なんとなくサンネット日記

2012年1月23日

無名性

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 6:36 PM
おばんです

おばんです

■レスポンス

 1月14日「引き裂く/引き裂かれる・自己」の記事に、何人かの方から質問や意見をいただきました。「加藤青年は精神病だったのではないか、自分と彼とどこが違うのか」あるいは「引きこもり、ネット依存、女性への憧れ…それは自分も経験してよくわかる」。このような意見です。

 派遣(ハケン)、秋葉原(アキバ)、ネット、ケータイ(携帯)、負け組…加藤青年をめぐって現代的なキーワードと断片的情報が流れ、多くの人の関心や共感をひきよせた事件でした。

 それで、「普通」の若者の日常と地続きの事件という印象が生まれた側面があります。

 加藤青年は事件の2年前、母親に精神科に受診しようかと話したことがあります。しかし、受診したことはないようです。彼は公判において「私が起こした事件と同じような事件が将来起こらないように参考になることを話しができたらいい」と述べて、事件の原因として3つをあげています。

 一つ、問題があった時、言葉で表現しないで(暴力的)行動を起こしてしまうという「ものの考え方」。

 この「行動パターン」は、母の育て方(虐待)にあると、多くの識者が指摘しています。(芹沢俊介氏は「教育家族による子殺しというとらえ方」を無視してこの事件の本質は見えてこない、彼が起こした無差別殺人の前に、彼自身が深いところで殺されていたと述べています(『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』P123)。確かに行動パターンが彼にとっての原因かもしれませんが、それであの大きな被害を説明できるわけではありません。

 二つ目、彼は、掲示板に現れた「嫌がらせ」が大きいと述べます。

 しかし…事件の5日前にはもう、荒らしやなりすましの嫌がらせはなくなっていました。荒らしの出現の結果、誰も来なくなった掲示板の孤独が大きかったのかもしれません。孤独が原因なのでしょうか。

 三つ目は、掲示板ばかりに依存していた生活のあり方が問題だったと彼は言います。

 中島岳志氏はこの点について「なぜ友達がいたのに孤独だったか」(『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』)と、疑問を投げかけます。加藤青年の生活は引きこもりとはいえませんでした。中島氏はこのように述べています。

 「意外なことに、加藤は現実生活に思いのほか多くの友人がいた。私は…彼の足取りをたどり、各地を歩き回った。すると、その過程で彼と仲のよかった友人が次々と現れた。…しかし…現実の友人では、(加藤には)どうしても透明な関係を結べない。真の自分を承認してもらえない…ネット上で同じネタを共有できる仲間は、自己を真に承認してくれる相手に思えた。――現実は「建前」で、掲示板は「本音」。そう語った加藤の言葉にこそ、この事件と現代社会を読み解く重要なカギがある」と。(p15-16)

 中島氏は事件の原因や加藤青年の問題の「答えを急いではいけない」と警告します。私も同感します。

 彼から事件を考えると3つの問題が見え、それで説明しようとする。しかし、私たちの立場からすると、それで事件を説明しているようには見えない。彼には見えて、私たちには見えない。おそらく、もっと彼と世界の内側、3つの問題の焦点が結ばれる暗闇で、問題は静かに存在しているのではないでしょうか。

■無名性とともに

 ネットの匿名性が人々の心をむしばんでいるのではないかとつねづね思っていました。

 匿名性に守られることで自分の胸の奥深くに秘めていた本心を語る、ということがあります。この場合、何を語りたいのか、方向はその人の心的世界の一点に向かおうとします。

 しかし、匿名性のなかだからと、多様な「自分」を創作することがあります。ネットのなかでなりたい自分を装う。あるいは、誰かの反応を期待して、偽りの人物になる。しかし、いずれにしても、他者が問題です。語ろうとするベクトルは他者が存在する外をめざし、あらゆる方向に拡散します。生まれた「自分」は次々に分岐し、跳び、肥大し、たくさんの「自分」が絡み合い、大きな森のようになっていきます。真っ暗な森のなかではどこがどこかがわからないように、元の自分がどこにあるか、もう見分けることはできません。

 加藤青年の問題も、ネットの匿名性の負の力のなかに、自分を見いだそうとしたため、迷い道をさまようはめになった気がしてなりません。

 そんなおり、ある記事に目が引かれました。1月22日付東奥日報(青森県の地方紙、共同通信系の記事)東京都現代美術館のチーフキュレーター(学芸員)長谷川祐子さんの「『なぜ?』から始める現代アート」(NHK出版新書、2011年)の本の紹介が、それです。

 20年前、駆け出しの学芸員だった長谷川さん。フランスの女性アーティストが、生まれつき目が見えない人々から聞き出した美のイメージを写真で展示するという、「見ること」を根源から問う作品を制作していました。展覧会で彼女の作品を取りあげたとき、ある評論家は「僕は知らないから」と会場に来なかったそうです。

 「このとき、現代アートの“無名性”とともに生きようと決めた」。長谷川さんはその時、そう決心します。おそらく、この逸話には、女性アーティスト・女性キュレーターを軽んじた大御所の男性評論家という話もあると思います。

 ところが、この評論家の無視ということを、「男性:女性」という土俵ではなく、より高次の「有名:無名」「評価:可能性」「既知:出会い」という土俵に押し上げていった長谷川さんの度量。これがすごいと思います。何度も読み返し、ジワッといい気分にさせられました。

 そういえば、無名でいることの勇気、無名であることの誇り、そんなことも、今の時代、忘れられつつあります。ずいぶん力をこめたこの無署名の記事(いい文章だと思いますが)、書いた人は女性記者のような気がします。記事はこう結ばれます。

 ――現代アートの作品は、見る人の創造性が加わって、はじめて完成するという。「アーティストは、自分の作品を待っている人が必ずいると思ってつくっています」。橋渡しするキュレーターもまた、見知らぬ誰かを信じ、待つ仕事なのだ。――

 そうですね。…だから、無名性には信じる、待つという力もあるのかもしれませんね。

2012年1月14日

引き裂く/引き裂かれる・自己

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 6:48 PM
ブルーライト新町

ブルーライト新町

■秋葉原事件・ナウシカに間に合うかしら

 2008年6月6日金曜日の午後だった。加藤青年は、北陸本線JR福井駅で特急に乗った。

 この日、彼は片道5時間以上をかけ、わざわざ静岡県から福井県まで来た。福井市内のショッピングセンターで買い物をすませ、静岡・裾野の派遣先宿舎に帰るところだった。

 電車内でケータイ掲示板をひらく。掲示板は彼にとっては、求め続けた“居場所”、自分が自分に帰れる“ところ”だが、今はおとずれる人がいない孤独な空間になった。彼が立ち上げていたスレッドに書き込む。このときの彼は機嫌よく、明るかった。

 「米原駅では『ナウシカ間に合うかしら』『上下線同時発車とかかっこいいじゃないか』と書き、浜名湖を通過する際には『浜名湖だ浜名湖』と無邪気に書きこんだ」(『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』、中島岳志、2011年、朝日新聞出版、P206)

 午後3時をやや過ぎ、米原で東海道新幹線に乗り換え、「ナウシカに間に合うかしら」と書きこんだ。この日、夜9時から日本テレビ系列で、映画「風の谷のナウシカ」が放映されることになっていたが、この放映時間まで家に帰れるだろうか、という意味だ。ぼくはこれにひっかかりを感じた。

 このとき、加藤青年は、すでに秋葉原で事件を起こすことを決意している。福井行きはそのためだった。ミリタリーショップで買った6本のナイフを、もち帰るところだ。2日後、秋葉原が彼の想像通りになれば(そうなるのだが)、この書き込みが世に知れることになることも予想していた。その上での書き込みだ。あと宿舎まで4時間。テレビが始まる2時間前には戻る。2時間ほどの時間をどこかで使うつもりになっていた…。ぼくから見ると、この書き込みにはいくつもの矛盾があるように見えた。

 三島で新幹線から乗り替え、JRでひと駅、沼津駅に着くと、“予定通り”風俗店に入る。1時間ほどして、再び帰路についた。8時半に帰宅したが、「風の谷のナウシカ」を見たかどうかはわからない。(『秋葉原事件―』P210)

 ナイフを購入するため、わざわざ福井まで足を延ばしたのは、その店に感じのいい女性店員がいるというネットの評判で決めた。ショップの防犯カメラに映った加藤青年は手ぶり身振りを交え、女性店員に饒舌に語りかける姿が映っている。(秋葉原事件―』P206‐209)

 人恋しい、女性と話をしたい。この気持ちが、女性店員との会話になり、風俗店につながったのだろう。そしてその気持ちは「風の谷のナウシカ」とも重なったのだろう。しかし、侵略者と闘うナウシカと、ミリタリーショップの女性店員や風俗店の女性。状況と関係の違いを、彼のなかでは越えて、同一面上でむすばれる。これがぼくには不思議だ。

 さらにもう一つ、より大きな疑問。それは、世界を救い、村を救うことを願うナウシカの映画を見たいという“望み”と、2日後の惨状を想像しながら数本のナイフを所持している新幹線の自分という“現実”の同居だ。彼のいろいろな思いの雑居にめまいをおぼえる。自分がやろうとしていることの意味とアニメの世界の価値観の区別が、彼にはついていないのかもしれない。

 ■タテマエと本心と本音と

 ぼくの違和感は、彼のそれぞれの断片的な思いを包摂するはずの「彼」を描こうとしても、それができないところにある。思いが滑り続けてすすめない地点への違和感だろう。

 〈世界を救うナウシカのアニメを見たい〉、〈人恋しい。この書き込みを誰かに読んでもらいたい〉、〈秋葉原で事件を起こしたい〉、〈事件後、この書き込みは公開されるだろう〉…。彼の思考の断片はただバラバラに外側にむけて放射され、ひたすら拡散しながら世界のはてにむかって孤独に疾走する。

 では、放射する中心、核、そこには何があるのだろうか。ただの寂寥な伽藍だろうか。

 精神科医の高岡健氏は、加藤青年の資料を精神分析学的に検討し、「原初的母性的没頭の部分が非常に荒れて」いるので、女性を取っかえ引っかえすることによってしか生きていけないかもしれないというようなことを述べている。(『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』、芹沢俊介・高岡健、2011年、批評社、P115)

 すさまじく別々のことなのに、それがどうして同一次元で語られるのかが、ぼくの「ナウシカ 間に合うかしら」の書き込みへの疑問だった。

 この疑問を、高岡氏の指摘を下敷きにして考えると、バラバラになりそうな自分を引きとめるために、だからこそ、女性(人)への依存するできごとがバラバラに生まれたのではないだろうか。さらに、そこに、本心と本音と本人を別々に使い分けられる掲示板(ネット・ケータイ)が絡まることで、さらに彼は幾重にも引き裂かれていったのだろうと思えてくる。

 …「ナウシカ」の書き込みは引き裂かれた裂け目そのものかもしれない。

 (高岡氏のいう「原初的没頭の非経験」(⇒自立不安)に現代性があるなら、それは、実に現代的な存在であるインターネットと並行した位置にあるのかもしれない。だから、自立不安をかかえた人にとって、ネットの諸特性である、匿名性、情報の断片性、大量情報の操作可能性といった諸特性は、人間の弱点を補い、「世界」との結びつきを再構成すると思われていたのだろう。たとえば、――ネットの匿名性は、自立不安の人々にとって「パーソナリティの形成」に寄与する。情報の断片性は即時取得性となり、即製されたパーソナリティ、簡便なペルソナ(仮面)獲得に連動する。大量情報の操作可能性は「社会への関与の強化、役割獲得の促進」である。したがって、自立不安をもつ人たちは、ネットにアクセスすることによって弱点を克服できる――と思われる面もあった。はたして、それでいいのだろうか。ネットの特徴は自立不安を直接「克服」しているわけではない。問題をかかえた人物がネットに依存することで、問題を覆い隠し、覆いが利点であるかのように見せかけただけかもしれない。『千と千尋の神隠し』のカオナシが飲み込んで肥大したものを吐き出してしまうと、再びか細くたたずむようになったように、問題の肥大化は問題の解決にはならないのだから。加藤青年(と被害者の苦しみから)から学ぶものはまだまだたくさんあると思う。) 

 

■引き裂かれた「世界」を受けとめる

  死にてある蚯蚓(みみず)よく見れば疑問符の形をしてをリ鬼気たちてをり   田中峯子

 これは、昭和20年6月、学徒動員先の東京第1陸軍造兵廠(板橋区)作業課の謄写版印刷機でつくられた合同歌集『白埴』にある日本女子大の学生(国文科四年)の歌。

 「死んだままのミミズ。よく見てみると、疑問符の形をしていて、ぞっとするような恐ろしさを放っている」と詠む。(『短歌で読む 昭和感情史――日本人は戦争をどう生きたのか』、菅野匡夫、2011年、平凡社新書、P203-204)

 この頃、沖縄・東京は焼け野原、玉砕が続く。武器も食料も乏しいが、降伏するとは言えない、考えられない。このような人を引き裂いくような状況のもとで、死んだミミズを見つめ、地の奥から生まれる鬼気をとらえる。その「気」はこの世の邪悪をつつみこむかのようにむくむくと立ち上る。

 彼女の、あるいは人々が生み出す「鬼気」は、この世の強き人々にむけて何かを暗示している。悲惨な社会状況をつらぬく「己」がしっかりと存在し、引き裂かれた世界と揺らぎのぼる鬼気を結びつける通路なのだ。

 戦争末期にあって、このような歌集をつくったのは、どのような人々のどのような思いなのだろうと思う。ここには、時代をこえた人間の可能性が存在していると思う。

 おそらく、いま私たちが求めなければければならないのは、造兵廠のなかで反戦的な歌をつくるような営みではないか。人間の本質的な力を受けとめる作業をもっとも問題のある場から考え続けようとする営み、己をしっかりと束ねて表現にまで高める内なる力が必要とされている。

 掲示板やネットを力強く越えていかなければならない。そうでなければ、私たちの社会は人々の心のなかから崩れてしまう。無言のまま、そのように加藤青年は私たちに語る気がするのだが…。

 (明日、芹沢俊介氏が来青する。著書「孤独」から考える―と同じ演題で講演があるという。http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000111201050007

2012年1月5日

多文化主義アート

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 4:24 PM
1963年 バマコ

1963年 バマコ

 昨年12月、東奥日報の文化欄に『アフリカへの複雑な視線』という小さな記事がありました(12月7日)。

 写真批評家の竹内万里子という人の、11月の世界最大の写真フェア「パリ・フォト」についてのレポートです。同フェアではアフリカ特集が組まれ、アフリカ写真家への関心の高まりのなか、今や世界的によく知られるようになったマリック・シディベの写真『クリスマスの夜』も再び注目を集めたと述べていました。

 私は記事の中身に目を落とす前に、写真にくぎづけになりました。1963年、フランスから独立間もない西アフリカのマリ共和国。

 初々しい男女が恥じらうように寄り添い、ダンスをしています。身体はふれていませんが、愛し合っていることがよくわかる間合いです。彼女は素足ですてきなワンピースを着、彼はモカシンを履き、白いスーツで決めています。きっと二人にとっても特別な日なのでしょう。ほのかな笑顔だけど、だからこそふたりの愛と信頼と喜びがひしひしと伝わってきます。

 なんと美しい写真だろうと思いました。http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2010/feb/27/malick-sidibe-mali-photographs-interview

 私たち人類は、考える枠組み、視野、感覚を広げる営みを続けてきたと、いえます。何百年かのあいだ、人類は「人間性」を発見し、「新大陸」に到達し、天動説から地動説に、そして太陽系の外に関心を伸ばしてきました。

 この数十年、(今からすると逆に不思議な気がしますが)子どもや女性も男性の大人と同じ人間と受けとめるようになり、人種、障害、病気についての感受性も変化しました。

 写真の話に戻すと、かつてアフリカは先進国の人々によって、撮影される対象でした。それが、1960年代にアフリカで独立が続き、アフリカ人が自分たちの日常を写すようになったとき、カメラを軸に、写す・写される関係はグルっと回転しました。

 しかし、この回転が起きたことを、非アフリカ人が知るのは1990年代になってからです。この気づきが再度広がり始めているというのがこの記事の内容です。それで、90年代に関心があつまったこの写真が「再び」注目されているのです。

 撮る・撮られるの視野は回転し、拡大しました。西欧中心主義から多文化主義に、私たちはまだまだ転回し続けるステージの上にいるのでしょう。

 1935年頃(!)生まれのマリック・シディベは1950年代半ばから写真を撮り始め、1962年にスタジオをもちました。町のスタジオ写真屋さんであるシディベは1990年代まで写真集も写真展も見たこともなかったそうです(!)。そのシディベの芸術性が、フランス人の学芸員に「発見」されたのが90年代。いまやアフリカ写真家でもっとも知られた一人になったそうです。

 独学の写真家。彼は「自分が何を欲しているかについて観察し、理解する才能を持つ必要がある」と述べています。自分を知ることを頼りに、作品を撮り続けたということを知ると、1963年のこの写真がまたすてきに思えてきます。多文化主義は、既成の枠組みに頼れないのですから、自分を理解することを避けて通れないのかもしれません。

(マリック・シディベの撮影風景の動画が「世界の写真家を動画で見てみよう」という下のサイトにのっていました。若い元気なシンガーソングライターのインナ・モジャが、マリックの適当という感じのスタジオで撮影されています。マリックは上から覗く昔風のカメラでしかも白黒フィルム。ニコニコしながら写真を撮るのが本当に好きといった感じ。ほのぼのとなぜか元気の出る動画ですよ!)

http://blog.goo.ne.jp/artbird/e/8650522e9f53f06f4cf74423e9bd3e1a

2011年12月27日

社会を創るための契約

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 6:54 PM
雪降る町

雪降る町

■措置から契約へ

 社会福祉の分野は、2000年から「措置から契約へ」の時代になりました。それまでは、公的責任(国・自治体)を通じて国民の福祉を実現しようという枠組みだったのですが、その枠組みを取り外して、多様で自由な契約活動を中心に、個々人の福祉を増進させる社会にしようという方向に変わりました。

 私は、「措置から契約へ」進展したのは、きっと、政・財・官の癒着した人々が、安上がり福祉を固定し、市場化によって経済効果を図ることをねらったからだ、と思っていました。この動きを怪しんでいたのです。

 明治時代、国民の税金で大きくした国有企業を民間に払い下げ、民間資本を育成したように、今回の場合も、「措置」の廃止(=国の資源の開放化)に重点があるのだろうし、これからは民間福祉業界の育成が進展するに違いないと、自分勝手にそう考えていました。だから、「契約」は本質的な問題ではないと為政者は考えているだろうと思い込んでいました。

 最近、本屋をぶらぶらしていると、民法改正について書かれた本を見ました。しかも同じテーマで、2冊の新書が同時に(今年の10月)出版されています。なんとなく気になり、手にとって読みました。テーマは民法の中の「契約法」についてでした。

 「契約法」が改正されようとしている。改正しなければならない理由がある。読んでいくうちに、この改正の理由の源流をたどると、福祉分野の「措置から契約へ」の問題とも合流するし、その奥にはさらに大きな背景(社会的な課題)があると気づかされました。

■契約法改正を突き動かすもの

 2冊の新書の一冊は『民法改正を考える』(大村敦志、岩波新書)、もうひとつは『民法改正――契約のルールが百年ぶりに変わる』(内田貴、ちくま新書)です。

 二人とも民法学者ですが、大村氏は法制度、社会的背景、国際比較について重点を置きつつ論点を整理するような書き方。内田氏は民法の成り立ちや時代の変化を判例を引きながら、くだいて教えるような書き方です。2009年から契約法の改正作業の動きが進展して、今年7月にいよいよ実質的な改正審議に入ったのだそうです。この審議を経て、一定の案を2013年2月に提出できるよう、目標が定められました。まさにホットな状況があって、2冊の本も出版されたのでした。

 大村氏は「民法改正の思潮」として次の5点をあげます。社会的背景についての説明なのですが、これはよくよく吟味されるべきことです。

 ①規制緩和・グローバリゼーションの進展と、その動きをサポートする司法制度改革。司法の動きは会社法、証券法などにおいて1999年から始まっているそうです。(これが民法改正に関わっているといいます。以下同様に関係することがらです)

 ②1990年代からの市民運動の多様化と政権の流動化。この20年の政治的流動化のことです。

 さらに、③消費者の登場と家族の多様化、④法学における解釈論から、立法論・政策論へ--法の安定性、権威的な法律家のあり方から、社会への対応力、実務者としての法律家にという流れについて--

 ⑤今回の動きは、契約法の改正にとどまらず、漸進的に広範囲な改正に連動していくだろう、この5点をしっかりとらえることで、民法改正の意味がつかむことができる、そういう意味で大村氏は述べているのです(『民法改正を考える』P59-63)。

 民法改正の「思潮」とは、民法改正を突き動かしている社会的動向であり、民法改正作業が進む先にあるパラダイム(思考の枠組み)のことでもあるのでしょう。しかし特に①から③の社会状況は、市場・消費・個人主義・排外主義にいろどられた現代の特徴全体と重なりあっているではありませんか。しかも、最近の20年の状況が法改正の直接的な影響を与えているようです。

 民法改正の問題は、世俗から空高く離れた法学の問題ではありませんでした。世俗に深くかかわった課題が法学を揺らがせていたのです。ここが、「措置から契約へ」を動かした源流、社会的原因です。「措置の廃止」は「契約の拡大」と裏と表の関係です。単なる厚労省レベルの問題ではなく、現代的な諸課題が集約して「措置から契約へ」突き動かしていった面があったということです。

■制度から契約に

 大村氏は、福祉分野の「措置から契約へ」のキャッチコピーのように、契約法を改正しなければならない社会状況を大きくまとめれば、「制度から契約に」になるそうです。制度から契約にとは、従来「制度」と考えられてきたものを「契約」としてとらえ直すことで、「限定的・固定的な『制度』を、より開放的で可変的な『契約』とすることで、個人の自由の領分を拡張しよう」とすることである、と述べています(『民法改正を考える』P162-163)。

 その一方、この百年、民法が典型的な契約として想定していたのは不動産売買であり、現代的な介護契約、教育契約、金融サービス契約などについて適用できるような民法の規定はほとんど用意されていなかった、という現実もあります(『民法改正――』、P189-191)。百年の間で契約の実態が大きく変わったのです。

 つまり、――いままで、措置制度とか教育を受ける義務とか取引慣行とかという有形無形の「制度」によって成り立ってきた社会現象を、「契約」という考え方で新たにとらえ直すことが、国際化・情報化の現代社会は求められている。ところが、受け皿になる法的な考え方、社会的感受性は熟成されてこなかった。なので、いま法改正に着手している。金銭交換の現実と人々の感受性の落差は広がり、社会的諸制度は弱体化しつつ、契約概念はどんどん拡大している――ということではないでしょうか。

 ひょっとして、制度が弱体化するなかで生じる権益というものがあり、その樹皮からにじみだす樹液のような蜜に、契約という概念を盾にした甲虫のような人々が群れる。こういったこともあるかもしれません。いずれにせよ、いま私たちは過渡期、混乱期にいるのです。契約、サービスの消費に関し、急激に変化した人々の意識(たとえば極端なクレーマーなど)は、こういった社会的変化を敏感に反映させているのかもしれません。

 しかし、やや希望的に考えれると、「われわれは、このような契約を用いて、新しい制度を創り出していくことができる」ことも、確かでしょう(『民法改正を考える』P166)。契約のなかに、自由意思、構想する意思、法的な枠組みを組み入れる。そして、新たな市民的関係を契約の中にデザインするというのです。

 新しい社会の構築を望みつつ、契約の観念と実践を誠実に積み重ねるか、それとも、崩れ去る制度からこぼれる富を拾い求めて、契約という旗をなびかせ争いあうのか。私たちは、法改正の問題にとどまらない、文明的な岐路に立っていると思います。いま、まず大切なことは、私たちが闘うべき相手は何なのか、それを熟慮し、語り合うことかもしれません。

2011年12月1日

監視型社会を生きる

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 2:36 PM
ビルの裏側にも粉雪

ビルの裏側にも粉雪

■監視カメラの私たち

 監視カメラがあれば安全だと思うようになったのはいつからだろう。

 以前は、監視カメラがあれば、覗かれる自分を想像し、想像力は瞬間的に嫌悪感になり、覗く人間(権力)に抵抗を感じた。

 権力=監視と、「私」=活動する市民は対立していた。覗かれるものと、覗く側とは確かな距離があった。交叉するものではなかった。

 いまや、そのシチュエーションは変わった。

 監視カメラが覗こうとしているターゲットは、「私」などではない。標的は私が見たこともないどこかの「犯罪者」。「私」は無関係、せいぜいその他大勢。

 監視カメラの画像を点検しチェックする人は、漏水を点検する水道職員と同じ。「不全」「故障」「異物」を点検する品質管理にかかわる。寒い日に鉄道の保線をする人、切れた電線を修理する職員、荒天のなか新聞を届けようとする人たち…。私たちは多くの人の努力に守られ、彼らが形成するガードフェンス、城壁の内側で暮らすことができている。

 だから、今や監視カメラで覗いている人の背中の後ろから、「私」たちも画像を覗きこみ、点検を済ませて、安心して暮すという図式になったのだ。

 監視型社会の内側でぬくぬくと暮らしたいと望む私たちは、日常の行動様式も変化し、新たな社会には新しい行動スタイルが選択される。

 情報を得たり情報をチェックする行動には、「監視」への欲求が含まれるようになった。誰かにまなざしを向ける、何かの行動を知る…その際、「安全」かどうかのチェックがすばやく、共感や感動が起きる前に、優先的に立ち上がる。

 「知ること」「見ること」「関わること」の下層、意識できない深いところの下層意識に、「監視」感覚がインクの滲みのように広がる。さらにその下層には、覗いてしまう自己に対する罪悪感、安全を脅かす他者の存在への嫌悪感、そんなものが山奥の沼の面にあわ立つメタンガスさながら、そこらここらにポコポコと浮かび上がる…。

■ワインズマンの答え

 アメリカのドキュメント映画作家、フレデリック・ワインズマン(1930年生)の作品上映会が、この秋から来年にかけて各地で行われている。

 11月に開催された渋谷・ユーロスペースの上映会は「ワイズマンを見る/アメリカを観る ―アメリカ社会の偉大なる観察者、フレデリック・ワイズマンの世界」と題されている。

 「偉大なる観察者」! 偉大なる観察者には、覗いてしまうことの罪悪感があるのだろうか、と思う。凡人はそんなことを考えるものだろう。来日していたワインズマンはインタビューでこう聞かれた。

 ――実際に撮影される際に、被写体のかたを傷つけてしまうことへの倫理的な恐怖感を感じることはありませんか。また、被写体のかたと撮影に関する契約を交わされることはありますか――(10月29日ユーロスペースのトークショー)

 この質問は、撮影という行為への本質的な問いかけではなくて、質問者自身がかかえている、見ることの罪悪感が表出し、ワインズマンに投影させたのだと思う。

 この前にワインズマンは次のような話をしている。「私の場合(マイケル・ムーア監督と違い)、実際に現場に行って、自分が観察し、そこで6か月とか12か月かけて学んだことを、映画という形で報告するという手法です」と。

 ワインズマンの撮影は客体と距離がない。彼が選んだ場――たとえば刑務所、救急病院、福祉センター、裁判所、DVなど――の一方の当事者として、その場に長い期間とどまる。そして、客体を見、客体の向こうにある世界の断片をつかみ続け、編集という作業で再構成したレポート・「映画」をこの世に送り返す。

 先の質問にワインズマンは答えた。

 ワインズマン 答えになるかどうかわかりませんが、ひとつ申しあげたいのは、今まで撮影対象としたかたのなかで、苦情を言って来られたかたはありません。撮影に際しては、こういう形で撮影しますと、口頭で説明します。そのときに、「イエスかノーか」という形でお聞きしますが、「ノー」とお答えになるかたは、めったにいらっしゃいません。…公共機関に関しては、書面の許可、撮影許可は取りません…民間の機関であればどうするのか。…『肉』という映画では、食肉加工工場を取りあげています。そちらに関しては、撮影許可を録音で取り付けています。どうして書面でのやりとりにしないのか。契約書に署名をすることになると、署名するかたは、もしかすると重大なことをしているんじゃないかという気持ちになってしまうんですね。ほとんど身売りをしているような気分になってしまうのです――(週刊読書人.2011.11.25号)

 私のいう「罪悪感」、質問者のいう「倫理的恐怖感」から遠く離れたところを、ワインズマンは歩いてきたのだ。彼は、多くの人の言葉に耳を傾け、足音や騒音を聞き、表情を覗き込む。緊張感や絶望、そして希望と日常。複雑な世界から何かをつかむが、単純化を避けてきた。世界と世界の境目を歩いていくだけ…。だけど、それはなんと軽やかな足取りなのだろう、と思う。

 彼の映画を見たい。

(以下、コミュニティーセンターの「フレデリック・ワインズマンのすべて」のHP)
http://jc3.jp/wiseman2011/index.html

2011年11月28日

ぼくたちの子育て支援

カテゴリー: お知らせ — toshio @ 4:47 PM
初仕事

初仕事

サンネットの確認事項・子育て支援について(抄) 

 Aさんたち夫婦には、長女の保育園送迎という「仕事」があります。24時間365日休みなしの子育ては、障害者にとって大きな負担です。

 そのため、長女は保育園に通所し、日常的に親族・ヘルパー・福祉関係者などの人たちの支援も受けてきました。

 保育園送迎は二人でおこなっていますが、冬季は歩道に雪が積もると車道を歩くなど危険な箇所があるため、タクシーを利用してきました。

 自宅から保育園は1km足らずですが、長女を連れて歩くと30分ほどかかってしまうこともたびたびで、冬季でなくても負担がいろいろあります。

 このような事情を勘案し、当事者の子育て支援として、2008年度からAさんたちの冬季保育園通所において、タクシー利用が必要な場合、初乗り運賃をNPOとして支援してきました。

 2011年度冬季をむかえ、長女の送迎について、Aさんたちからタクシー代の支援継続の要望がありましたが、今年もタクシーが必要だろうかといろいろな関係者から異論が出ました。理事会において、この支援を文書化し、誰にとっても確認しやすくした上で、今年度も支援を継続することにしようということになりました。これにより、将来、Aさんと同じような人が出た場合も、同様に支援しやすくなります。以下確認です。

――NPO法人サンネット青森が運営する障害者福祉サービス「地域サービスセンターSAN Net」利用者が子育てをおこなっている場合、子育ての大切さと親である利用者の負担の大変さについて、思いを巡らせたいと思います。

 会員、市民に対して、支援の必要性を伝えることで、自主的な行動を喚起し、支え合う地域社会をめざしたいと思います。

 サンネット青森の「利用者(精神障害者)の子育て支援」の一環として、当面、保育園通所の際車輌が必要であるが車輌を所持しておらず、タクシー利用するための経済的余裕がなく、送迎を支援する人もいない場合、最低限必要なタクシー代について法人本部で支援します。――

2011年11月24日

節約された自己犠牲

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 6:13 PM
インディアンサマー

インディアンサマー

 精神科医の木村敏氏がたずねられた。

 Q かつて精神医学に批判的だった人たちには、医療者―患者間の非対称的な関係を取り払って、「付き合うこと」「いっしょに暮らすこと」を模索した人たちがいましたが、そのことについてどう思いますか?

 彼はこう答えた。

 ――実際に自分が治療している統合失調症の患者さんで、「ああ、この人と一緒に暮らすことができたら、もう少しよくしてあげることができるのになあ」と思う人があることはあります。ただそれだけの自己犠牲的な熱意がないだけのことです。自己犠牲を節約して付き合ってもしょうがないと思いますから――(『現代思想』p55,2010年,10月特集・臨床現象学)

 「自己犠牲を節約して付き合ってもしょうがない」という言葉が私には印象的でした。

 しかし、ちょっと考えると、その言い方の内側に超越的、高踏的な「何か」があるのではと気になりました。高みからの彼のもの言いと、指し示す「自己犠牲」というリアルな現実とがクロスする領域には、どのような次元が存在しているのでしょう。

 ――例えば、両親のもとにいること自体がよくない、かといって自立して一人で暮らすこともできないような患者さんですね。両親との関係自体が病気を悪くしている、そこから切り離すだけでずっと楽になるはずだ、と思える患者は結構たくさんいます。しかしもちろんこちらも家庭を持っているわけですからそんなことはできないわけですが…そういうことを感じる場合は確かにあります。もし共同生活ということができたら、と。しかしそれは治療者の方の犠牲が大きすぎますよね――(p56)

 思想を背景している発言なので、この言葉だけで意味をつかむことはむずかしい。

 彼は、統合失調症は、全体的な存在、集団的な生命(=ゾーエー)が、有限な個的生命体(=ビオス)と接するところで生じた病的な事態と述べています。この考えが彼の現象学の中心らしいのです。これもまたむずかしい。

 大きな存在と連結するところで何か問題が起きたのであるから、責められるべきは患者ではない。家族や社会の特定の人が原因ということでもないが、集団的な現象による(p51)できごとなのだと彼は言います。

 「集団的な現象」が何をさしているか、これもつかみにくいイメージですが、たいへん大きな課題である以上、少なくとも、個人レベルで患者を簡単に良くするなんてことはできない、ということになります。同時に、そういう考え自体が超越的に響きます。

 社会や家族がどのような役割をはたしているのか、彼の考えをたどっているわけではありませんが、集団的な生命(全体性)と個人の生命が切り結ぶところに、社会や家族があるのなら、私たち人類は自分の生命に対してえらくいびつな装置をつくってしまったことになります。

 統合失調症の人ばかりでなく、ここの装置が人間にとって大きな課題だし、統合失調症の人はたまたまその課題を表現しているにすぎないということにもなるかもしれません。

 ならば、人間集団のいびつさ(=課題)を、生命の流れにそった素直な方向に修正するためには、限りない自己犠牲が必要なのはあたりまえかもしれません。そして、確かに、節約してはならないものでしょう。

2011年11月14日

関係の絶対性

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 5:50 PM
冬近し

冬近し

 ――9・11から3・11へとつづく話を、見田(宗助=社会学者)さんはされましたけど、今回まさに、そのお話をおたずねしたいと思って来ました。見田さんの中には、ふたつのモチーフがあると言いましたよね。どういう生き方をするのか。またそのような生き方ができる社会を、どうやって作るのか。この二つが、自己と社会の二つの領域で、9・11から3・11へと続く関係の絶対性から自己烈開の構造の問題、そして2008年に現れた虚構の無限空間とリアリティの有限性の問題となって現れているというのは、とても心に響く、アクチュアルなお話です――(週刊読書人2011年11月11日見田宗助・加藤典洋対談から、加藤氏の発言)

 ぼくにとって魅力的な、そして魅惑的な言葉群…。でも、論旨はつかめない。トホホ…。

 文章を読んで、最初につまづいたのが「関係の絶対性」という言葉。「絶対的関係」ならわかる。社会に広がるいろいろな関係のネットワークから超越、逸脱した関係をさすかもしれない。あるいは支配と被支配のように固定した関係のことかもしれない。しかし絶対性とはなんなのだろう…。

 「関係の相対性」という言葉があったとしたら、それならわかる気がする。ある関係が存在していて、離れたところからそれを見ると、見る者の立ち位置によって変わる。だから相対性であると…。すると、どこから見ても変わらない関係、そのような存在をさしているのだろうか。

 「関係の絶対性」は思想家・吉本隆明の初期の論文に出てくる有名な言葉だそうだ。見田さんはこの言葉を「絶対の敵対的な関係」と言い換えている。また「関係の絶対性を、関係の絶対性によって否定することはできない」(『社会学入門』岩波新書、2006年、P135)ともいっている。

 「関係の絶対性」とは、原初キリスト教のローマ帝国への憎悪、現代のイスラム原理主義者のアメリカへの憎悪感情など歴史に繰り返し現れてくる「憎悪」を生み出し、固定化する構造のことらしい。

 さらに「自己烈開」「虚構の無限空間」「リアリティの有限性」とむずかしい言葉が続くが、この話の理解をすすめることをとりあえず断念して、ちょっと脇に置く。

 そして「関係の絶対性」について考え、『社会学入門』を読み返す。するとこんな文章にたどりついた。

 ――けれども吉本の思考のうちには早い時期から、「関係の絶対性」という思想が、たとえば自爆テロのような仕方で死ぬ根拠となることはできても、生きるということの積極的な根拠としては、貧しいものであることの的確な予感があります。不当な秩序に屈服することなしに生き続けることの積極的な思想としての吉本がのちに獲得するのが、〈自立〉という概念でした――(P139)

 なるほど、支配・被支配の関係から離れるという願いを込めて、自立という言葉を語る人がいたんだ。支配している人はその支配から離れる。支配されている人は、支配する側に駆けあがろうとすることをやめる。そんなことを思考してきた長い年月があったということを気づかされた。

 これは、ぼくにとって思いがけない大きな収穫なのかもしれない。

2011年10月29日

忠誠心フィルター

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 2:49 PM

 

町の紅葉

町の紅葉

アマルティア・センの『アイデンティティと暴力』(2006、邦訳東郷えりか、勁草書房、2011)が読み進まない。

 理由の一つは、センの思考の長さにぼくがついていけないからだ。彼はずいぶんゆったりと、ひとつのテーマをじっくり追っていく。ぼくはそのじっくりさにがまんできず、降参して、眠くなってしまう。

 結果、50頁あたりまで何度も行ったり来たりして1ヵ月が過ぎた。

 どうも箱根の山を越えるための関所になったらしい。

 その50頁の手前に、経済学者のジョージ・アカロフの「忠誠心フィルター」という言葉が出てきた。人生における価値観を変える経験、とカッコで説明されている。意味はわかる。忠誠心や誠実さが変わる――裏切られた体験などでネガティブに変わるのではなく――体験によって、忠誠心が育ち、深まるということを指しているのだろう。

 しかし、その体験がなぜ「忠誠心フィルター」なのだろう、と不思議に思う。

 ドリップコーヒーを入れているイメージが頭に浮かぶ。体験というお湯が注がれ、フィルターが忠誠心なのだろうか。そしてこされて出てくる、何か善きもの…。なんかしっくりしない…。

 調べてみると英語では“Loyalty Filters”なのだそうだ。フィルターは複数形だった。Loyaltyは忠誠心や誠実さと訳される。忠誠心が複数形ではおかしい。

 おそらく忠誠心フィルター=種々の体験、なのだろうと思う。すると次には別のイメージが浮かんできた。外の世界から光が部屋のなかに差してくる。「忠誠心フィルター」はプリズムだ。光を通過させると、光は壁にいろいろな色が描かれる。描かれたものが忠誠心である。プリズムを変えると、また違うスペクトルが浮かび上がる。それもまた、別の状態の忠誠心や誠実さ。

 忠誠心は、つぎに、自分とアイデンティティをむすびつける絆になる。そう、アカロフもセンも考えているらしい。アイデンティティは、体験と選択と忠誠心(誠実さ)にかかわっているというのだ。

 忠誠心や誠実さが、ある体験を経ることによって、自分の眼前に描き出される。そういった体験は、一人だけの体験ではありえないかもしれない。複数の人々、物語、危機、勇気などによって織あげられた体験に違いない。するとアイデンティティは、他者と共感とも関係していることになる。

 ただ、それにしても、いまのご時世、ぼくたちにとって、誠実さが浮かび上がるような体験はたいへん貴重なものだ。もし体験したならだいじにしなければならないだろうと思う。

2011年10月15日

10・21から10・15に

カテゴリー: つぶやき — toshio @ 5:48 PM
低気圧の谷間です

低気圧の谷間です

■広場を清掃する=自由な空間をつくる

 アメリカのウォール街で始まった反格差社会デモが、10月15日、世界一斉行動日として、世界1400ヵ所でデモなどが予定された、と東奥日報に載っていた。

 「ニューヨークの運動は近隣住民に配慮して酒やドラッグ、器物破損を一切許さず、打楽器演奏も制限するなどの方針を打ち出した」。

 記事のこの最後の部分が興味深い。世論に受け入れやすいパフォーマンスを!ということでなく、格差社会がかかえている問題を、暴力的ではない共同行動によって積極的に明らかにしたい、という面があると思うからだ。

 反格差社会行動は、1月のチュニジアのジャスミン革命から始まった変革行動が世界一周し、ニューヨークにたどりつき、再び世界に飛び散っている。

 ジャスミン革命から1ヵ月もしない2月11日、エジプトのムバラク政権が倒れた。エジプト「革命」直前に現地入りした東京新聞の田原牧氏は、体験した「革命」のなまなましさを『中東民衆革命の真実』(集英社新書)で報告している。

 「革命」後、カイロのタハリール広場は明るい活気と自由さにあふれていた。「このタハリールはわれわれの自由な土地なんだ。ここは自由を愛する人々が集まるのさ」という青年もいた。痴漢も盗みも横入りもない、自主的な統制のとれた広場、多くの人が集まり、そこにはすすんで行う清掃活動もあった。

 田原氏はこう言っている。「(多様な政治勢力が混在するエジプトの将来は不安定であるが)もし希望らしきものがあるとすれば、それは黙々と広場の掃除を続ける青年、市民たちの姿にあるのだろう。革命という祝祭の後に、こんなにも地味な光景は予想しなかった…(かれらを)支えていたのは倫理だった」(『中東民衆革命の真実』、P201)。

■打倒すべき社会VS個人

 中東の動き、先進国の反格差社会活動は、2010年10月、米国の秘密外交公電を公開したマスコミ報道にその源泉がある。

 これは米国陸軍上等兵ブラッドリー・マニングが国家機密に不法アクセスし、外交公電資料を外部に持ち出した。その資料をウィキリークスにリーク。受取ったウィキリークスのジュリアン・アサンジは、マスコミと駆け引きをし、公開させたという経過によるものだった(2011年3月31日日記参照)。

 マニングやアサンジは社会システムにダメージを与えることを考えていた。カイロの青年たちのように、共同で、自由な土地をつくろう思っていたわけではなかった。

 マニングやアサンジは、社会主義革命の祖父たちより、むしろ「ユナボマー」に似ているといわれる。

 ユナボマーとは、70年代後半から1995年にかけ、アメリカ各地の大学・航空会社などに小包爆弾を送りつけた事件の犯人のこと。その攻撃先ゆえ、ユナボマー(University and Airline Bomber。大学と航空会社の爆弾犯)と呼ばれていたのだ。

 犯行の中止と取引に、ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポストなど全国紙に彼は声明を載せさせた。それはユナボマー・マニフェストと呼ばれた。以下はその一部である。

 「システム(高度管理社会)は、適合しない人間は苦痛を感じるように改造する。システムに適合しないことは『病気』であり、適合させることは『治療』になる。こうして個人は、自律的に目標を達成できるパワープロセスを破壊され、システムが押しつける他律的パワープロセスに組み込まれた。自律的パワープロセスを求めることは、『病気』とみなされるのだ」(『アンダーグラウンド』、村上春樹、講談社文庫版、1999、P745)

 ユナボマー=犯人はセオドア・ジョン・キンジャンスキーという数学者である。彼は隠遁生活をしながら、敵視する「システム」を破壊する行動を18年も続けていた。マニフェストを出した翌年に逮捕。終身刑に服すことになった。システム(高度管理社会)を、彼はずっと自分をおしつぶそうとするもの、改造しようと襲ってくるものとして描いた。

 社会と個人が切り離れたものととらえるところは、キンジャンスキー、マニング、アサンジに共通している。

■ユナボマー・マニフェスト2011を越えて

 村上春樹は、この声明から、声明が公表された同じ年、日本でおきたオウム真理教の地下鉄サリン事件に通底する手がかりをしぼりだしている。

 「ここでキンジャンスキーが述べていること自体は、基本的には正論であると思う。私たちを含んで機能している社会システムは多くの部分で、個人の自律的パワープロセス獲得を圧迫しようとする…もっとざっくばらんにいえば、要するに『自分自身の価値を掲げて、自由な生き方をしたいと思っても、世間がなかなかそれを許してくれない』ということになる…」

 「しかしキンジャンスキーが――意識的にか無意識的にか――見逃していることがひとつある。それは『個人の自律的パワープロセス』というものは本来的には『他律的パワープロセス』の合わせ鏡として生まれてきたものだということだ」(P745‐746)

 この社会と自己、他者と自分という合わせ鏡(=相互関係)を脇におき、「自律的パワープロセス対社会システム」という対立図式を、どんどん先鋭化してしまったのがオウム真理教である、と話は展開する。

 オウムの彼らは、社会システムを敵視し、破壊しようとしつつ、その実、自分の内面を組織に明け渡していった。しかしその自分を「預ける」という行為は、非オウム(=「正義」の側)の私たちともどこか似ていないか? なぜなら、私たちも自分自身を、会社、地域、制度に明け渡しているではないか…。するとオウム真理教が「私たちの側に」再び戻ってくる地点がある気がする。ここに、心の奥からよどみがやってくるような気味の悪さ、後味の悪さがある…。そんなふうに村上は指摘している。

 だからこそユナボマー・マニフェストを私たちは越えなければならない。「越える」ということは、自分のなかに簡単に敵を作らないことかもしれない。社会や他者と相互関係している自分を認めることかもしれない。また、広場を黙々と清掃することかもしれないと思う。なぜなら、そんなささやかな行為が、ひどい破壊的な行為の埋め合わせをしてきたのだから。

 ニューヨークのデモに参加したひとりの女性が、何万キロも離れたカイロの青年と静かなリズムをあわせながら、黙々と街角のゴミを拾っているのかもしれない。今日はそんな風景を想像してみようか。

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