なんとなくサンネット日記

2011年3月21日

想像して手を携える

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彼岸の空

大震災から11日

東奥日報にのったエッセイや記事です。

■ 12日、青森市本町4丁目の吉田幸子さん(77)は、ラジオで地震情報を聴きながら1時間おきに仮眠したほか、朝はガスで炊いたご飯でおにぎりを作り、様子を見に来た息子に分け与えるほどの余裕ぶり。吉田さんは「戦時を経験したので、いざというときの備えができていた」と話した。(3月13日付東奥日報)

■ 古川日出男(66年、郡山市出身、作家)

(テレビから流れる映像に)知っている地名があまりに多いことに動揺したし、それは単純に福島県内に限らなかった。たとえば宮古も久慈も八戸も…視覚的な記憶すら持っている町並みもあった。いいや、なかった。そうした町並みがなかった。そんなふうに「あった」ことがのみ込まれてしまうなど、誰が想像しえただろう?いま現在も事態は推移し続けていて、僕はこう思う。それでも、違う形で想像するしかない。想像力を善きことに使うしかない…われわれはつながっていると信じて、想像して、手を携えること。それは目に見えない手かもしれない。しかし握り合えるのだ。(17日付東奥日報)

■ 辺見庸(44年、石巻市出身、作家)

(大震災後の人間社会は)人として生きるための論理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている…非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか。すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追及できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。(18日東奥日報)

■ 天野秀昭(58年、東京生まれ、NPO日本冒険遊び場づくり協会副代表)

(阪神淡路大震災の支援の経験から、遊び場での)遊びは、子どもが自身に降りかかった出来事を、何とか受け入れ、乗り越えようとしている表れなのである。遊びは、決して単なる暇つぶしではない。被災した子どもは、自分で何とかそれを乗り越えなくてはならない、走り回り発散する。友達と話し込む。時には痛手を負った出来事を遊びに変えて受け入れようとする…仙台市の「海岸公園冒険広場」「西公園プレーパーク」。どちらも僕と同じ願いを持つ仲間の活動の場だ。そこが、壊滅的な被害を受けた。けれど、3月13日、ようやく元気な声を聞くことができた。「子どもの復興」の始まりだ。…「子どもが元気でいれば、みんな元気でいられる」(19日付東奥日報)

■ (高速旅客フェリーナッチャンワールドで北海道からの支援物資が青森港に届いた。)岩手県の被災地に生活物資を運ぶという洞爺湖町のトラック運転手木谷和久さん(47)は「自分も有珠山の噴火で避難所生活の経験がある。なるべく早く届けてあげたい」と話した。(3月21日東奥日報)

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