なんとなくサンネット日記

2017年7月24日

虚構の「苦情」

Filed under: 未分類 — toshio @ 11:48 AM

 

パステルアートが始まりました

パステルアートが始まりました

「苦情がいいサービスをつくる、本当にそう思っていたんだ」

 

60歳近い、たたき上げといった雰囲気の彼は、人懐っこそうな表情を見せて語った。もし、彼が魚屋か寿司屋の店主であったら、威勢のいい、客に好かれる店ができただろうと私は頭の中で考えた。庶民派という雰囲気を肌で感じる。

彼は障害者施設の職員。その施設は、利用者にとってより良い施設でありたいと、この地域で先駆けた活動してきた。開かれた施設づくり、職員の相互研修、関係機関を巻き込んだ苦情処理、地域の横のつながり…こういったことについて、彼は頭と口を動かすよりも、先頭に立って手と足を動かしてきたのだろうと思う。

「なんていうか、クレーマーなんだな。長い時間、話して、ようやく納得してもらえたと思ったら、その日に、県に訴えている。次から次へと苦情の種が変わるし、わけがわからない…」

彼の語りは愚痴っぽさがない。まるで他人事のように語る。居住系の施設に入所している利用者の母親が執拗に苦情を繰り返しているらしい。

 

「苦情は、どんどん話してください。県でも、なんでも話して、みんなで話していけばいい。そう思っていたから、それはいいんだけど…。利用者の母親なんだけど、前に担当していた職員が辞めたのは、そのせいだったんだ。自分が担当してわかったけど。いい職員だったんだ。俺も休みたくなったよ。充電が必要だけど、施設長が休ませてくれないしなあ…」

 

現在進行形の話らしく、具体的なことは何も言わない。しかし彼の思いは私の胸にずんずん響く。

苦情に対して百戦錬磨の経験が、役に立たなくなっている。誰でも言いたいことは言っていい。行政だろうが、同業者だろうが、巻き込んでみんなで考えていく。なるべく公開していけばいい。そういう中で、苦情は前向きなものに変わり、福祉サービスのこれから在り方にむかい、利用者も家族も職員もふたたびある種の調和に再帰する…そういうセオリー、やり方だったが、それが通用しない。

いったい何が起こっているのか。彼はとんでもない落とし穴にはまってしまったらしい。

母親の言っていることはわかる。少なくとも表面上は。言葉上は誰が聞いても無理難題である。無理難題の奥に調和を求める気持ちがあると彼は思っていたが、実は、ない。母親は自分の言い分に確信を持っていて、自分の心に穴があいているとはつゆとも思わない。30分も40分もの彼女のわめきを聞いていると、彼の心のほうに穴があいてくる。

母親と自分の関係に穴があいているから、どちらかが引き受けなければならない。するとこちらの心が折れていく…。

 

「母親の言い分を聞いていたら、『そっちに座っていれば聞こえないでしょ。こっちに来なさい』と自分の横に座らせようとする。そして30分も一人でしゃべりっぱなし…」

手招きをして、彼を呼び寄せたのだという。

度重なる苦情だから、当然、面談室か応接室で話したに違いない。職員側は一人か二人。ふつうは向かい合い、対面の位置に座る。それがセオリーというものだが、彼女はそれを崩した。

崩れたのは手招きにそってしまった彼のプライドか。あるいは、母親と彼とで作ってきた「セオリー=虚構」であったのか。彼は、このエピソードを繰り返し話した。

 

さて、福祉サービスのかなりの部分は、虚構の人間関係をつくることで成り立っている。たとえば入所施設、グループホーム、ショートスティ(ホームヘルプサービスのある部分も)、それらは社員寮や独身寮など、日常的な暮らしや家庭の代替である。

生活訓練、就労支援は、学校や会社の代替である。代替物は本物ではないが、会社や家庭などをモデルにしている。福祉サービスはスタッフという人間を通じて行われるため、支援関係の「場」や「空間」を、意識的無意識的に既存のモデルをあてはめ、似させていくのである。

 

下の表は、居住系サービスを念頭に置いているが、(A)領域が既存のサービスである。そのサービスは家庭に代わるモノと言いつつ、そこにある人間観、関係をつくるシステムが空間を閉鎖的、抑圧的にしてきた。

利用している当事者もそこで働く職員も、代替という虚構性を重々承知し、それを改善しよう、脱却しようとしてきたのが、1970年代以降の営みであったと思う。自立運動に代表される脱施設化の運動は、横軸に位置づける。それは(C)への移行を推し進めた。利用者の自治会づくり、当事者中心の施設運営、開かれた施設づくりなどは縦軸に置こう。それは(B)への移行を推し進めた。両方の軸と発展的になる領域(D)には一部の自立運動、薬物からの回復者の営み、一部の精神障害者の地域活動、共生共学の運動などが含まれ、代替という枠を超えたあらたな人間関係のありようを生み出してきた。

 

y軸 ↑ 人間的生命観

ビオス的生命観(居心地、平等、共同)

(B)人間味ある暮らし

(制度内改革、インフォーマルな関係を内包)

(D)生き生きした自立運動

(相互的、地域への広がり)

ゾーエ的生命観(不平等、操作的関係)

(A)閉鎖的・抑圧的空間

(既存の制度)

(C)権力闘争的自立運動

(支援関係の固定化)

 

現在のモデルの追認

モデルからの脱却

(地域、インフォーマル)

 

開かれた制度 → X軸

 

 

いまどき「施設は家庭の代わり、職員を親と思ってください」とあからさまに言明する事業所はないが、「利用者様の人権を尊重し」「ご家族のニーズに沿ったサービスを」提供しているという言い方で、家庭の代替をしていると匂わせる。

そこに反発し、「それは嘘だ!」「もっと違う何かを」と、先駆的な活動や地道な活動が展開されたわけだが、いずれにしても福祉サービスがもつ虚構性をふまえている。

 

そのうえで、先ほどのクレーマーに戻りたいのだが、彼女は、人間関係の虚構性を、虚構性の側へとさらに反転させたといえよう。(彼の施設は(A)ではなく、(B)の領域だと思うが、書きの表は単純化して描いている)

 

↑ 人間的生命観

(A)閉鎖的・抑圧的空間

(既存の制度)

← より閉じる

開かれた制度 →

(X)

職員も非人間化される「疑似的家族」

より非人間的 ↓

 

彼女は、ベテラン職員を子ども扱いする。手招きして、自分の傍らに座らせ、言い聞かそうとした。それは息子(利用者)の面倒を十分みようとしない兄(職員)に説教する母のようではないか。母は施設の外にいて、施設の中は「面倒を見る兄や姉」という職員と息子の空間である。(A)では、母は「わたしの家庭でできない息子の面倒を、代わりにお願い」していたが、(X)になると、母は、疑似兄にしっかり教え込む「母」の役割のまま、むしろビッグマザー化している。

 

(X)には「苦情がいいサービスをつくる」という可能性はない。サービス改善に向う可能性は、職員と利用者と家族が、共同して正反対に向かおうとするときに生れるのであって、そうではない「苦情」に向きあい続けるのはベテラン職員の彼であっても根をあげるのはやむを得ない。

息子の環境をもっと良くしたいのに、よくならないので困っているというのが「苦情」の意味だ。もっと自分の思う通りにしたいと思っている母親が、語り続けるのは「苦情」ではなく「生きがい」なのかもしれない。

 

職員の彼の心が折れそうになるのは、「苦情」に向き合っているわけではないのに、「苦情」に対処しなければならないと信じているからだ。周囲の人々もそう考えていて、「苦情解決担当者」を降りるわけにはいかないからだ。

このように、いくつもの場面で、断片化した人間関係の虚構が生じるのは、福祉の基盤にもともと「虚構」があるからだが、もう一つ、理由があって、現代社会を生きる人間にとって「虚構でない、リアルな関係」をしっかりつかまえられなくなったということによる。これは意外と大きな問題だと思う。

2011年3月21日

想像して手を携える

Filed under: 未分類 — toshio @ 3:41 PM
彼岸の空

大震災から11日

東奥日報にのったエッセイや記事です。

■ 12日、青森市本町4丁目の吉田幸子さん(77)は、ラジオで地震情報を聴きながら1時間おきに仮眠したほか、朝はガスで炊いたご飯でおにぎりを作り、様子を見に来た息子に分け与えるほどの余裕ぶり。吉田さんは「戦時を経験したので、いざというときの備えができていた」と話した。(3月13日付東奥日報)

■ 古川日出男(66年、郡山市出身、作家)

(テレビから流れる映像に)知っている地名があまりに多いことに動揺したし、それは単純に福島県内に限らなかった。たとえば宮古も久慈も八戸も…視覚的な記憶すら持っている町並みもあった。いいや、なかった。そうした町並みがなかった。そんなふうに「あった」ことがのみ込まれてしまうなど、誰が想像しえただろう?いま現在も事態は推移し続けていて、僕はこう思う。それでも、違う形で想像するしかない。想像力を善きことに使うしかない…われわれはつながっていると信じて、想像して、手を携えること。それは目に見えない手かもしれない。しかし握り合えるのだ。(17日付東奥日報)

■ 辺見庸(44年、石巻市出身、作家)

(大震災後の人間社会は)人として生きるための論理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている…非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか。すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追及できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。(18日東奥日報)

■ 天野秀昭(58年、東京生まれ、NPO日本冒険遊び場づくり協会副代表)

(阪神淡路大震災の支援の経験から、遊び場での)遊びは、子どもが自身に降りかかった出来事を、何とか受け入れ、乗り越えようとしている表れなのである。遊びは、決して単なる暇つぶしではない。被災した子どもは、自分で何とかそれを乗り越えなくてはならない、走り回り発散する。友達と話し込む。時には痛手を負った出来事を遊びに変えて受け入れようとする…仙台市の「海岸公園冒険広場」「西公園プレーパーク」。どちらも僕と同じ願いを持つ仲間の活動の場だ。そこが、壊滅的な被害を受けた。けれど、3月13日、ようやく元気な声を聞くことができた。「子どもの復興」の始まりだ。…「子どもが元気でいれば、みんな元気でいられる」(19日付東奥日報)

■ (高速旅客フェリーナッチャンワールドで北海道からの支援物資が青森港に届いた。)岩手県の被災地に生活物資を運ぶという洞爺湖町のトラック運転手木谷和久さん(47)は「自分も有珠山の噴火で避難所生活の経験がある。なるべく早く届けてあげたい」と話した。(3月21日東奥日報)

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