物がネットに依存することで、問題を覆い隠し、覆いが利点であるかのように見せかけただけかもしれない。『千と千尋の神隠し』のカオナシが飲み込んで肥大したものを吐き出してしまうと、再びか細くたたずむようになったように、問題の肥大化は問題の解決にはならないのだから。加藤青年（と被害者の苦しみから）から学ぶものはまだまだたくさんあると思う。） </p>
<p> </p>
<p>■引き裂かれた「世界」を受けとめる</p>
<p>　　<strong>死にてある蚯蚓（みみず）よく見れば疑問符の形をしてをリ鬼気たちてをり</strong>　　　田中峯子</p>
<p>　これは、昭和20年6月、学徒動員先の東京第1陸軍造兵廠（板橋区）作業課の謄写版印刷機でつくられた合同歌集『白埴』にある日本女子大の学生（国文科四年）の歌。</p>
<p>　「死んだままのミミズ。よく見てみると、疑問符の形をしていて、ぞっとするような恐ろしさを放っている」と詠む。（『短歌で読む　昭和感情史――日本人は戦争をどう生きたのか』、菅野匡夫、2011年、平凡社新書、P203-204）</p>
<p>　この頃、沖縄・東京は焼け野原、玉砕が続く。武器も食料も乏しいが、降伏するとは言えない、考えられない。このような人を引き裂いくような状況のもとで、死んだミミズを見つめ、地の奥から生まれる鬼気をとらえる。その「気」はこの世の邪悪をつつみこむかのようにむくむくと立ち上る。</p>
<p>　彼女の、あるいは人々が生み出す「鬼気」は、この世の強き人々にむけて何かを暗示している。悲惨な社会状況をつらぬく「己」がしっかりと存在し、引き裂かれた世界と揺らぎのぼる鬼気を結びつける通路なのだ。</p>
<p>　戦争末期にあって、このような歌集をつくったのは、どのような人々のどのような思いなのだろうと思う。ここには、時代をこえた人間の可能性が存在していると思う。</p>
<p>　おそらく、いま私たちが求めなければければならないのは、造兵廠のなかで反戦的な歌をつくるような営みではないか。人間の本質的な力を受けとめる作業をもっとも問題のある場から考え続けようとする営み、己をしっかりと束ねて表現にまで高める内なる力が必要とされている。</p>
<p>　掲示板やネットを力強く越えていかなければならない。そうでなければ、私たちの社会は人々の心のなかから崩れてしまう。無言のまま、そのように加藤青年は私たちに語る気がするのだが…。</p>
<p>　（明日、芹沢俊介氏が来青する。著書「孤独」から考える―と同じ演題で講演があるという。<a href="http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000111201050007">http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000111201050007</a>）</div>
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		<title>多文化主義アート</title>
		<link>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1710</link>
		<comments>http://www.npo-sannet.jp/blog/?p=1710#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 05 Jan 2012 07:24:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[
　昨年12月、東奥日報の文化欄に『アフリカへの複雑な視線』という小さな記事がありました（12月7日）。
　写真批評家の竹内万里子という人の、11月の世界最大の写真フェア「パリ・フォト」についてのレポートです。同フェアではアフリカ特集が組まれ、アフリカ写真家への関心の高まりのなか、今や世界的によく知られるようになったマリック・シディベの写真『クリスマスの夜』も再び注目を集めたと述べていました。
　私は記事の中身に目を落とす前に、写真にくぎづけになりました。1963年、フランスから独立間もない西アフリカのマリ共和国。
　初々しい男女が恥じらうように寄り添い、ダンスをしています。身体はふれていませんが、愛し合っていることがよくわかる間合いです。彼女は素足ですてきなワンピースを着、彼はモカシンを履き、白いスーツで決めています。きっと二人にとっても特別な日なのでしょう。ほのかな笑顔だけど、だからこそふたりの愛と信頼と喜びがひしひしと伝わってきます。
　なんと美しい写真だろうと思いました。http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2010/feb/27/malick-sidibe-mali-photographs-interview
　私たち人類は、考える枠組み、視野、感覚を広げる営みを続けてきたと、いえます。何百年かのあいだ、人類は「人間性」を発見し、「新大陸」に到達し、天動説から地動説に、そして太陽系の外に関心を伸ばしてきました。
　この数十年、（今からすると逆に不思議な気がしますが）子どもや女性も男性の大人と同じ人間と受けとめるようになり、人種、障害、病気についての感受性も変化しました。
　写真の話に戻すと、かつてアフリカは先進国の人々によって、撮影される対象でした。それが、1960年代にアフリカで独立が続き、アフリカ人が自分たちの日常を写すようになったとき、カメラを軸に、写す・写される関係はグルっと回転しました。
　しかし、この回転が起きたことを、非アフリカ人が知るのは1990年代になってからです。この気づきが再度広がり始めているというのがこの記事の内容です。それで、90年代に関心があつまったこの写真が「再び」注目されているのです。
　撮る・撮られるの視野は回転し、拡大しました。西欧中心主義から多文化主義に、私たちはまだまだ転回し続けるステージの上にいるのでしょう。
　1935年頃（！）生まれのマリック・シディベは1950年代半ばから写真を撮り始め、1962年にスタジオをもちました。町のスタジオ写真屋さんであるシディベは1990年代まで写真集も写真展も見たこともなかったそうです（！）。そのシディベの芸術性が、フランス人の学芸員に「発見」されたのが90年代。いまやアフリカ写真家でもっとも知られた一人になったそうです。
　独学の写真家。彼は「自分が何を欲しているかについて観察し、理解する才能を持つ必要がある」と述べています。自分を知ることを頼りに、作品を撮り続けたということを知ると、1963年のこの写真がまたすてきに思えてきます。多文化主義は、既成の枠組みに頼れないのですから、自分を理解することを避けて通れないのかもしれません。
（マリック・シディベの撮影風景の動画が「世界の写真家を動画で見てみよう」という下のサイトにのっていました。若い元気なシンガーソングライターのインナ・モジャが、マリックの適当という感じのスタジオで撮影されています。マリックは上から覗く昔風のカメラでしかも白黒フィルム。ニコニコしながら写真を撮るのが本当に好きといった感じ。ほのぼのとなぜか元気の出る動画ですよ！）
http://blog.goo.ne.jp/artbird/e/8650522e9f53f06f4cf74423e9bd3e1a

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1711" class="wp-caption alignleft" style="width: 309px"><img class="size-medium wp-image-1711" title="クリスマスの夜　by　Makick Sidibé" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2012/01/クリスマスの夜　by　Makick-Sidibe-299x300.jpg" alt="1963年　バマコ" width="299" height="300" /><p class="wp-caption-text">1963年　バマコ</p></div>
<p align="left">　昨年12月、東奥日報の文化欄に『アフリカへの複雑な視線』という小さな記事がありました（12月7日）。</p>
<p align="left">　写真批評家の竹内万里子という人の、11月の世界最大の写真フェア「パリ・フォト」についてのレポートです。同フェアではアフリカ特集が組まれ、アフリカ写真家への関心の高まりのなか、今や世界的によく知られるようになったマリック・シディベの写真『クリスマスの夜』も再び注目を集めたと述べていました。</p>
<p align="left">　私は記事の中身に目を落とす前に、写真にくぎづけになりました。1963年、フランスから独立間もない西アフリカのマリ共和国。</p>
<p align="left">　初々しい男女が恥じらうように寄り添い、ダンスをしています。身体はふれていませんが、愛し合っていることがよくわかる間合いです。彼女は素足ですてきなワンピースを着、彼はモカシンを履き、白いスーツで決めています。きっと二人にとっても特別な日なのでしょう。ほのかな笑顔だけど、だからこそふたりの愛と信頼と喜びがひしひしと伝わってきます。</p>
<p align="left">　なんと美しい写真だろうと思いました。http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2010/feb/27/malick-sidibe-mali-photographs-interview</p>
<p align="left">　私たち人類は、考える枠組み、視野、感覚を広げる営みを続けてきたと、いえます。何百年かのあいだ、人類は「人間性」を発見し、「新大陸」に到達し、天動説から地動説に、そして太陽系の外に関心を伸ばしてきました。</p>
<p align="left">　この数十年、（今からすると逆に不思議な気がしますが）子どもや女性も男性の大人と同じ人間と受けとめるようになり、人種、障害、病気についての感受性も変化しました。</p>
<p align="left">　写真の話に戻すと、かつてアフリカは先進国の人々によって、撮影される対象でした。それが、1960年代にアフリカで独立が続き、アフリカ人が自分たちの日常を写すようになったとき、カメラを軸に、写す・写される関係はグルっと回転しました。</p>
<p align="left">　しかし、この回転が起きたことを、非アフリカ人が知るのは1990年代になってからです。この気づきが再度広がり始めているというのがこの記事の内容です。それで、90年代に関心があつまったこの写真が「再び」注目されているのです。</p>
<p align="left">　撮る・撮られるの視野は回転し、拡大しました。西欧中心主義から多文化主義に、私たちはまだまだ転回し続けるステージの上にいるのでしょう。</p>
<p>　1935年頃（！）生まれのマリック・シディベは1950年代半ばから写真を撮り始め、1962年にスタジオをもちました。町のスタジオ写真屋さんであるシディベは1990年代まで写真集も写真展も見たこともなかったそうです（！）。そのシディベの芸術性が、フランス人の学芸員に「発見」されたのが90年代。いまやアフリカ写真家でもっとも知られた一人になったそうです。</p>
<p>　独学の写真家。彼は「自分が何を欲しているかについて観察し、理解する才能を持つ必要がある」と述べています。自分を知ることを頼りに、作品を撮り続けたということを知ると、1963年のこの写真がまたすてきに思えてきます。多文化主義は、既成の枠組みに頼れないのですから、自分を理解することを避けて通れないのかもしれません。</p>
<p>（マリック・シディベの撮影風景の動画が「世界の写真家を動画で見てみよう」という下のサイトにのっていました。若い元気なシンガーソングライターのインナ・モジャが、マリックの適当という感じのスタジオで撮影されています。マリックは上から覗く昔風のカメラでしかも白黒フィルム。ニコニコしながら写真を撮るのが本当に好きといった感じ。ほのぼのとなぜか元気の出る動画ですよ！）</p>
<p align="left"><a href="http://blog.goo.ne.jp/artbird/e/8650522e9f53f06f4cf74423e9bd3e1a">http://blog.goo.ne.jp/artbird/e/8650522e9f53f06f4cf74423e9bd3e1a</a></p>
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		<title>社会を創るための契約</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Dec 2011 09:54:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>toshio</dc:creator>
				<category><![CDATA[つぶやき]]></category>

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		<description><![CDATA[

■措置から契約へ
　社会福祉の分野は、2000年から「措置から契約へ」の時代になりました。それまでは、公的責任（国・自治体）を通じて国民の福祉を実現しようという枠組みだったのですが、その枠組みを取り外して、多様で自由な契約活動を中心に、個々人の福祉を増進させる社会にしようという方向に変わりました。
　私は、「措置から契約へ」進展したのは、きっと、政・財・官の癒着した人々が、安上がり福祉を固定し、市場化によって経済効果を図ることをねらったからだ、と思っていました。この動きを怪しんでいたのです。
　明治時代、国民の税金で大きくした国有企業を民間に払い下げ、民間資本を育成したように、今回の場合も、「措置」の廃止（＝国の資源の開放化）に重点があるのだろうし、これからは民間福祉業界の育成が進展するに違いないと、自分勝手にそう考えていました。だから、「契約」は本質的な問題ではないと為政者は考えているだろうと思い込んでいました。
　最近、本屋をぶらぶらしていると、民法改正について書かれた本を見ました。しかも同じテーマで、2冊の新書が同時に（今年の10月）出版されています。なんとなく気になり、手にとって読みました。テーマは民法の中の「契約法」についてでした。
　「契約法」が改正されようとしている。改正しなければならない理由がある。読んでいくうちに、この改正の理由の源流をたどると、福祉分野の「措置から契約へ」の問題とも合流するし、その奥にはさらに大きな背景（社会的な課題）があると気づかされました。
■契約法改正を突き動かすもの
　2冊の新書の一冊は『民法改正を考える』（大村敦志、岩波新書）、もうひとつは『民法改正――契約のルールが百年ぶりに変わる』（内田貴、ちくま新書）です。
　二人とも民法学者ですが、大村氏は法制度、社会的背景、国際比較について重点を置きつつ論点を整理するような書き方。内田氏は民法の成り立ちや時代の変化を判例を引きながら、くだいて教えるような書き方です。2009年から契約法の改正作業の動きが進展して、今年7月にいよいよ実質的な改正審議に入ったのだそうです。この審議を経て、一定の案を2013年2月に提出できるよう、目標が定められました。まさにホットな状況があって、2冊の本も出版されたのでした。
　大村氏は「民法改正の思潮」として次の5点をあげます。社会的背景についての説明なのですが、これはよくよく吟味されるべきことです。
　①規制緩和・グローバリゼーションの進展と、その動きをサポートする司法制度改革。司法の動きは会社法、証券法などにおいて1999年から始まっているそうです。（これが民法改正に関わっているといいます。以下同様に関係することがらです）
　②1990年代からの市民運動の多様化と政権の流動化。この20年の政治的流動化のことです。
　さらに、③消費者の登場と家族の多様化、④法学における解釈論から、立法論・政策論へ－－法の安定性、権威的な法律家のあり方から、社会への対応力、実務者としての法律家にという流れについて－－
　⑤今回の動きは、契約法の改正にとどまらず、漸進的に広範囲な改正に連動していくだろう、この5点をしっかりとらえることで、民法改正の意味がつかむことができる、そういう意味で大村氏は述べているのです（『民法改正を考える』P59-63）。
　民法改正の「思潮」とは、民法改正を突き動かしている社会的動向であり、民法改正作業が進む先にあるパラダイム（思考の枠組み）のことでもあるのでしょう。しかし特に①から③の社会状況は、市場・消費・個人主義・排外主義にいろどられた現代の特徴全体と重なりあっているではありませんか。しかも、最近の20年の状況が法改正の直接的な影響を与えているようです。
　民法改正の問題は、世俗から空高く離れた法学の問題ではありませんでした。世俗に深くかかわった課題が法学を揺らがせていたのです。ここが、「措置から契約へ」を動かした源流、社会的原因です。「措置の廃止」は「契約の拡大」と裏と表の関係です。単なる厚労省レベルの問題ではなく、現代的な諸課題が集約して「措置から契約へ」突き動かしていった面があったということです。
■制度から契約に
　大村氏は、福祉分野の「措置から契約へ」のキャッチコピーのように、契約法を改正しなければならない社会状況を大きくまとめれば、「制度から契約に」になるそうです。制度から契約にとは、従来「制度」と考えられてきたものを「契約」としてとらえ直すことで、「限定的・固定的な『制度』を、より開放的で可変的な『契約』とすることで、個人の自由の領分を拡張しよう」とすることである、と述べています（『民法改正を考える』P162-163）。
　その一方、この百年、民法が典型的な契約として想定していたのは不動産売買であり、現代的な介護契約、教育契約、金融サービス契約などについて適用できるような民法の規定はほとんど用意されていなかった、という現実もあります（『民法改正――』、P189-191）。百年の間で契約の実態が大きく変わったのです。
　つまり、――いままで、措置制度とか教育を受ける義務とか取引慣行とかという有形無形の「制度」によって成り立ってきた社会現象を、「契約」という考え方で新たにとらえ直すことが、国際化・情報化の現代社会は求められている。ところが、受け皿になる法的な考え方、社会的感受性は熟成されてこなかった。なので、いま法改正に着手している。金銭交換の現実と人々の感受性の落差は広がり、社会的諸制度は弱体化しつつ、契約概念はどんどん拡大している――ということではないでしょうか。
　ひょっとして、制度が弱体化するなかで生じる権益というものがあり、その樹皮からにじみだす樹液のような蜜に、契約という概念を盾にした甲虫のような人々が群れる。こういったこともあるかもしれません。いずれにせよ、いま私たちは過渡期、混乱期にいるのです。契約、サービスの消費に関し、急激に変化した人々の意識（たとえば極端なクレーマーなど）は、こういった社会的変化を敏感に反映させているのかもしれません。
　しかし、やや希望的に考えれると、「われわれは、このような契約を用いて、新しい制度を創り出していくことができる」ことも、確かでしょう（『民法改正を考える』P166）。契約のなかに、自由意思、構想する意思、法的な枠組みを組み入れる。そして、新たな市民的関係を契約の中にデザインするというのです。
　新しい社会の構築を望みつつ、契約の観念と実践を誠実に積み重ねるか、それとも、崩れ去る制度からこぼれる富を拾い求めて、契約という旗をなびかせ争いあうのか。私たちは、法改正の問題にとどまらない、文明的な岐路に立っていると思います。いま、まず大切なことは、私たちが闘うべき相手は何なのか、それを熟慮し、語り合うことかもしれません。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="mceTemp">
<div id="attachment_1661" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2011/12/冬の交差点.jpg"><img class="size-medium wp-image-1661 " title="冬の交差点" src="http://www.npo-sannet.jp/blog/wp/wp-content/uploads/2011/12/冬の交差点-300x228.jpg" alt="雪降る町" width="300" height="228" /></a><p class="wp-caption-text">雪降る町</p></div>
</div>
<p>■措置から契約へ</p>
<p>　社会福祉の分野は、2000年から「措置から契約へ」の時代になりました。それまでは、公的責任（国・自治体）を通じて国民の福祉を実現しようという枠組みだったのですが、その枠組みを取り外して、多様で自由な契約活動を中心に、個々人の福祉を増進させる社会にしようという方向に変わりました。</p>
<p>　私は、「措置から契約へ」進展したのは、きっと、政・財・官の癒着した人々が、安上がり福祉を固定し、市場化によって経済効果を図ることをねらったからだ、と思っていました。この動きを怪しんでいたのです。</p>
<p>　明治時代、国民の税金で大きくした国有企業を民間に払い下げ、民間資本を育成したように、今回の場合も、「措置」の廃止（＝国の資源の開放化）に重点があるのだろうし、これからは民間福祉業界の育成が進展するに違いないと、自分勝手にそう考えていました。だから、「契約」は本質的な問題ではないと為政者は考えているだろうと思い込んでいました。</p>
<p>　最近、本屋をぶらぶらしていると、民法改正について書かれた本を見ました。しかも同じテーマで、2冊の新書が同時に（今年の10月）出版されています。なんとなく気になり、手にとって読みました。テーマは民法の中の「契約法」についてでした。</p>
<p>　「契約法」が改正されようとしている。改正しなければならない理由がある。読んでいくうちに、この改正の理由の源流をたどると、福祉分野の「措置から契約へ」の問題とも合流するし、その奥にはさらに大きな背景（社会的な課題）があると気づかされました。</p>
<p>■契約法改正を突き動かすもの</p>
<p>　2冊の新書の一冊は『民法改正を考える』（大村敦志、岩波新書）、もうひとつは『民法改正――契約のルールが百年ぶりに変わる』（内田貴、ちくま新書）です。</p>
<p>　二人とも民法学者ですが、大村氏は法制度、社会的背景、国際比較について重点を置きつつ論点を整理するような書き方。内田氏は民法の成り立ちや時代の変化を判例を引きながら、くだいて教えるような書き方です。2009年から契約法の改正作業の動きが進展して、今年7月にいよいよ実質的な改正審議に入ったのだそうです。この審議を経て、一定の案を2013年2月に提出できるよう、目標が定められました。まさにホットな状況があって、2冊の本も出版されたのでした。</p>
<p>　大村氏は「民法改正の思潮」として次の5点をあげます。社会的背景についての説明なのですが、これはよくよく吟味されるべきことです。</p>
<p>　①規制緩和・グローバリゼーションの進展と、その動きをサポートする司法制度改革。司法の動きは会社法、証券法などにおいて1999年から始まっているそうです。（これが民法改正に関わっているといいます。以下同様に関係することがらです）</p>
<p>　②1990年代からの市民運動の多様化と政権の流動化。この20年の政治的流動化のことです。</p>
<p>　さらに、③消費者の登場と家族の多様化、④法学における解釈論から、立法論・政策論へ－－法の安定性、権威的な法律家のあり方から、社会への対応力、実務者としての法律家にという流れについて－－</p>
<p>　⑤今回の動きは、契約法の改正にとどまらず、漸進的に広範囲な改正に連動していくだろう、この5点をしっかりとらえることで、民法改正の意味がつかむことができる、そういう意味で大村氏は述べているのです（『民法改正を考える』P59-63）。</p>
<p>　民法改正の「思潮」とは、民法改正を突き動かしている社会的動向であり、民法改正作業が進む先にあるパラダイム（思考の枠組み）のことでもあるのでしょう。しかし特に①から③の社会状況は、市場・消費・個人主義・排外主義にいろどられた現代の特徴全体と重なりあっているではありませんか。しかも、最近の20年の状況が法改正の直接的な影響を与えているようです。</p>
<p>　民法改正の問題は、世俗から空高く離れた法学の問題ではありませんでした。世俗に深くかかわった課題が法学を揺らがせていたのです。ここが、「措置から契約へ」を動かした源流、社会的原因です。「措置の廃止」は「契約の拡大」と裏と表の関係です。単なる厚労省レベルの問題ではなく、現代的な諸課題が集約して「措置から契約へ」突き動かしていった面があったということです。</p>
<p>■制度から契約に</p>
<p>　大村氏は、福祉分野の「措置から契約へ」のキャッチコピーのように、契約法を改正しなければならない社会状況を大きくまとめれば、「制度から契約に」になるそうです。制度から契約にとは、従来「制度」と考えられてきたものを「契約」としてとらえ直すことで、「限定的・固定的な『制度』を、より開放的で可変的な『契約』とすることで、個人の自由の領分を拡張しよう」とすることである、と述べています（『民法改正を考える』P162-163）。</p>
<p>　その一方、この百年、民法が典型的な契約として想定していたのは不動産売買であり、現代的な介護契約、教育契約、金融サービス契約などについて適用できるような民法の規定はほとんど用意されていなかった、という現実もあります（『民法改正――』、P189-191）。百年の間で契約の実態が大きく変わったのです。</p>
<p>　つまり、――いままで、措置制度とか教育を受ける義務とか取引慣行とかという有形無形の「制度」によって成り立ってきた社会現象を、「契約」という考え方で新たにとらえ直すことが、国際化・情報化の現代社会は求められている。ところが、受け皿になる法的な考え方、社会的感受性は熟成されてこなかった。なので、いま法改正に着手している。金銭交換の現実と人々の感受性の落差は広がり、社会的諸制度は弱体化しつつ、契約概念はどんどん拡大している――ということではないでしょうか。</p>
<p>　ひょっとして、制度が弱体化するなかで生じる権益というものがあり、その樹皮からにじみだす樹液のような蜜に、契約という概念を盾にした甲虫のような人々が群れる。こういったこともあるかもしれません。いずれにせよ、いま私たちは過渡期、混乱期にいるのです。契約、サービスの消費に関し、急激に変化した人々の意識（たとえば極端なクレーマーなど）は、こういった社会的変化を敏感に反映させているのかもしれません。</p>
<p>　しかし、やや希望的に考えれると、「われわれは、このような契約を用いて、新しい制度を創り出していくことができる」ことも、確かでしょう（『民法改正を考える』P166）。契約のなかに、自由意思、構想する意思、法的な枠組みを組み入れる。そして、新たな市民的関係を契約の中にデザインするというのです。</p>
<p>　新しい社会の構築を望みつつ、契約の観念と実践を誠実に積み重ねるか、それとも、崩れ去る制度からこぼれる富を拾い求めて、契約という旗をなびかせ争いあうのか。私たちは、法改正の問題にとどまらない、文明的な岐路に立っていると思います。いま、まず大切なことは、私たちが闘うべき相手は何なのか、それを熟慮し、語り合うことかもしれません。</p>
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